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『エナモラーダ』に投稿された感想・評価

◎強面革命将軍の百夜通い じゃじゃ馬小町も靡く

1946年 パナメリカン•フィルムス モノクロ 99分
スタンダード *復元版のため画像、音声とも鮮明

これは素晴らしい。

財産家の貴族の娘ベアトリス(マリアフェリックス)の、じゃじゃ馬ぶりが徹底しているし、カメラアングルも人物を仰角で撮ったり変化に富んで飽きないし、何より背景含めて構図がバッチリ決まっていて常に美しい。

やたらデコった教会が凄かったけど、有名な建造物なんだろうか。

神父(フェルナンド・フェルナンデス)が練習しているシューベルトの『アヴェ・マリア』のコーラスはイマイチだったが、ホセ・ファン将軍(ペドロ・アルメンダリス)がベアトリスのいる窓辺に向かって歌わせる3人組の楽士たちの弾き語りには聴き惚れた。

《参考》
*1 国立映画アーカイブ作品紹介
www.nfaj.go.jp/program/mexico202501-8/

*2
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/愛_(1946年の映画)

*3 【特別公開】メキシコ映画に溺れたい(星野智幸)
2025.01.10 『世界』2025年2月号
websekai.iwanami.co.jp/posts/8573

*4 誰も呼んでくれない夜 2025-01-10
『エナモラーダ』『女隊長アングスティアス』
nakayama611111.hatenablog.com/entry/2025/01/10/113047

*5 Luchando cada día 2008/11/11 0:13:54
メキシコの大女優達
salsita-latin.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-0949.html

*6 メキシコなあなあイズム(アメブロ版)
4月8日はマリア・フェリックスさま御生誕の日だそうです
2023-04-10 11:16:00
ameblo.jp/26pokorin/entry-12797758230.html

《上映館公式ページ》
京都文化博物館
メキシコ映画の大回顧
2025.2.26(水) 〜 3.9(日)
会場: 3階 フィルムシアター
www.bunpaku.or.jp/exhi_film_post/20250226-0309/
 モノクロ時代のメキシコ映画ってあまり見たことなかったので新鮮だった。

 全体の絵面的にはメキシコ舞台のハリウッド西部劇やマカロニ・ウエスタンとあんまり変わらないんだけど、台詞の節々や細部を観てみるとハリウッドではあまり観られないような絵面や台詞が出てくるのが面白かったな。

/嫌味で「娼婦や女性兵と一緒になれば?」という貴族令嬢のヒロインに対して革命軍将軍が「女性兵たちを娼婦と一緒にするな!」とブチギレたりするところとか、フィアンセ(パット見WASP)との結婚の際に父親が「夫が外国人ということは、わが家には人種差別がないということ。だからこそメキシコ人女性の責任は重大だ」っていうところとか、もちろん結末も、ハリウッドとは違う国民性みたいなものが出てると思う

/将軍の東方の三博士の解釈も面白かった。
✔️🔸『エナモラーダ』(3.9)🔸『女隊長アングスティアス』(3.2)🔸『マリア・カンデラリア』(3.6)🔸『黄金の鶏』(3.9)▶️▶️

 今回の馴染み薄い中米某国映画特集、極めて著名歴史的撮影監督、チョコチョコ見かける俳優に比べ、不勉強で、監督に、スペインの巨人ブニュエル以外は、知った名前は2人しかいなかった。逆にそんなんでも知ってるということは、世界的なビッグネーム、不用意怠りなしの普遍的魅力もたっぷり、の世界も味わえた。
 フェルナンデス=フィゲロア。このメキシコを代表する演出=撮影コンビの作は、30年くらい前か、アテネフランセで『真珠』『雷雲』らを観たきりだが、土俗風俗についてと映像の正確さは見事で傑作クラスは間違いなしという感じだった(当時の感想探せば詳しく出てくるが)が、俗な面白さワクワク感は今一つだったか。『エナ~』。今回はより初期の作が上映され、デクパージュの密度、つまり完成度というのかは今一つも、音と絵の反応のインパクト、革命と愛のロマンチシズム等の伝播に、映画の子供じみた意地や勢いが溶け込み、主演二人が馴染みのスターであることも相まり、極めて親しみやすく愛おしく、革命の狭義を越えた作となってる。19世紀の序盤、革命勢力の若い将軍率いる一軍が、政府軍が迫る前に、陥れた1都市の旧態勢力を排除処刑する中で、その気概や人間的魅力にも心許し、自らも変わってく話。
 自然な光線下の陰影の正確さや細かな細部立体造型まで、確かな構図とカメラワークで捉え、教会の天井の半球凹みの煌めき美術への主観移動らは映画を超える。フォローや横縦移動、左右への移動とパンのフラつき。トゥショットや90゜変、視界先の人との切返し、らはかなり甘い。仰俯瞰図の威容の多様。
 金や立場におもねる者らを敵味方関係なく処刑処罰する、信念持つ者は尊ぶ、理想持つは敵でも。身分階級違うも、安定や気品は大事。その差を互いに降りて本当の平等。人種差超えより大事。恋を知る。臆病振り切り謝る。これまでのように戦って負けるより、高潔に退却を学ぶ。『モロッコ』的ラスト。
 旧友の神父に確かめながら、旧制度の主の娘に恋心を抱き、反発され、からかわれる場面で、『じゃじゃ馬ならし』ならぬスラプスティック手法が使われるが、フェリックスの地力で浮かない。ダイナマイト、及び余波の花火で吹っ飛ぶ将軍と自ら潜む小屋。扉に入ろうとする将軍を心許したと引きつける度に、扉を閉めて顔をぶち当てる。のちの『真珠』らに比べると、映画の完成度は劣るも、親しみやすさでは上の作。
………………………………………………
 FCに所蔵プリントにも似た革命扱った映画があったのも上映された。『女隊長~』。比べると、日本人の維新ものみたいなメキシコ革命ものを、ストレートに紛い物なく伝えてくれる。移動や寄り入れ、アクション対応、スペクタクル、切ない感情絡みらが、直に感動的にくる。真俯瞰の群の図、フォローや(掻き分け)寄る、スッキリどんでん図、繰り返し、大群のうごめき、DIS、ら。
 先住民の血の顔の色の黒さ差別へのコンプレックス、飼っていた山羊群の教訓での男本性の冷たさへの不信、を生涯持ち続けたヒロインが、育ての老婆から、嘗て革命英雄だった実父、に育てられてて、悪漢らにさらわれてその1人に助けられ逃げる中、自らの出自を宣言、常にカバーの彼を副官にしての、革命軍の隊長になって、非情で盛大効果の進軍を描く作。語学教える白人に恋し、戦いの気力失うも、命落とす副官の離れず、にほだされ、革命にもどる、感動編。よくもできてるが、コクはそうない。
 「自由と大地。貧しい農民と弱い女らの味方、共に」「黒さ残る先住民。白人との異人種婚は」「神の力。副官の私は死んでのこる、これからは隊長1人で。恋もだが、仲間をこそ」
………………………………………………
 また、墨国からの提供作群のなかに、黄金コンビの初期作品がもう1本。水豊かな地方の先住民の村。娼婦の母の所業への差別的対処が続き、本人に理由なくも村人から迫害される(離れて住まされ・売り物の花の貨幣変換もままならず金銭払いも難・均等に配られる筈の政府からの配給薬も届かぬ・ら)花売りのインディオの娘の死の悲劇を、大画家が事件から三十数年経って回想する内容だが、ヒロインとその恋人の、悲劇苦劇が叙情的に一方的に語られる比重が大きく、村八分を進める共同体の、恋絡みジェラシーや亡母への恥の概念を越える、具体手触り匂いは弱い。
 しかし、その分撮影と美術が一体に溶け合っての、丸太橋や微細な土手のヒロインの家辺、河を滑る花売りカヌーや大漁キャベツらを運び出す埋めつくし多船ら威容、聖母像を呪いまた崇め直す像と人の仰俯瞰や縦の図。それらに対する横へのフォロー限り無し・縦に寄る力・その他営みに微細なフィット移動、仰俯瞰の大Lを含む空気感、どんでんの限りない自然伸び感、異サイズや角度の切返しの映画に留まらぬ落ち着き、カラーの頂点『黒水仙』に匹敵するくらいだ。松明群の各寄りフォローカット連ねの弾力表現もあるが。
 やはり、米大スターの帰還への気兼ねでもないだろうが(彼女は身体を汚し張って頑張ってるが、ラスト等疑い晴れてか花に埋められ、船群大葬儀村ぐるみはやり過ぎかな)、疫病でも政府配布の薬を彼女に回さない、それでの恋人の盗みに懲役、彼女らの味方は外部めの神父や画家らだけ、その画家に見込まれ神格化されてのモデルも顔から下は他モデルなのにヌード晒しと思い込み「恥」と集団追い込みリンチへ。この地の美しさに離れなれないとしてたヒロインが、恋人とやっと去る気になってたのに、病や懲役で遅れ、外部に素直な心開いたばかりの時の事。「死者の祭」が美術的にも概念的にもしっかり絡んでる。
………………………………………………
 そして日本でも20世紀のうちから著名で、私でも知ってメキシコ人監督がもう一人認められた。リプステイン。但し傑作の存在を個人的に認めたのは、20世紀末のフェルナンデスに比べ、極く最近の事だ。今回の80年代の作、『黄金の鶏』は、初期の際立つ気力のこもった造型とテーマ、20C末になっての技法や語り口の余裕ある実験も兼ねた展開、に比べ無駄な力が籠っておらず、無意味な長回しもなく、寧ろ望遠Mサイズ対応の方が味わいの中心となり、時間も20年くらいに及ぶだらしなさであり、語りを楽しみ、人生を満喫してる感。虚無も感慨。取り分け、主人公に不思議に永く絡んでくるヒロインの女優さんに惹かれ続けた。それ程特筆扱いでもなく、出方もいつしか添いかたも消え方もありきたりだが、その処遇を越えた印象が染み込んでくる。この作家の最高作にまで無理なくトーンを引き上げてる。
 汚れスモーキーからいつも雨降ってる状態のこの作家の世界、母の衰えから病死も疎かにする、闘鶏狂いの貧しい男の話、コックスの名作に対抗狙いかと思ってると、カードの腕を見いだしてくれる脚の悪い旦那、前から何度も出逢い接近ものバンドを従えた女歌手が関わってくる半生に及ぶ話にズレ行く。旦那の妻となるもその豪邸から逃げ来た女と暮らし、カードの腕も冴え蓄えもでき、娘も成すように。再会旦那との一騎討ちは、旦那が止めないので、屋敷ごと我が物に、旦那を追い出す形に。しかし、「閉じ込めらるのは嫌。窮屈。旅に脱出したい」気持ちを抱え続けの妻は衰弱してく。家出して、バンド仲間に戻るも、見るからに力衰え分かり、娘が十代半ばになったのを代わりに立てるも持って生まれた力なし。戻った彼女は、元より札を越えた御守りで主人公の強運の源であったは旦那の言うとおりだったが、彼は仲間と大博奕カードをしてて敗けが止まらず全てを失なってしまう。酔いを超え、衰弱死してた妻。元の木阿弥になる主人公だが、独立した娘は母の歌手重責をいつしかこなしてる。
 気だるく因習的も人なつっこい風土感、(繰返すが印象的な)薄汚いスモーキーから雨の絶えない土地の環境空気の色あい、スモーキー赤めの光点滅、90°変やドリー・ズームの着実さ、中にはドリー+(逆)ズームも、亡き母の抱えた壊れ人形や彼女の為に買った立派棺が遺体を見失ったを・妻の死に充てる等の妙な役立て繰返し感、時間経過を表すのに字幕もだが体感的に長いFOの挟まり。力みない、大層何事にもならぬ味わいと処理のこの作家最上級の名作。









    直後感
●『エ』。信念、理想が敵、敵でも、身分階級、降りて平等、人種差なしへ、心だけ、戦って負けるより高潔退却、安定へ、恋とは。臆病やめて謝る、金とすがり
音と反応カットー連、仰天井円み、フォローと寄ると左右~パン、仰俯瞰、アップ表情、90°、
●『女』。黒先住民、異種婚何と、男ら山羊、孤児には、貧農民と女ら、副官死これから隊長一人で、神の力、革命万歳。自由と大地
ま俯瞰、フォロー、寄る、どんでんスッキリ、大群、
●『黄』。スモーキーから雨いつも、90°、ズームか前後、Z+ドリー、赤め光点滅、汚れ、人形、御守り、館、旦那、鶏、カード。FO、
逆転、閉じ込められ、窮屈、旅へ、何故死、棺、娘、銃。腕いい。
 

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