Anima48

プラトーンのAnima48のレビュー・感想・評価

プラトーン(1986年製作の映画)
4.8
新社会人の頃大変な現場に着いた初日、長時間勤務を終えたベテランが、疲れで死んだ目で去るのを見ていた。僕は無事にやり抜けるのか?自信無さげな教育係が強がっていたのを覚えてる。”ここに来てよかったんだろうか?”洋の東西や深刻さを問わず新人の想いは同じらしい。

あの“弦楽のためのアダージョ”が死者を悼むように流れる。“若者よ、若いうちに楽しめ”という言葉の後、戦場で若者たちの身体も心も死んでいく様子が描かれる。常に恐怖に襲われ疲れは抜けない。蛇や毒虫、暑さと湿気で不快なジャングルは見通しが悪く敵が潜んでいてもわからない。そこに分け入っていく闇夜のパトロール、一歩踏み出すごとに待ち伏せ、ブービートラップの恐れがあり、味方の誤射で死ぬことや味方同士の罪の擦り付けもある。敵の兵士の顔はまともに映らないし話している言葉もわからない、敵兵の想いや苦しみが語られることはなくて、この戦争の意義が語られることもない。ただ殺されるから撃ち返す、出来ることは帰国までの日数を数えることだけ。お荷物の新人の面倒なんて見ない。慈悲を捨てないとやられる、他の人間を信用してはいけない。もう誰の為に何のためにやっているかわからない。戦場から離れても悪人が良識の範囲の酒やカード等の娯楽を嗜み、善人が軍規・良俗に反して大麻を吸っている、クリスはすべてがぼんやりしてきて、何が正しくて、何が誤りかもわからない。

パトロール中でのいきなりの遭遇戦や待ち伏せの時に地雷を起動できなかったり、味方の手榴弾でけが人がでたり、砲撃による誤爆など戦争ではトラブル続きで誰も先を見通せない。クリスは、匍匐前進をしながら手榴弾を投げたり、地雷を駆使したりと兵士として慣れていく。ゲリラのトンネル基地への潜入や部下3人を敵の向かう先に配置して自分は側面に回り込み襲撃する作戦を立てるエリアス。誤爆の中、正確に砲撃位置を修正していくバーンズ。陣地が包囲され穴の中で至近距離でスコップまで使って抗戦する小隊、照明弾に揺らめくジャングルの影や至近着弾とかベトナムでの色々な戦い方が繰り広げられていく

そしてサーチ&デストロイ、村が廃墟に変わる。村人は北ベトナムに脅され武器を託されるし、アメリカ兵からも脅されて、ただ混乱の中で立ち尽くしている。故郷の防衛戦というのは自分の町や村が戦場に変わる事で、兵士でなくても戦場のロジックに巻き込まれてしまう怖さが伝わってくる。敵の手引きの疑いが不安や復讐心を産んで恐怖そして怒りに変わり、その怒りは彼らにとって正義になる。そして暴力が生まれる。指揮官は暴走した部下を抑えられない、悪事も見て見ぬふりをするし信頼もされていない。あの混乱した世界で指図する人の無力さ・欺瞞が心に残る。

悪意がまかり通る異常事態ではバーンズのような人間が優秀で頼もしいのだろう。バーンズは単なる極悪非道ではない、新兵の面倒も見るし、優秀な指揮で仲間を救い窮地を切り抜ける頼もしさ、有能さも当然ある。けれど、尋問の為に村長の妻を彼の前で撃ち殺してしまい、子供を人質にする。バーンズはそういった残忍さを部下に押し付けていく、それは戦場を生き残るため、部下を生きて連れて帰るため、例外は許さない。あれが彼の戦争での正義、優しさや思いやりは美徳ではない。小隊を彼のような戦闘マシーン•殲滅システムの集団にしていこうとしているようだった。そして彼はエリアスのような優しさを捨てない異質な人間が邪魔で疎ましい。それは悪とも映ったのかもしれない。戦場に過剰に順応して恐竜のように進化してしまったバーンズ。彼が故国に帰る事ができてもそこに彼の為の場所を見つけるのは難しいだろう。

クリスは自覚することなく次第に戦争というよりもこの小隊に適応していく。“理性が通じない場所まさにここが地獄だ”。極限状態で人は倫理を維持できるのだろうか?戦争だから、殺し合いだから、特殊な価値観が平時のそれと入れ替わっていく、戦争の非人間的な力だと思う。クリスだって当然無垢ではいられない、青年を脅してさらには彼が殺害されるきっかけを作ってしまう。多くの民間人が殺され、村は燃やし尽くされる。その中でエリアスはバーンズから子供を救い、クリスが暴行から少女を救う。でも少女を救ったのは単純に正義感だけではなく、彼の贖罪なのかもしれない、でも遅すぎたかもしれない。

エリアスは新兵にも気を配り、この戦争は負ける、俺たちは横暴すぎたと語る。けれど聖人や平和主義者ではない。敵の進行を予想し回り込み撃退していく中、高揚して雄たけびも上げる。あの二人の下士官が出会った時一人は微笑み、一人は狙いを定めた視線を外さない。敵兵や味方の爆撃の中、集合場所に急ぐエリアスの姿を見下ろすシーン、悪意や殺意・怠慢の中で善意がボロボロになりながらもなんとか生き延びようとしている姿を神が見下ろしているようだった。(でもそこには悪意に満ちた裏切り者もいる。)あの天を仰いで手を伸ばした姿は報われない良心が嘆いているようにも見えるし、ヘリに連れ帰ってくれるように頼みこむようにも、裏切りを告発するようにも見える。そして“わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか。”という言葉も十字架とともに思い出す。デフォーが演じたエリアスはある種のアイコンになったと思う。そして次の言葉も思い出す。“彼らをお許しください。彼らは何をしているのか、解らずにいるのです。”

クリス=監督の何があったかをしっかり伝える姿勢のおかげで、僕達は何がベトナムで行われたかに触れた。本当に怖かったし、倫理を守り切れない弱さや混乱にも触れた。その重さをしっかり受け取っていきたい。
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