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踊る大捜査線 N.E.W. メトロポリスを駆け抜けろ!

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踊る大捜査線 N.E.W. メトロポリスを駆け抜けろ!の作品紹介

踊る大捜査線 N.E.W. メトロポリスを駆け抜けろ!のあらすじ

ある日、東京都内で誘拐事件が発生。 犯人は身代金を指定の場所まで持ってくるよう指示をし、間に合わなければ街を爆破するという。 そして、なぜかその“運び屋”として青島を指名する。 さらに、3Dプリンター拳銃を使用した連続殺人事件も発生。 殺された被害者の一人である科学者が持っていた毒性ウイルスも盗まれており、警視庁には「ウイルスを街にばらまく」という脅迫文が届く。 警視庁の捜査一課に着任した青島に、史上最悪クラスの難事件が次々に押し寄せる。 “犯人”はいったい―? 事件解決のため、青島は仲間とともに東京の街を走りに走りまくる!!

踊る大捜査線 N.E.W. メトロポリスを駆け抜けろ!の監督

本広克行

原題
公式サイト
https://odoru.com/
製作年
2026年
製作国・地域
日本
上映時間
142分
ジャンル
クライム
配給会社
東宝

『踊る大捜査線 N.E.W. メトロポリスを駆け抜けろ!』に投稿された感想・評価

『踊る大捜査線 N.E.W.』が“新しい踊る”になりきれなかった10の理由|青島は走る。でも、この映画の“エンジン”はどこにある?

https://note.com/tenmame0720/n/n00ec24032353?app_launch=false

過去を愛することと、過去に頼ることは違う。

私は、2026年の『踊る』自身に泣かせてほしかった。

おはようございます。
天豆(てんまめ)です。

青島は、走っていた。

ものすごく走っていた。

東京の街を。

階段を。

電車を。

人混みを。

あの緑のコートを着て、

青島俊作が、もう一度走っている。

でも。

観終わった私の中に残ったのは、

「青島が帰ってきた!」

という高揚だけではありませんでした。

もっと厄介な問いでした。

青島は、こんなにも走っている。

なのに、この映画そのものを走らせている“エンジン”は、どこにある?

2026年9月18日。

公開初日。

朝8時30分からの最初の上映で、

『踊る大捜査線 N.E.W. メトロポリスを駆け抜けろ!』

を観てきました。

公開初日の朝一番に映画館へ行くくらい、

私は、この作品を待っていました。

映画館を出た。

電車に乗った。

最寄り駅で降りた。

そこから家まで歩いている間も、

ずっと映画のことを考えていました。

笑いが、ハマらない。

事件は大きいのに、怖くない。

若い世代を描いているはずなのに、むしろ若者観が古く見える。

「継承」を描いているはずなのに、過去の「再現」の方が前に出る。

そして何より。

私が映画の中で一番グッときたのは、

2026年の『踊る大捜査線』ではなく、これまでの『踊る』を愛してきた自分自身の記憶でした。

ここです。

ここが、私はたまらなく寂しかった。

過去映像を見たら、そりゃ胸は熱くなる。

和久さんを見たら。

室井さんを見たら。

すみれさんを見たら。

何十年もこのシリーズを見てきた人間なら、

勝手に心が反応します。

でも。

その涙は、

2026年のこの映画がゼロから獲得した涙ではない。

1997年から『踊る』が私の中に積み上げてきた感情を、

今作が呼び起こした涙です。

ファンサービスとしては成立する。

でも、

一本の新作映画として人の心を撃ち抜くこととは、別の話です。

だからこそ私は思いました。

過去を愛することと、過去に頼ることは違う。

私は懐かしさだけをもらいに、

映画館へ行ったんじゃない。

2026年の『踊る』自身に、笑わせてほしかった。

2026年の『踊る』自身に、ハラハラさせてほしかった。

そして最後は、

2026年の『踊る』自身に、泣かせてほしかった。

かなり厳しいことを書きます。

でも、

嫌いだからじゃありません。

逆です。

1997年のテレビドラマから、ずっと観てきた。

劇場版も観た。

スピンオフも観た。

今回の公開前には、過去の劇場版4作品を改めて見返しました。

『室井慎次』2部作も観ました。

だから、

観終わったあとに残った感情を、

「懐かしかった!」

だけで終わらせたくない。

「つまらなかった」

でもない。

怒りとも少し違う。

私の中に最後まで残った言葉は、

一つでした。

惜しい。

とてつもなく、惜しい。

では。

ここから本気の本音レビューを書きます。

まず、この映画について
『踊る大捜査線 N.E.W. メトロポリスを駆け抜けろ!』は、2026年9月18日公開。

青島俊作は現在、警視庁刑事部捜査第一課。

東京都内で起きた誘拐事件から、3Dプリンター拳銃、毒性ウイルスをめぐる脅迫など、複数の事件が動き始めます。

新しい世代として登場する、

芝田ひばり。

美浦秋。

そして、

真下正義と雪乃の息子・真下勇気。

さらに、青島の同期・北丘雲斗。

監督は本広克行さん。

脚本は君塚良一さん。

プロデュースは亀山千広さん。

つまり、

『踊る』を作ってきた人たちが、

もう一度『踊る』を作った。

そして今回の青島には、

次の世代へ何かを繋いでいく人

という役割が置かれています。

だから私は、

ただ緑のコートで走る青島ではなく、

「なぜ、今の青島俊作は走るのか」

を見たかった。

ここから先は、

本編の内容へかなり踏み込みます。

※ここからネタバレを含みます
1.青島は走る。群衆も走る。なのに、物語だけが走らない
冒頭から、

とにかく青島は走ります。

東京を走る。

新宿を走る。

電車に乗る。

犯人から次々と指示が届く。

身代金を運ぶ青島が動くたび、

SNSで情報を知った人たちが、

スマートフォンを向ける。

一人。

十人。

何十人。

青島が動けば、

群衆も動く。

青島を追う。

撮る。

拡散する。

おそらく描きたかったのは、

「2026年の東京」

なのでしょう。

SNSによって、

事件と群衆の境界がなくなっていく。

その騒々しさを、

『踊る』らしい大きな演出で見せたかったのだと思います。

でも私は、

かなり早い段階で引っかかりました。

本当に、今の東京ってこう見えるか?

『踊る』は、

もともとドキュメンタリーではありません。

誇張もある。

漫画的な演出もある。

大真面目にバカなことをやる。

私はそこも大好きでした。

なのに今回、

「今」を描こうとするほど、

少し昔の人が想像した“今”に見える。

スマホを出せば現代になるわけではない。

SNSという言葉を置けば、

2026年になるわけでもない。

何より不思議だったのは、

人はこれだけ動いているのに、

物語そのものが前へ進んでいる感じがしないことです。

映像は走る。

群衆は走る。

青島も走る。

でも、

映画が走らない。

そして約30分後。

これが現場と本庁の連携を確認するための「訓練」だったと分かる。

なるほど。

そういうことか。

とは思いました。

でも同時に、

こうも思いました。

本編が始まるまで、30分も使ったのか。

長い。

青島はもう汗だくになるくらい走っているのに、

私はまだ映画のスタートラインに立っている。

副題は、

「メトロポリスを駆け抜けろ!」

でも冒頭30分、

私の心は、

まだ一歩も走り出していませんでした。

2.「ここで笑ってください」が見えた瞬間、もう笑えない
そして私は、

かなりショックでした。

笑えなかった。

『踊る』の大きな魅力の一つは、

あの独特の笑いです。

捜査は真剣に進んでいる。

本人たちも大真面目。

なのに、

少しだけ会話がズレる。

妙な間がある。

組織の事情がバカバカしい。

誰も「ボケますよ」という顔をしていないから、

余計に笑える。

昔の『踊る』は、

笑わせようとしている手が見えないのに、笑ってしまった。

今回。

逆でした。

「あ、ここ笑うところだな」

が、

かなり見える。

なのに、

笑いが出てこない。

少なくとも、

私が観た公開初日の朝一番の客席では、

大きな笑いが起きる場面はほとんどありませんでした。

私も同じでした。

これは、

かなりキツかった。

なぜなら私は、

昔の『踊る』の笑いをリアルタイムで楽しんできた側です。

その私が、

「これ、ちょっと古くないか?」

と思ってしまった。

だったら、

もっと若い観客にはどう見えるんだろう。

一方で、

佐藤二朗さんが出ると、

あの独特の呼吸でニヤッとできる。

ここが象徴的でした。

佐藤二朗さんは、

「昔の『踊る』っぽく笑わせよう」としているのではない。

佐藤二朗さんの今のリズムで笑わせている。

だから入ってくる。

昔の型を保存することと、

昔の型を2026年に生き返らせることは、

同じではありません。

ここでも私は、

「復活」と「再現」の違いを感じました。

3.事件は大きい。でも謎が深くない。これは刑事映画として痛い
事件は派手です。

誘拐。

爆破予告。

連続殺人。

3Dプリンター拳銃。

毒性ウイルス。

危機のスケールだけなら、

かなり大きい。

でも。

私は、怖くなかった。

思ったほどハラハラもしなかった。

ここは刑事映画として、

かなり痛いと思います。

刑事ものを観ている時、

私が一番ワクワクする瞬間があります。

誰なんだ?

何を見落としている?

あの台詞は何だった?

さっき映ったあれは?

そして、

バラバラだった点と点が、

一瞬で一本になる。

「ああ、そういうことだったのか!」

あの快感です。

ところが今回、

それが薄い。

女子高校生2人が事件へ関わっていることも、

かなり早い段階から見えてしまう。

若い刑事たちがネット上の情報を追う。

本庁とは判断が割れる。

素材自体は面白いんです。

でも、

捜査が事件の奥へ切り込んでいく感覚が弱い。

刑事の知恵で犯人に迫る快感が薄い。

誰かの一言で、

事件の見え方が反転する驚きも薄い。

だから、

事件の設定だけが大きくなっていく。

私は観ながら、

ずっとこの言葉が浮かんでいました。

事件は大きい。

でも、謎が深くない。

危機は大きい。

でも、捜査にスリルがない。

スケールを大きくすることと、

映画を面白くすることは、

同じではありません。

私は世界を救う青島より先に、

一つの事件に食らいつき、誰も気づかなかったものを見つける青島を見たかった。

4.「今どきの若者」で片づけた瞬間、その人は見えなくなる
そして今回、

私はここがかなり嫌でした。

事件の中心にいる、

女子高校生2人の描き方です。

私は知りたかった。

なぜ、この二人はここまで来たのか。

何を見てきたのか。

何を信じていたのか。

誰に何を言われたのか。

どこで、

戻れないところまで来てしまったのか。

もちろん、

すべての犯罪に、

観客が納得できる「分かりやすい動機」があるわけではありません。

そんなことを求めているのではない。

理解できない人間はいる。

理屈では説明しきれない犯罪もある。

でも。

背景を十分に描かない。

人物の内側にも深く入らない。

その上で、

「最近の若者の犯罪は、昔とは違う」

というような話をかぶせる。

それでは、

人物を描き切れなかったことを、

「最近の若者は分からない」

という世代論で処理しているように見えてしまう。

私はここに、

かなり古い感覚を感じました。

皮肉です。

2026年を描こうとしている映画で、

一番古く見えたものの一つが、

若者を見る目だった。

ネット。

SNS。

突発性。

理解できない動機。

そういうものを並べて、

「今の若者ってこうだよね」

で終わる。

でもそれは、

若者を描いたことにはならない。

「今どきの若者」という記号を置いただけです。

私は普段、

文章を通して、

人の人生の話を聞くことがあります。

そのたびに思うことがあります。

外から見れば、

たった一言で説明できそうなことにも、

その人の中には、

そこへ来るまでの時間がある。

うまくいかなかった時間。

誰にも言えなかったこと。

諦めたこと。

それでも捨てられなかったもの。

外側から見える「行動」だけでは、

その人の全部なんて分からない。

だから私は、

簡単に人を一つの言葉へ押し込めたくないんです。

「若者だから」

「今どきだから」

「こういうタイプだから」

その言葉を置いた瞬間、

説明は簡単になる。

でも同時に、

その人を見ることを、やめてしまうことがある。

人は、

分かってもらえなかった時以上に、

最初から

「分からない人」

として片づけられた時に、

深く傷つくことがあるんじゃないでしょうか。

もちろん、

この二人が犯したことは、

そんな一言で軽くなるものではありません。

むしろ逆です。

二人をもっと人間として描いていたら、

私はもっと怖かったと思う。

もっと腹が立ったと思う。

そして、

もっと悲しかったと思う。

なぜ、

そこまで来てしまったのか。

何があれば、

そこまで来ずに済んだのか。

それでも、

なぜ一線を越えてしまったのか。

私は、

そこまで見たかった。

分からないなら、

分からないからこそ、

入っていってほしかった。

彼女たちは、

こちらとは違う何を見ているのか。

どんな言葉に囲まれ、

何を恐れ、

何に絶望し、

何を面白がっているのか。

そこへ、

カメラを入れてほしかった。

まして今回、

青島は、

若い世代へ何かを渡していく立場です。

だったら、

「若い奴は分からない」

ではなく、

分からない相手を、それでも分かろうとする青島

を見せてほしかった。

分かったふりをしなくていい。

説教もしなくていい。

ただ、

目の前にいる人間を、

「若者」という括りではなく、

一人の人間として見る。

そこにこそ、

歳を重ねた青島の格好よさが出たはずです。

女子高校生2人だって、

犯罪装置ではない。

世代論の材料でもない。

名前がある。

人生がある。

そこまでの時間がある。

私は、

二人の「人間」を見たかった。

そうしたら、

事件はもっと怖かった。

もっと痛かった。

もっと悲しかった。

そして、

青島が二人を追う意味も、

何倍も重くなったと思います。

2026年を描くとは、

AIを出すことでも、

SNSを出すことでも、

若者という単語を出すことでもない。

2026年を生きている人間を、ちゃんと見ることです。

私は、

そこまで踏み込んだ『踊る』を見たかった。

5.真下勇気。これだけ重要な新世代を、なぜ“笑いの役”に置いてしまったのか
真下勇気も、

私はかなり惜しかった。

真下正義と雪乃の息子。

しかも、

ハーバードを飛び級で卒業。

とんでもない設定です。

だったら、

見たいじゃないですか。

「こいつ、すげえな」

という瞬間を。

誰も気づかなかった証拠を拾う。

他の刑事とは違う思考回路で、

事件の構図を一気にひっくり返す。

若さと頭脳で、

青島すら驚かせる。

私はそれを期待しました。

でも実際に印象へ残るのは、

英語交じりの日本語。

不器用なコミュニケーション。

コミカルな振る舞い。

最終的に「確保」へ踏み切る場面も、

青島から促されて、

ようやく一歩前へ出たように見えました。

これでは、

設定資料の上では天才でも、映画の中では天才に見えない。

ハーバード飛び級と書けば、

頭のいいキャラクターになるわけじゃない。

知性は、行動で見せてほしい。

「この頭脳だから気づけた」

「真下勇気がいなかったら解けなかった」

その一撃が欲しかった。

笑いを担うキャラクターである前に、

これからの『踊る』を背負うかもしれない一人の刑事として、

私は彼を見たかった。

6.懐かしさが、新しい物語の代わりになってしまっている
ここがまた、

悔しいんですよ。

懐かしい顔が出ると、やっぱりうれしい。

真下がいる。

雪乃さんがいる。

沖田さんがいる。

秋山さん。

袴田さん。

神田署長。

スリーアミーゴスが並ぶ。

もう、

それだけで心が動く。

「うわあ……」

となる。

さらに、

「えっ、ここで!」

という顔も出てくる。

内田有紀さん扮する篠原夏美が映った瞬間も、

純粋にうれしかった。

何十年も続いたシリーズだけが持てる、

特権です。

スクリーンに昔の人物が現れる。

すると、

その人物を見ていた頃の自分まで、

一緒に戻ってくる。

映画館の椅子に座っているのは今の自分なのに、

胸の奥では、

何十年分もの記憶が一斉に立ち上がる。

映画には、

そういう魔法があります。

だから私は、

昔のキャラクターを出すなとは、

まったく思いません。

出てほしい。

会いたい。

もっと見たい。

でも。

懐かしい人たちが、新しい物語を支えること。

そして、

懐かしい人たちそのものが、新しい物語の代わりになること。

これは、

まったく違う。

クライマックス。

青島が犯人へ迫る。

そこで、

過去のシリーズの記憶が蘇ってくる。

すみれさん。

和久さん。

室井さん。

私は、

グッときました。

胸が熱くなりました。

泣きそうになった。

でも。

その涙が大きくなればなるほど、

同時に寂しくなりました。

今、私は何に泣いているんだ?

今作の事件か。

今作で出会った若者たちか。

今作の青島の選択か。

違う。

私は、

昔の『踊る』に泣いていた。

あの頃の和久さんに。

室井さんに。

すみれさんに。

そして、

彼らを見ていた頃の自分に。

だから私は、

ここは切り分けたい。

過去映像で涙が出た。

でも、

その涙の大部分は、

この映画が獲得した感情ではない。

過去作が29年かけて、

私の中に積み立ててきた感情です。

今作は、

その貯金箱を開けた。

それは強い。

ものすごく強い。

でも。

過去の感情を呼び戻す力と、新しい感情を生み出す力は、同じではない。

だから私は、

泣きそうになりながら、

思っていました。

違う。

私は、ここで泣きたいんじゃない。

今の『踊る』に、心を持っていかれたいんだ。

7.「ここで泣いて」「ここで笑って」が見えたら、映画の魔法は解ける
青島が刺される。

一瞬、

息を呑む。

でも、

実は防刃装備で助かっていた。

もちろん、

こういう肩透かしは昔の『踊る』にもありました。

重くなりすぎた場面を、

突然外す。

それも味でした。

でも今回は、

私はかなり冷めました。

その瞬間、

頭の中にかなり嫌な言葉が浮かんだ。

「ちょっと下手だな……」

映画を作っている人たちへ、

簡単に投げたい言葉ではありません。

だから、

なぜそう感じたのかを考えました。

分かりました。

演出の手が見えたからです。

「あ、ここで笑わせるんだ」

「あ、ここで懐かしさを出すんだ」

「あ、ここで泣かせるんだ」

感情より先に、

仕掛けが見えてしまう。

すると、

魔法が解ける。

本当に心を持っていかれる映画は、

「ここで感動してください」

なんて見えない。

気づいたら、

息を止めている。

気づいたら、

手に力が入っている。

気づいたら、

涙が出ている。

今回は、

感情が生まれる前に、“感情を生ませようとしている手”が見えてしまった。

だから私は、

映画から一歩、

外へ出てしまった。

8.室井慎次がいない。だからこそ、「いない室井」を青島の中に見たかった
そして今回、

どうしても避けて通れないものがあります。

室井慎次の不在。

『室井慎次 生き続ける者』を経て、

室井はもういません。

だから私は、

むしろ期待していました。

今の青島の中に、

室井がどう残っているのか。

室井との約束。

和久さんから受け取ったもの。

すみれさんとの時間。

いろいろなものを失い、

いろいろなものを背負い、

今、

青島俊作は何を守ろうとしているのか。

そして、

若い刑事たちへ何を渡そうとしているのか。

私は、

「いない室井」が故の深みを見たかった。

本人が画面にいなくてもいい。

名前を何度も呼ばなくてもいい。

青島が何かを決断した瞬間に、

「ああ、そこに室井がいる」

と感じたかった。

だって、

本当に誰かから受け取ったものって、

そういうものじゃないでしょうか。

大切な人が、

いつまでも隣にいてくれるとは限らない。

もう会えない人もいる。

もう声を聞けない人もいる。

それでも。

その人がくれた言葉が、

何年もあとになって、

自分の選択を変えることがある。

苦しい時に、

「あの人なら何と言うだろう」

と考えることがある。

気づけば、

昔教えられたことを、

今度は自分が誰かへ渡していることもある。

人が残るというのは、

きっと、

そういうことです。

顔がそこにあることではない。

声が流れることでもない。

その人と出会ったことで、自分の生き方が少し変わっていること。

そこに、

人は生き続ける。

私は、

そういう室井慎次からの継承を見たかった。

9.「継承」と「再現」は、同じではない
だからこそ、

ここは私は笑えませんでした。

真下勇気の額に、

マジックで三本線を描く。

眉間にしわを寄せる。

室井慎次の顔を思わせる。

そして青島が遠隔で台詞を送り、

勇気に室井のような言葉を言わせる。

そこまでは、

まだ苦笑いで見ました。

でも。

和久さんの声まで、

AIで「再現」する。

私はここで、

かなり冷めました。

いや。

冷めたというより、

悲しかった。

『踊る』に悪ふざけがあることくらい、

知っています。

青島と、

織田裕二さんのものまねタレントを対峙させる。

くだらない。

バカバカしい。

でも、

そういう遊びがこのシリーズにあるのも知っています。

ただ。

室井さんも、

和久さんも、

同じ場所へ置いていいのでしょうか。

この二人は、

ただの人気キャラクターではない。

青島俊作という人間が、

何を信じ、

なぜ現場へ立ち、

何を曲げずに生きるのか。

その根っこを作った人たちです。

私は、

和久さんの声が聞きたいんじゃない。

和久さんがいないのに、そこに和久さんを感じたいんです。

室井さんの顔を真似してほしいんじゃない。

室井さんがいないのに、青島の選択の中に室井さんを見たいんです。

継承とは、

ものまねではない。

声の再生でもない。

昔の台詞をもう一度言うことでもない。

いなくなった人から受け取ったものが、今を生きる人の選択を変えていること。

それが、

継承だと私は思う。

もし和久さんの魂を受け継ぐなら。

青島の行動で見せてほしかった。

あるいは、

若い刑事が誰かを助ける時の判断で見せてほしかった。

その瞬間、

声なんて一秒も流れなくていい。

私は観客席で、

きっと気づきます。

「ああ。和久さんだ。」

と。

それでいい。

いや、

それがいい。

だから。

亀山さん。

本広さん。

君塚さん。

私は、

本気で聞きたい。

本当に、これが面白いと思っているんでしょうか?

本当に、これでファンが喜ぶと思っているんでしょうか?

本当に、これが今の『踊る』に必要なファンサービスだったのでしょうか。

ファンが見たいのは、

「似ている」

だけじゃない。

「残っている」

なんです。

室井さんが残っている。

和久さんが残っている。

青島の中に。

今の『踊る』の中に。

そこが見たい。

遊び心をなくせと言いたいんじゃない。

でも、

遊んでいいものと、

遊んだ瞬間に大切なものを傷つけるものがある。

私は今回、

ここは完全に後者でした。

過去を再現するほど、

魂を継承したことにはならない。

むしろ、

この遊びは、『踊る』が29年かけて大切にしてきたものを、少し軽くしてしまった。

私は、

そう感じました。

10.「幸せって何だろうね」問いはいい。でも、その問いが青島の核から出てこない
前半。

青島は、

若い刑事たちへ「幸せ」について問いかけます。

私は、

このテーマ自体は好きです。

むしろ、

ものすごく見たい。

若い頃の青島は、

現場へ行った。

事件を追った。

組織とぶつかった。

室井と約束した。

和久さんの言葉を受け取った。

仲間と走った。

でも、

歳月が流れた。

いなくなった人もいる。

青島自身も歳を重ねた。

背中を追う側だった人間が、

今は、

背中を見られる側にいる。

その青島が、

「幸せって何だろうね」

と考える。

これは、

ものすごくいい。

だからこそ、

台詞として置くだけで終わらせてほしくなかった。

青島は何を失ったのか。

今、

何を持っているのか。

何を守りたいのか。

自分は幸せなのか。

室井は幸せだったのか。

和久さんは。

すみれさんは。

自分が走り続けてきた時間は、

何だったのか。

そういうものを通り抜けた先で、

あの一言が出たら、

私はきっと、

ものすごく刺されたと思います。

今回は、

青島の内側より先に、

テーマの台詞が歩いてしまった。

だから、

言葉は深いのに、

胸まで届き切らない。

いい問いだからこそ、惜しい。

「お前のエンジンはどこにある?」
そして。

この映画を観終えて、

ずっと私の中に残っている言葉があります。

青島の同期・北丘が、

室井が辞めた時には、

青島も辞めると思っていたと話す。

そして、

青島へ問う。

「お前のエンジンはどこにある?」

私は、

この問いが今回いちばん好きでした。

なぜなら、

今の青島俊作を考える上で、

これほどいい問いはないからです。

和久さんはいない。

室井さんもいない。

すみれさんも、

昔と同じ場所にはいない。

青島自身も、

もう若い刑事ではない。

背中を追う側から、

背中を見せる側になった。

だったら。

今、何が青島俊作を走らせている?

正義か。

現場か。

仲間か。

室井との約束か。

誰かを助けたいという思いか。

若い世代へ、

何かを渡すことか。

私は、

それを見たかった。

でも。

観終わって気づきました。

この問いは、

青島だけへの問いではありません。

そのまま、この映画自身へ返ってきている。

青島は走る。だが、この映画は走っていない
青島が走る。

私は、

それ自体は好きです。

緑のコート。

あの背中。

東京の街。

走る青島。

それだけで、

胸の奥にあるスイッチが入る。

だって、

青島俊作だから。

でも。

走るには、

理由がいる。

そして、

物語には、もっと強い理由がいる。

誰が何を望んでいるのか。

何を失いたくないのか。

なぜ今、この事件なのか。

なぜ今、この女子高校生2人なのか。

なぜ今、この若者たちなのか。

なぜ今、世代交代なのか。

そして。

なぜ、2026年にもう一度『踊る大捜査線』なのか。

ここです。

この中心に、

一つの熱がある。

その熱が、

笑いを動かす。

事件を動かす。

キャラクターを動かす。

懐かしい人たちにも、

新しい意味を与える。

全部が同じエンジンにつながった時、

映画は走り始める。

今回。

私は、

それが最後まで見えませんでした。

映像は走っている。

青島は走っている。

群衆も走る。

事件も次々起こる。

登場人物も多い。

昔のキャラクターも出る。

音楽も鳴る。

それでも、

映画そのものが私の心をつかんで、前へ引っ張っていかない。

これが、

私が感じた最大の問題でした。

青島へ、

「お前のエンジンはどこにある?」

と問う。

だったら私は、

映画へ問いたい。

この映画のエンジンは、どこにある?

それでも、『踊る』を嫌いになれない。そこが一番悔しい
嫌いなら、

こんなに書けない。

どうでもいい映画なら、

家まで歩きながら、

ずっと考えたりしない。

真下が出ればうれしい。

雪乃さんを見れば、

「ああ、二人の時間がここまで続いたんだ」

と思う。

スリーアミーゴスが並べば、

笑う前に、

まず胸が熱くなる。

青島が緑のコートを着れば、

それだけで、

昔の景色が戻ってくる。

そして、

「Love Somebody」が流れる。

もう、

ダメなんですよ。

心が勝手に反応する。

音楽と一緒に、

自分の人生の時間まで戻ってくる。

『踊る大捜査線』は、

いつの間にか、

ただのドラマではなくなっていた。

一本の映画でもない。

観てきた人間の人生の時間まで、一緒に抱えている作品になっていた。

だからこそ、

厳しくなる。

だからこそ、

簡単に「最高でした!」とは言えない。

好きだから、

言いたい。

こんなもんじゃないだろ。

と。

過去を愛することと、過去に頼ることは違う
長く続いたシリーズには、

ものすごい財産があります。

キャラクター。

名台詞。

名場面。

音楽。

観客の記憶。

新しく始まった作品には、

絶対に持てないものです。

すみれさんを映せば、

観客の胸が動く。

和久さんを映せば、

泣く。

室井さんを映せば、

何十年分もの記憶が、

一瞬で帰ってくる。

でも。

忘れてはいけない。

それは、過去作が作った力です。

今作には、

今作の仕事がある。

2026年に新しく作るなら、

2026年のこの一本で、

新しい記憶を作ってほしい。

昔の名場面を借りなくても泣ける。

昔の笑いの型をそのまま使わなくても笑える。

昔の人気キャラクターを大量に出さなくても、

今の青島俊作が格好いい。

初めて『踊る』を観た人でも、

一本の映画として心を奪われる。

昔から観てきた人なら、

そこへ自分の記憶が重なって、

さらに深く刺さる。

それが、

本当の復活じゃないでしょうか。

私は、

「帰ってきた『踊る』」

だけを見たいんじゃない。

「また始まった『踊る』」

を見たいんです。

過去を愛することと、

過去に頼ることは違う。

そして、

過去を継ぐことと、過去を再現することも違う。

私は今回、

そこを最後まで突き抜けてほしかった。

1997年から29年。青島だけじゃない。私たちも、歳を重ねた
1997年。

青島俊作は、

若かった。

現場へ飛び込み、

納得できないことへ怒り、

組織の壁へぶつかり、

それでも走った。

あれから、

29年。

歳を重ねたのは、

青島だけではありません。

観ていた私たちにも、29年がありました。

仕事をした。

失敗した。

誰かと出会った。

誰かと別れた。

家族が増えた人もいる。

大切な人を失った人もいる。

夢を諦めたこともある。

もう一度始めたこともある。

あの頃とは、

違う場所にいる。

きっと、

思い描いていた通りの29年だった人ばかりではないでしょう。

途中で立ち止まった人もいる。

自分だけ置いていかれたように感じた夜があった人もいる。

「こんなはずじゃなかった」

と思ったことがある人もいるかもしれない。

それでも。

今日まで来た。

私たちは、

1997年から、

ちゃんと29年を生きてきた。

だから、

昔の映像を見れば、

泣きます。

当たり前です。

画面の中にいる和久さんや室井さんだけじゃない。

その頃の自分まで、そこにいるから。

あの頃、

何を夢見ていたんだろう。

何に怒っていたんだろう。

誰を好きだったんだろう。

どんな未来が来ると思っていたんだろう。

スクリーンを見ながら、

そんな自分まで、

一瞬帰ってくる。

でも。

だからこそ。

過去の自分へ戻してくれるだけでは、

足りないんです。

私は、

1997年へ帰るためだけに、

2026年の映画館へ来たんじゃない。

1997年からここまで生きてきた今の自分を、もう一度前へ走らせてほしかった。

この記事を書きながら、

やっと分かりました。

私が、

復活した『踊る』へ求めていたもの。

それは、

懐かしさではなかった。

「まだ行けるぞ」

だったんです。

歳を重ねた。

失ったものもある。

若い頃のようにはいかないことも増えた。

それでも、

まだ終わっていない。

まだ誰かへ渡せるものがある。

まだ自分にしかできないことがある。

青島が、

それを見せてくれたら。

たぶん私は、

ものすごく泣いたと思います。

『踊る大捜査線』は、

そもそも、

過去へ帰る物語じゃなかった。

現場を変えたい。

組織を変えたい。

何かおかしいものを、

少しでも変えたい。

明日を、

今より少し良くしたい。

だから、

青島は走った。

だったら、

復活した『踊る』が向くべき場所も、

過去ではない。

次です。

次があるなら、私はまた行く。だから、今度こそ本気で悔しがらせてほしい
それでも。

もし次の『踊る』が作られるなら。

私は、

また映画館へ行きます。

たぶん、

公開初日から行くと思います。

だって、

青島俊作を、

まだ見たい。

今度こそ、

彼のエンジンを見たい。

室井慎次がいない世界で、

青島は何を守るのか。

何を背負っているのか。

若い人たちへ、

何を渡すのか。

そして、

何のために、

まだ走るのか。

そこを、

過去の名場面ではなく、

新しい物語そのもので見せてほしい。

昔の台詞ではなく、

今の青島の言葉で刺してほしい。

昔の映像ではなく、

今ここで起きていることで泣かせてほしい。

若者を外側から説明するのではなく、

その心の中まで入ってほしい。

「分からない」で終わらず、

分かろうとしてほしい。

真下勇気には、

本当にこの人だから事件を変えたと思わせてほしい。

青島から受け取ったものが、

次の世代の中で動き始める瞬間を見せてほしい。

そして、

映画館を出た時、

私は悔しいくらい泣きながら、

言いたい。

「これだよ。」

「これが、私が見たかった『踊る』だよ。」

と。

最後に。私が本当に見たかったもの
公開初日の朝。

最初の上映を観終わって、

電車に乗って。

最寄り駅から家まで歩きながら。

私は、

ずっとこの映画を考えていました。

なぜ、

こんなに引っかかるのか。

なぜ、

こんなに書きたいのか。

答えは、

単純でした。

好きだったからです。

好きだったから、

「帰ってきてくれてありがとう」

だけでは終われなかった。

青島の緑のコートを、

もう一度見られた。

それはうれしかった。

懐かしい人たちにも会えた。

音楽も聞けた。

過去の記憶も蘇った。

でも。

私は、思い出を確認するためだけに『踊る』を見てきたんじゃない。

このシリーズは、

いつだって、

私の知っている世界の少し先を走っていた。

警察組織。

現場と上層部。

インターネット。

メディア。

社会。

働くこと。

正義。

仲間。

『踊る』は、

時代の真ん中を走りながら、

その時代を笑い、

怒り、

疑い、

それでも人を信じようとしてきた。

たぶん、

私がいちばん好きだったのは、

そこなんです。

組織ではなく、

肩書でもなく、

年齢でもなく、

世代でもなく。

最後には、

目の前にいる人間を見る。

青島は、

そういう人だった。

だから、

私も走って追いかけた。

29年経った今だって、

本当は、

また追いかけたいんです。

そして今度は、

青島より若い人たちにも、

その背中を追いかけてほしい。

そのためには、

「最近の若者は分からない」

では終われない。

過去の人を再現するだけでも、

足りない。

若い人も。

歳を重ねた人も。

もういない人も。

今ここにいる人も。

一人の人間として見ること。

そして、

受け取ったものを、

次の誰かへ渡していくこと。

私は、

そんな『踊る』を見たかったんだと思います。

だから。

私の中に最後に残ったのは、

「駄作だった」

でもない。

「もう終わっていい」

でもない。

惜しい。

本当に、

惜しい。

ここまでの歴史がある。

これだけのキャラクターがいる。

何十年も待ってきた観客がいる。

そして何より。

青島俊作が、まだいる。

こんなに贅沢なものを持って、

もう一度『踊る大捜査線』を作れる。

そんな奇跡は、

何度も起きません。

だったら。

懐かしさの向こうへ行ってほしい。

ファンサービスの向こうへ行ってほしい。

「昔と同じだね」

を超えてほしい。

過去の人たちを再現するのではなく、

彼らから受け取った魂で、新しい物語を作ってほしい。

私は、

2026年の『踊る大捜査線』にしか出せない、

2026年の誇りを見たい。

青島。

帰ってきてくれて、

うれしかった。

本当に。

でも。

私は、

「おかえり」だけで終わりたくない。

次は、

「行こう」

と言わせてほしい。

あの頃へ戻るんじゃない。

まだ見たことのない場所へ。

青島は、

もう走り出した。

私たちだって、

まだ終わっていない。

だったら、

次に問われているのは、

映画の方です。

『踊る大捜査線』。

お前のエンジンは、どこにある?

私はまだ、

その答えを待っています。

天豆(てんまめ)
背骨
3.2
ドラマと劇場版2までしか観てないニワカの感想。スベる事を全く恐れてないギャグ、突然思い出したようにブチ込まれるカッコつけ演出、パロディ満載で中身があるようでないようなストーリー… 良くも悪くも昔の雰囲気そのままな感じが懐かしい

ネットやAI、若者への目線などに対するあまりにも浅い描き方にゲンナリするけど、そもそもそこまで期待はしてないし、昔からのファンが喜ぶならこれでも全然いいんじゃないでしょうか

変わらないアツさも持ちながら、若手に対してひたすら優しい青島がいい歳の取り方をしていて、ある種の和久イズムを感じさせるところはよかったかな
3.8
ハシゴ2本目。


久しぶりの踊る大捜査。
前に映画で観た室井さんに感動しましたが、こちらはわくわくする作品でした✨

新宿のホテルでの連続殺人事件。事件を仕切るのは真下の息子。飛び級でハーバード卒で21歳役だったのに40歳のまっすーはちょっと無理があったような💦

AIを使った今時の捜査で面白かったです✨

踊るシリーズはやっぱり音楽がいいなぁ🥹
スリーアミーゴス課長しか生き残ってないと思ってたので3人でてびっくりしました🫢


同窓会みたいな作品で楽しかったです✨
佐藤二郎もちゃんと活躍して安心しました🥹

『踊る大捜査線 N.E.W. メトロポリスを駆け抜けろ!』に似ている作品

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