東京キネマ

めまいの東京キネマのレビュー・感想・評価

めまい(1958年製作の映画)
3.3
ヒッチコックが映画史上最高の監督というのは誰しも認めるところだろうが、私、正直に言うとあまりヒッチコックが好きではない。

確かに、扱う素材が当時としては何十年も先取りしたアイデアであったり、後世の見本となるような映像技術を生み出したりと、そういった能力は傑出しているし、何しろ“サスペンス映画”というジャンルを確立した第一人者だ。

そういったことは充分承知の上で思うことなのだが、面白いアイデアであっても表現に落とすと物語が異様に冗長で、案外ストーリーが破綻していたり、辻褄が合っていなかったりってのもあるし、それに、映像テクニックや構成力が抜群だから雰囲気で誤摩化されてしまうことが多いが、彼が描く内容は実に猟奇的で病的だ。だから好きだという人が多いのも分っているのだが、私はどうしてもついて行けない。ニュートラルな気分でストーリーに入っていけないのだ。正直、そう思ってしまうんだから仕方がない。


この映画、本当はお気に入りのヴェラ・マイルズでやりたかったらしいんだが、妊娠してしまったためキム・ノヴァクになった。それだけでも気分が悪いのに、このキム・ノヴァク、ヒッチコック大先生に向って演技論なんかをぶちかましたもんだから、大先生の加虐本能に火が着いちゃってもう大変だったらしい。泳げないキム・ノヴァクをわざとセットのプールに突っ込んだり、大嫌いなコンサバスーツを無理矢理着させたり、おまけに彼女の化粧室に鶏の羽をひんむいて置いといたりしたらしい。いや~、凄まじいもんだ。

この映画の主人公(ジェームス・スチュアート)の設定もちょっと変だ。学生時代の友人に、女房マデリン(キム・ノヴァク)の尾行を頼まれたのはいいが、最初はまじめにやっていたのだが、手段と目的が逆転してだんだんストーカーになっちゃう。この時代にストーカーを映画の素材にするというのも驚きだが、ある意味、変態じゃなきゃそういった性癖は気付かない訳で、これもさすがヒッチコックといったところだろう。

それにこの主人公、人の女房だってのにいきなりキスしちゃうし、“愛してる”などと平気でコクる。結果的にこの主人公は学生時代の友人の妻殺しに加担してしまうことになるのだが、もうぜんぜんそんなことも見えなくなってしまって、その死んでしまった女の亡霊を追い続ける。

偶然、死んだマデリンにそっくりの女を見つけ仲良くなるのだが(実はそいつが替え玉なのだが)、その女にマデリンの服を着させたりして記憶を蘇らせたりする。これどう考えても“死姦”にしか見えないおぞましいシークエンスなのだが、こういった変態趣味を一般の人には分らないようにデフォルメして挿入したりするところがヒッチコックなのだ。


当然、この当時は恋人同士がこういった映画を“普通”に見ていた訳で、この時代の感覚としてはそういった猟奇的な感覚がなかった分、何か新しいサスペンス映画のテイストとして受け取っていたのだろう。変態耐性がなかった時代とは言え、ヒッチコック先生もようやるなあ、という感じだ。