Ricola

清作の妻のRicolaのネタバレレビュー・内容・結末

清作の妻(1965年製作の映画)
4.3

このレビューはネタバレを含みます

綺麗事ではなく、真実の愛を観た。
何としてでも愛する人を放したくない者による常軌を逸脱した行動が、自分自身の欲だけではなく真実の愛へと導いたからだ。

老人の愛妾として長年囚われの身であったお兼(若尾文子)は、老人の死を機にその生活から解放されるものの、村人たちから村八分にされていた。そんななか、模範青年という清作(田村高廣)と恋に落ち、周囲の冷たい目など気にもせず幸せな生活を送っていたが、清作が日露戦争への召集にあう。


橋を渡るという行為は繰り返され、清作とお兼2人の運命を左右する主題ともなっているようである。
橋を渡って村に帰ってくる清作。
母のために医者を呼びに行こうと橋を渡るお兼。橋を渡ってお兼に告白する清作。
そして橋を渡って戦争から帰ってきた清作。住む世界の違うような2人だったが、橋を行き来するという行為が、2人の仲を縮める契機に繰り返されているようだ。

お兼が愛おしむように清作の身体に触れるシーンが、なまなましく映し出される。
清作の存在を確認するように腕や胸、足元までゆっくりと撫でるシーンがある。また、肌に爪痕が残りそうなくらい、彼を放さないという言葉の通り力を込めて身体に触れることもある。
お兼の清作への愛情の強さゆえに情緒不安定になる様子を他のシーンでも確認できる。お兼は不安になると手で何かを握ってソワソワとした動きをする。それは清作が戦争に行っている間である。清作が心配で仕方なく、心細くて常に涙がこぼれそうなほどの精神状態である。

お国のために戦争で戦って死ぬことが栄誉ということ、偏見まみれで実際を見ようとも知ろうともせず陰口ばかり叩く村人…。お兼は村人たちの集団主義の恐ろしさにずっと晒されていたわけだが、清作はむしろその中心におり、周囲の期待に応えることにこだわっていた。村人たちに朝を知らせるために鐘を鳴らすという彼のルーティンは、模範青年たらしめるものである。しかし清作が「すべて」を失い、激怒するものの大切なことに気づくのである。
「お前のおかげで俺は普通の人間になれた」
お兼も依存ではなく心からの愛情を知ったのだろう。彼を失わないために強行突破を試み罪を一生背負うことになったのだから。
皮肉にもお兼の抵抗によって、ひとりの青年を軍国主義および集団主義のしがらみから解放したのだ。

小さな村にまで浸透している軍国主義と陰湿なムラ社会の恐ろしさと、清作とお兼の命がけの愛を通して描かれた反戦作品であり、あまりに壮絶な出来事を通して愛を深め合う二人に対して、切なさ以上に恐ろしさがまさるほどだった。
Ricola

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