父娘ものが好きでユアン・マクレガーが好きで、つい数か月前に見たばかりのパスト・ライヴスがめちゃ刺さった身としてはもうアレだ、観ない理由がありませんね!ってことで楽しみにしてました。実際よかった、グッときたけど万人がそうやって楽しめるつくりにはなってないよな…?わざとすごく雑で下世話な言い方をすれば「トレスポの娘」という関係性をそれなりに深く知り得る者だけが没入できる仕上がりよね、というのがざっくりした感想です。
先述のとおりトレインスポッティングのレントンを知っていれば娘の過剰摂取に際して「蛙の子は蛙よな〜」と頷けるしそれを嗜める父親ヅラにも「おまいう」と突っ込めるし、ビッグ・フィッシュや実写版プーさんを観ていれば子を思う父親の表情を思い出さずにいられないし、フィリップ!〜や人生はビギナーズが今なお脳裏に焼きついていれば居心地の悪そうな困り顔も弾ける笑顔も「そうそうこれこれ〜!」と膝を打たずにいられない。実娘・クララからの手紙≠脚本を基にしているだけあってごく私的な内容なわけで、それを言葉で語りすぎない演出を補うのが観客それぞれの記憶の中に残るユアン・マクレガー像である、そういう作品だと思います。そういうわけで「ユアン・マクレガー?ああオビ=ワンの彼ね」程度の誰かが何かの間違いでたまたま本作を観てしまった場合、頭にしこたま?を浮かべて劇場を後にする羽目になりそう。
ファーストカットのクララが爆音でGRLwoodを聴いてるのがまず最高だったし、娘がヴィーガンであることを知らない時点でおおよその距離感は把握できるし、トイレや酒や薬まわりのあれこれで彼女が心身に問題を抱えてることも伝わってくるので「そこんとこやっぱパスト・ライヴスの製作陣は分かってるんだな〜!」と膝を打つこと請け合いですが、説明的な演出を好む向きにはあまり受け入れられなそう。クライマックスで父娘が対峙するシーンの切実さはさすが実の親子によるもの、と胸をうたれつつ実際のところ両者和解できてんのこれ…?と不安がよぎりもしましたが、エンディングで仲良くデュエット披露してるあたりボリウッド的めでたしめでたし感があってほっとしました。まあ、関係が良好でなければそもそも映画化できなかったでしょうけどねこのネタ。