馮美梅

モーツァルトとクジラの馮美梅のネタバレレビュー・内容・結末

モーツァルトとクジラ(2004年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

アメリカ映画なんだけど映像のテイストや音楽の使い方や全体の雰囲気がまるでヨーロッパ映画みたいで私には好きな感じです。

多分、定型発達(というか周囲の人にとっては)の人たちからみると、私を含めたASD当事者たちの行動ってこう言う感じに見えてるのかな?なんて思う部分があったり、それぞれの当事者の行動や言動は何処の国にいてもやはり同じ障害を持つ人って同じだな、なんておもったりもしてね。


冒頭のタクシーのシーンでは後ろに乗っている乗客がの日本人と言うのもなんだ面白かったしついついその人たちの会話を聞き取ろうとしたりして(笑)


こだわりのシャワーカーテンを捨てられた事にパニック状態になったドナルドのシーンも印象的で、自分のために部屋を綺麗にしてくれた事も、古くて汚いシャワーカーテンを取り替えてくれたこともちゃんとわかっていても自分のこだわりそのものがこの障害の本質で、目で見えたりする事実と自分の気持ちの中での本当の理解の部分の矛盾にどうする事も出来ないもどかしさに苦しんでいるという事を、定型発達の人たちがそのシーンを見てどう感じるのかな?とか、普通の人でありたいと思い、会社の上司(と言ってもドナルドがアスペルガーの当事者という事も知っているので、ドナルドが普通の人のように振舞う必要性はないんだけど)を自宅に招いたときに、イザベルの取った行動は共感が出来ましたね。あの居心地の悪さは多分、定型発達の人には理解してもらえないのでしょうね。


イザベルは自分の障害を受け入れて、そんな自分を周囲の人に積極的に言って受け入れてもらうタイプだけどドナルドは自分の障害を理解していてもやはり定型発達の人と同じようになりたいと思っている部分がね~。私はイザベルと同じようなタイプ(と言っても彼女の積極奇異な部分であって、彼女やドナルドみたいな"サヴァン"ではないからね)


イザベルの主治医から「彼女に電話しないで欲しい」と言われドナルドが電話したいという気持ちと葛藤するシーンはわかるだけにおかしくもあり、この障害の苦しい部分でもあるんだけど、これもどれだけ定型発達の人たちに伝わるんだろうとおもったりもしてね。


見た目の出来る事と出来ないことの差の激しさ(ギャップ)が自分が当事者自身だからわかるだけに苦しいという事が、自分の周囲に伝わりにくい部分がこの障害の厄介なところだと言う事を「だから厄介なんだよねアスペルガーって」という台詞に集約されているように思います。


身近に発達障害やASDの人がいる人がいたらぜひDVDなど見てほしいですね。

あくまでもここに出てくる人がASDのすべてではないけれどこういう風な問題を抱えて生きているんだということを視覚的に見ることができるし、完全に理解出来なくてもこういう人間がいるということを頭の片隅にでも記憶してもらえたらと思います。
馮美梅

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