sleepy

恐怖の岬/ケープ・フィアーのsleepyのレビュー・感想・評価

4.2
安寧はもうすぐ終わる ****



 原作はジョン・D・マクドナルドの『法に叛く男』。「ケープ・フィアー」は2回目の映画化。こちらでは、ペックが犯行の目撃者となり証言したために有罪となった設定。モノクロ。スコセッシ監督作と違い、ペックと妻、娘は典型的で幸せ、何の問題も抱えていない一家として描かれる。50年代のアメリカの繁栄を享受する絵にかいたような理想的な家族だ。そのため真っ黒な攻める悪と、白い善との攻防という図式に徹している。主役を問題ある男として描くスコセッシ作ではこちらのペックのような一種のヒーロー性は排除されている。

モノクロ撮影が素晴らしく(サム・リーヴィット)、光と影をうまく配置していて、一見シンプルながら要所要所でヒッチコック・タッチのテクニックも使われている。実際、撮影に当たりヒッチ先生の映画を観なおしたらしい。時代がら、検閲が厳しい時代でしたので直接描写はなく、かえって観る者の想像力を刺激する(イギリスでの検閲では「全部撮りなおせ」といわれそうだ・・)。ミッチャムが10代の女性(娘)に向ける視線など当時ではギリギリだったと推察する。こじんまりしているが実直なスリラー、かつ『サイコ』『狩人の夜』等の流れをくんだサイコ・パスものとしても上出来。

なんといってもオリジナルの出色はケイディを演じるミッチャムだ。うつろな穴のようなぬめぬめした瞳、不敵な薄ら笑い、ときおりみせるさっき立った視線。そしてなげやりで粗野、無頓着、虚無感、内に秘めた激しい憎悪。しかし異様に落ち着いた振る舞い。大声を上げることはない。それが逆にコワイ。
終盤、沼から顔を出し、月を見上げるミッチャムは撮影の妙もあり恐ろしい。ゆったりと「獲物」に近づくさまは、まるで胴回り1mの黒いアナコンダのようだ。ガタイがよく手が大きい。肉体的にもデ・ニーロとは違う威圧感がある。同じミッチャムの『狩人の夜』と並ぶ彼のヒール(これも南部のお話しで強烈かつ不気味。手のタトゥーはスコセッシ作のデ・ニーロの全身タトゥーにパワー・アップして影響を与えている)。
「恐怖の岬」は妻と娘の役どころと俳優さんがもう一歩という感じがした。こちらはスコセッシ作のラングとルイスが優れていたと思う。

家族に残った傷は大きく、再生へ向いていくスコセッシの一家と異なる未来を予感させる。「恐怖の岬」のケイディは、平和で安寧を楽しむ「良き50年代アメリカ」を揺るがす不穏の象徴のようも解釈できる。それは外部の脅威でもありうるし内部崩壊の前兆ともいえるかも(この頃から冷戦は進行し、内部ではベトナム反戦、黒人の公民権運動が高まる時期かと)。スコセッシのケイディは南部の原始の本音、「過去からの亡霊」。家庭崩壊を見て見ぬふりをする偽善家族をもう一度再生させる可能性を与える。「恐怖の岬」のケイディはやがて来る「未来の脅威」。やがて来る時代の嵐の予告みたいなものか。深読みかも知れないが。
両作を観ることでより相互の理解が深まると思う。
sleepy

sleepy