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ボーはおそれているのAnima48のレビュー・感想・評価

ボーはおそれている(2023年製作の映画)
4.0
学校の卒業式に間に合わない、何故か部屋を出れない。そんな夢を見ることってよくある。

母の葬式へ帰省する男という単純な話が、罪悪感と痛み、混乱に満ちたユダヤ系アメリカ人のオデッセイというかユリシーズへ発展すると漫画みたく誇張された偏執狂的なコントの連続になる。結果ジャンルの型や決まり文句に踊らされず、これまで見たことのない映画になっちゃった。筋道は組替えられ、膨らませ、一本道でなく行き来して帰省の道程のどこまで来たかも判らない、一体どうなってると迷いながら見続けてしまう。実家に近づいているのか遠ざかってるのか分からない、母を愛してるのか避けてるのか分からない。結局、車で送ってもらってスッと着いちゃうし、何だろう?とはいえ悪夢はまるでこの世自体が彼を破滅させようと決めてる感じで物事が全てある方向に向かい、こちらはただ困惑させられて突然に終わる。....でも万人受けするパターン化した作品に飽きて、とにかく見た事がない映画に出会いたい時には物凄い眩しさを持った作品なのかも。

主人公であるボーのボーの一人称視点のようなスタイルで話は進む、でも疾患を持っているボーの目に見えていることが信用出来ないため、画面の中で起きていることが現実なのか、悪夢の中にいるのか、それとも現実の荒廃が薬物や狂乱のフィルターを通して映っているのかどうかわからない。

4パートにわたり物理-不条理な他人とのやりとり-妄想-肉親との宿命-の順に悪趣味な絵本のようなトラブルが続く、ユリシーズ宜しくトーンも変わるし。旅するボーがピンボールのようにあちらこちらに小突き回され飛ばされるというよりもカクテルシェーカーの中の氷のように狭い空間の中で滅茶苦茶にされちゃう。最悪の瞬間は更新され続けて、旅路が進むにつれて不条理さは抽象度を増していく。けれどあの苦闘の旅路に仲間はいない、一人ぼっちのボー。

監督の作品は被虐待演技が得意な俳優の発表会みたい。大人に成長できなかった少年がただ衰えた薄い白髪頭の中年風情に成り果てたようなボーの声はか弱い。恐れているというよりは怯えておどおどしてた、純粋なのか無邪気なのかそんな不気味さ。中年男性が暗い表情で極端なトラブルに右往左往し続ける、街中にセルフレジに困惑するおじさんを意地悪く見るようなそんな目線を感じてしまう。監督はこちらを嫌な気分にさせる事にやたら熱心だった。

最初の2パート、混乱を見つめる病んだ愉しさがある。ボーはマッドマックスとボスの絵を掛け合わせたような街で、アダルトショップを備えた落書きだらけの汚いアパートに住んでいる、夜の悪夢の情景に思った喧騒が白昼堂々続く病んだ悲しい世界。浮浪者、ギャング、裸の殺人犯から走って玄関先に逃げる。でもその先の家具があまりない部屋は寒々しくて安全に見えない。

私達が日常でも覚える小さな不安の種は大きく育っていく。鍵をかけたか-支払いは足りるか-安全に眠れるか-あらぬ誤解を受けていないか-家から閉め出される-飛行機に乗り遅れるかも。あのトラブルは実は母に会いたくないという心の有様?フロイトみたいだけど。なんだか自分もボーへの階段を登っているような気がする。クレジットカード止めたのも母親?まるでボーに自由意志がないように見えるほどの無力感、罪悪感、羞恥心、屈辱......あるのは母を失望させたくないという執着だけ、日常生活とつながりがある序盤でも彼に話しかけてくれるのは母親の電話だけだった。

一転ブルジョワ風の郊外では押し付けがましい親切を居心地悪く受け取る 無理やりな親密の中に見え隠れする敵意。一家を上げて歓待してくれるけれど何だろう?まるで“子供が寝る時間だから奥さんからは早く帰れ”と無言の圧を受けるようなそんなストレス。

部屋空間に閉じ込められるというよりは足止めされる、どこかに行かなくてはいけないのに出発できない焦燥感のシーンが続く。父の命日で帰るはずが母の怪死の真意を確かめる為、葬式に間に合って親族として最後責任を果たす為と帰省のプレッシャーが高まっていく。だけど自分自身の妄想に囚われてなかなか帰りつけない。ボーは自分で判断できない、状況がおこるとやむを得ず動き出し失敗し続け、虐待され続ける。実際ボーは気を失うことでしか前に進めない。

途中で脇道にそれて舞台劇からアニメーションに至る華麗なファンタジー、こうだったかもしれない人生、可能性が楽しく描かれる。綺麗でとても楽しめた。独身で40を超えると子供を持って楽しい家庭を持っていたかもしれない自分を妄想しがちかも、でもそのための心構えや資質をボーは持っていない。それは子供が親とうまくいかないと、“実は孤児じゃないか”“お金持ちの親がべつにどこかにいるんじゃないか”と抱く自分勝手な妄想に似ている。

妄想は初体験が出来ないという母が仕込んだ安全装置により停止する。初体験は大人になる通過儀礼、でも母に拭き込まれた“セックスで絶頂を迎えると死んでしまう”嘘の為に性的欲望の先の子作りや家族を成す事ができない。憧れていた彼女にお膳立てされて童貞を捨てるのも意気地のない男の都合の良い夢物語のような棚ぼたで、あれでは大人の階段を滑り落ちてるかエスカレーター式に卒業させられたようなもの。母親に初体験をがぶり付きで見られるって最悪、でもボーにきまり悪さはないようだった。ボー中では性に母は織り込み済みなんだろうか?あの場で成人になるチャンスを失ってしまい、結局は裁きの時を迎える。

水は羊水であり、命と同時にトラブルの予兆で容赦なくボーを溺れさす。愛を受けているのにその自覚はなく自分がその愛を裏切っている事に気が付かない。子なら母から無条件に与えられていると思っていた愛情、それが母からはGive&Takeの文脈で考えられていたら?与えられた愛情に自分がお返しができず相手が欲求不満になってしまっていたなら?そもそもそれは愛情ではなくてただの支配欲求だったら?そして最後に公にそのことの不首尾について責められる。生まれてきた意味ってなんだろう?生まれてきたこと自体過ちだったのかもしれない。それは子供の原罪?親の宿命?いずれにしろ呪われた関係は再生産していく。彼は苦しんで羊水から出て虐げられ羊水へ母体回帰する、母親の手で悪夢のような幸福が円環の形になってしまう。

当初のボーの暮らしぶりから母親がCEOというのが意外、ボーの世界は治療や福祉の現場、言ってみれば邪悪な母性によるトゥルーマンズショー。生まれた途端に頭を打つという暴力に見舞われたボーの疾患、子供のすべてを把握していたというよりは商品開発や企業広報やマーケテイングに利用してきた?親子の人生=会社になってたようだった。何らかの疾患を持つボー。なのに“みんな違ってみんないい。”なんて多様性のある甘い文句はボーの元に届かない、モナはそんなボーを矯正しようとしたのかもしれない。

モナのような社会の成功者やメインストリームの人から詰め寄られると社会から思い切り疎外感や身の置所のなさを感じてしまう。それは生まれや宗教だけで差別をうけてしまったり、能力のなさや精神的なトラブルゆえに自己責任とか非効率といって社会から切り捨てられてしまう存在にとっては日々毎日続く責め苦。口下手に反論しても自分達に都合の良い完璧に見える正論で駆逐されてしまう。ボーはそんな毎日を生きている、そしてだれにも寄り添われずどこに続くかわからない路を歩いていかなくては行けない。

時間感覚が狂う、筋書きの見えないドラマでも普通は上映時間だけはいじれない。学生のころ部活の練習でいつ終わるかわからないシャトルランとかあって、このあたりで終わるかなと思ったらまだ終わらない。そんな感じで3時間という長丁場の中、このあたりで終劇かな思うけれどソコからまだ話は展開する、思ってみない方向に。本当に行方がわからない感覚で、でも自分の人生も予想がつかないことも思い知らされた気がするし、3時間の長さのおかげでボーの終わりのない苦しみや生きづらさに少し触れたような気もする。

..そんな日々を明日も生きていく行き詰まった人達がいる。
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