磔刑

それいけ!アンパンマン だだんだんとふたごの星の磔刑のレビュー・感想・評価

4.1
「成長と普遍のアンサンブル」

まだアンパンマンビギナーなので劇場版鑑賞は2作目なのだが前回観た『勇気の花が開くとき』よりも遥かに演出能力が向上しており、アニメ映画を観ていると言うよりは映画を観ている感覚に限りなく近い。

特にそう思わせるのはピンチやチャンスといった視覚的に派手な演出や効果で観る者の興味を持続させるのではなく、“間”で演出する事に比重を置きキャラクターやストーリーの一つ一つに余白を作り、想像の余地と言う興味で観る者にアプローチしている点だ。その手法は児童向けアニメとは思えないぐらいテクニカルで一般の映画と遜色がない演出力である。
児童向けアニメに限らずアニメや漫画のコンテンツでは設定やストーリーの情報全てを観客に開示してから物語を進める傾向があり、その稚拙さには辟易させられていた。しかし今作の消えたキラリ。突然現れたギラリ。意思を持っただだんだん。迫り来るデビルスター。キララとキラリのケンカの行方。と物語の推進力と観客の興味の対象を担う複数の要素、事柄、その発端の多くを語らず、物語の流れの中で少しずつ真実を明かす語り口には美しさすら感じる。映画の演出力とアニメキャラのケレン味が相まって一つの美しい詩を聞いた後の様な余韻を感じる一作だ。

本作が掲げる“闘争から生まれる新たな悲劇”と“子供(兄弟)同士のケンカ”と言った身近な要素を密接にリンクさせている点も幼児に十分なメッセージ性が受け取れるし、その普遍性は大人でも十分心が動かされる。ケンカは大体些細な原因である事が多いが、互いの意地の張り合いからいつのまにかケンカの発端すら見失う事がある。つべこべ言わず謝る重要性を説くのは老いも若きも納得の一言に尽きる。

アンパンマンと対面し、毒づくキララはアンパンマンの視聴者層そのものだ。それを優しく諭し、微笑みかけるアンパンマンこそ幼児の面倒を見る保育士や両親の姿と重なり、身近な存在でありながら偉大で尊いヒーローの化身として描いている。ワガママで身勝手で可愛げが無いと感じるキララやキララ姫に観る者の抱く感情によって観る者がアンパンマン(理想の大人)にどれほどの近づいているかのパラメータになっているとも言える。
今作のばいきんまんはメインヴィランよりは場をかき乱すトリックスター的立ち位置だ。アンパンマン&キララとだだんだん&ギラリとの対立すら意に介さず、アンパンマンを倒す事だけに実直に行動する姿は寧ろ愛おしさすら感じる。『ルパン三世』の銭形警部や『バットマン』のジョーカーと同様のヒーローに対する普遍的で対照的なヴィランの姿をコミカルに描いている。

全体的な完成度は高いが突出した魅せ場が無い点は本作の弱みでもり、作品の起伏が乏しく平坦な印象を受ける。“スターライトアンパンチ”の流れも“ロケットアンパンチ”程の破壊力は無く、その一点突破の破壊力が備わっていれば完璧な作品と言えただろう。
ラストの大落ちをだだんだんに持っていった点も綺麗と言うよりはシュールに感じる。ギラリとキラリのケンカから共闘する流れは一貫してるし、悪から善へと変化するだだんだんがキララとキラリの関係性を表しておるのは十分理解できる。しかしだだんだんに本当の心が芽生えるか否か、それをだだんだんが望んでいたか、そしてそのだだんだんの物語とキラリとキララの物語がリンクしているかと言われると首を傾げたくなる。

製作サイドの想定外の笑いが一切無い点からも今作の纏まりの良さが伺える。こてっちゃんが出てきた時には「このキャラ人気なの!?」って思ったのだが『勇気の花が開くとき』から10年ぶりの登場らしく、こてっちゃんを推しキャラにしろという啓示に感じてしまった。ずっと“だんだだん”だと勘違いしてた。映画版のアンパンマンって基本的に宇宙規模なんですね。
そもそも今作の構成って完全にアメコミ映画のそれと同じなんですよね。アメコミ映画自体人生観を記号化、簡略化した作品なんだけれどもアンパンマンはそれをより顕著しているのだけで根本は全く一緒なのだと感じる。なのでアメコミ映画好きは楽しめるジャンルだと思う。何より今作でアンパンマンのエンターテイメントとしてのポテンシャルの高さ、可能性の大きさを改めで感じた。
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