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バービーのAnima48のレビュー・感想・評価

バービー(2023年製作の映画)
4.5
“ご飯ができましたよ!”コンロやレンジ付きのリカちゃんキッチンを手に入れた幼馴染は得意満面。“お刺身が食べたいです!”と返して涙ぐませてしまった、幼稚園のあの日。

ピンク、ピンク、ピンク!たまに紫、アクアマリン。消費者製品安全改善法適合の安全で平和な完璧な楽園、水のない街バービータウン。バービーは壁のない家から隣家の友達に手を振り、紙パックから透明ミルクを注ぎ、トースターから飛び出したプラスチックのワッフルを食べる、遊び手によりバービーはどこでもすっと置けるから2階から宙を飛んで、ピンクのクラッシクなオープンカーで水のないビーチに出かける。太陽と雨は降らなさそうなのに虹に溢れた西海岸風の町。きっと臭いもないんだろう、あるとしたら香水かチョコレートの匂い?人間以外の生身無しのプラスチック製の楽園。救急車やキッチンはままごと遊びのようだった。本当にお人形遊びの再現度が高い。きれいな砂浜、..あれじゃ海の家の焼きそば食べれないじゃん。お菓子や甘いものばかりのあの町で寿司はありますかね?多分カリフォルニアロールが出てくるんだろう。

バービーの世界の映画化だけどバービーを題材に世界を眺める作品でもあったのかな?世界観の再現度、監督の世界観、世の中の変化、バービー自体の受容度とか、映画化に課せられたハードルは沢山ある。それらをクリアしていく曲芸飛行のような作劇が本当に愉しい。女性男性を超えて色んな事を笑わせると同時に考え気づかせてくれる。特にケンを使った男社会への目線、グロリアの母親としての声は脚本が本当に素敵。あるシーンでハッと思い当たる事があってその余韻か収まる前に新しい視点に出会える。男女それぞれから見た視点やバービー自身を振り返ったり笑い物にしたりと盛り込まれた視点の多さに目が眩む。作品が語りたいだろう事、喩え、屈折などが多くて実験というか頭の体操をしているような体験だった。あの冒頭は、キャラクタームービーという枠を超えた目線の高さへと客席を打ち上げるためのカタパルトだったのかもしれない。まるでバーで隣り合わせた人と最初は笑い話で盛り上がり数時間後は人生について真面目な語りをしてる、そんな感じの心境の変化も味わえる。

バービータウンでは女性はみんなバービーで男性は数人の例外を除いてみんなケン。グラマーでマッチョで性的魅力を過剰に備えている彼女ら彼らには性器がない。大幅に性欲もオミットされている。生物学的な衝動抜きの平和な完璧な世界。主人公バービーは基本タイプで、各タイプ(弁護士、宇宙飛行士、宅配ドライバー、最高裁判事、そして大統領)他のラインナップのバービー達もいる。名前がついている地位≒仕事についているのは全て女性、男性は性格付けも職業もなく愚か。ただ単にボーイフレンドかそれ意外という役割しか与えられていない。

町の様子が客席から新奇に映るのは男性上位の世界に慣れてるから。ケン達は境遇に疑問を抱かず結束することもない。バービー誕生時の1950年代の世界の裏返のようで、そこからあまり進歩していないみたい、もう一度裏返すと古き良きアメリカになるのかな?むしろ世の中の根っこはそんなに変わってないかも。

マーゴット・ロビーが素敵、素敵な笑顔からかすかな戸惑い、涙。現実とファンタジーが微かに重なり合うポイントにバランスを取っていた。演じるのは人気者故に物議を醸し長年愛され嫌われる人形。色んな洋服やヘアスタイルを身に纏いエリート職にも就き、「You Can Be Anything(あなたは何にでもなれる)」という平等と可能性を高らかに謳うプロフェッショナル・フェミニズムの具現化。でも細いウェストと虚ろな笑みを浮かべた男性の夢の肉体も備えた複雑な存在。いってみればバービーは実際に男性社会の妄想の的であり、安定を壊す悪夢でもある

向かい風の現実世界でバービーは、下品な声がけや老い等の女の子たちを置かれた状況に触れる。歓迎してくれる筈の10代の娘からは、バービーを男受けが良いだけの空っぽな女、フェミニズム破壊者、ファシスト呼ばわりされ毛嫌いされる。それからのロビーの表情が本当に素敵。頼りの玩具会社はバービーを捕えパッケージに閉じ込めようとする。

ウィル・ファレルのビジネス中性のようなCEOが子供じみてる姿が愉しい。母親として女子を幸せにしたいと少し無茶なことも言うし、バービー人形で遊びかつて遊んだ少女達の心情は理解できてない。あの世界は男性優位というものの大企業のエグゼクティブや工事作業者しか出てこないのでそれ以外の男性がいたら印象は変わったかもしれない。

バービーには“毎日がサイコー!”だけど、ケンは“バービーから見て貰える時だけがいい日”、分離不安症のチワワみたいに彼女の視線を渇望する。彼女の予定に合わせて邪険にされても自分の存在意味はバービーにすべて依存する、そんな粘着質なケン。彼女のおまけのようなケンも自分の居場所はないと感じていた。どこかバービーよりもケンの方が社会進出に苦しむ女性に思える。ライアンの振り切れた表情は素敵だった。哀れだけど可愛い。

男性社会を発見して大はしゃぎ、いきなり成功しなくちゃ強くあらねばと思い込む、現実の男性でもなかなかそれは出来ないので無理しなきゃいいのに。間抜けで頭に血が上った高慢ちきなマッチョと変貌したケンはバットマンムービーのマンのメインヴィランの立ち位置になる。本物の男のあるべき世界のために邁進、彼が主役のように状況を引っ張っていく。素肌に毛皮を羽織りバービーの家をミニ冷蔵庫やトロフィーが並ぶスポーツバーに変える。その先はバービーへのルサンチマンに溢れたケンとケン好みの立場に満足するバービーでいっぱいのおじさんのユートピアだった。

冒頭バービー達が女性の社会進出を助けたと語る。「私達女性は何にでもなれる。」そうバービー達は様々な職に就いている、でも日々の実務に明るい様子はなく寧ろ浮足立って見える、それは現実の軛を知らぬまま人形遊びに興じている少女達のようだった。バービー人形のオーナーの少女たちはまだ語るべき人生経験に乏しい。あれだけだと自分自身の人生にでバービーのような空想の完璧さを目指すのが当たり前になってしまうのかも。それは少女達にとって必ずしも良い風には働かない。自由に夢をみて成長していく中で中には希望の地位につく子もいればそうでない子もいる。現実の壁に夢が破れ女性が活躍する事の難しさに愕然とする時、その子はバービーに何を見るのだろう?

バービー人形遊びは時にある種のおままごとに近づく、それは自分の身の回りの世界を投影すること。遊び手が少女から母に変わった時、生きづらさを感じる心の内もバービーに宿ってしまう。その現実とファンタジーの結びつき.プロセスが新鮮。

不機嫌な10代の娘との絆を取り戻そうとする母の叫び。仕事を優先することと家庭を大事にすること。女性特に母親であることの難しさや社会が私たちに課す矛盾した基準について。ここでもファンタジーの世界が現実につながり問題点がクリアに語られる。それはあなたや私の日々悩みながら暮らす生きづらさをよく見つめて、2人きりで話しかけてくれるかのよう。あれはキャリア女性特にに響くのかなとも思う。でもケンダムで幸せを掴む女性もいるかもしれない。そんな人にはどう響くんだろう?

フェミニズム、権力志向、性別役割分担などがどの世代や性によっても同感し易い作りだった。女性と男性が争うというよりもどちらも押し付けられた役割、見過ごされている立場に悩まされてた。肉体面での戸惑い、社会進出への悩みとか割合は変わるけれど2人で分け合っているかのように見える。

でも全ての女性・男性が救われはしない。アウトサイダーのへんてこバービーはレジタンスの際には参謀格になるけれど、大円弾の中心になることはない。そしてアランの扱い、彼はディズニーの中のミッキーのペット、プルートに似ている。グーフィーは仲間扱いで人間の言葉を放すのにブルートはペット扱いで吠えるだけ。アランもどこか扱いが軽く地位が向上することもない。そしてceoと母親が入れ替わるわけでもないように事態が以前に戻るだけ。ケンにはガラスの天井も用意される。そしてバービーは夢の世界を離れ婦人科に向かう、抽象化された魅力よりもただただ女性としてリアルな姿で生きていくかのようだった。自分らしく生きていくのは素敵、でも無理に自分らしく生きなくても良いし、何者かにならなくても良い、そんな感触。

永続的に続くキャラクターが卒業するのは素晴らしいけれど少し不安、王道バービーがいなくなってバービータウンは大丈夫なんだろうか?人材豊富だとは思うけれど。

…“来週からは新しいバービーが始まるよ!!”なんてね。
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