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ゲット・リッチ・オア・ダイ・トラインのkuuのレビュー・感想・評価

3.6
『ゲット・リッチ・オア・ダイ・トライン』
原題 Get Rich or Die Tryin'.
(タイトルは、50 セントのデビュー アルバムからとられてる)
製作年 2005年。上映時間 117分。
ヒップホップ界のカリスマ・アーティスト、俳優として映画でもちょくちょく見かける50セントの人生を基に、8歳で母親を殺された不遇の少年がミュージシャンとしてサクセスするまでを描いたヒューマンドラマ。
50セントの俳優デビュー作品。
監督は『イン・アメリカ/三つの小さな願いごと』の名匠ジム・シェリダン。
主人公のマーカスを50セント自身が演じている。
ギャングが横行する貧困地区の日常を切り取った社会派タッチと、1人の少年の感動的なサクセス・ストーリーが見事に融合している。

父親を知らず、美しい母親と暮らす少年マーカスは、密かにラッパーになることを夢見ていた。
しかし、ドラッグの売人に母親を殺された彼はどん底の生活を送ることになり、やがてドラッグの売買に手を染める。
成長したマーカス(カーティス・“50セント”・ジャクソン)はギャングの幹部からかわいがられる存在となるが。。。

今作品は、『8 Mile』(2002年)でも 『ハッスル&フロウ』(2005年)でもない。
ラッパーがどうやって音楽を作っているのかを見せるような映画ではなかった。
もしそうなら、またかと文句を云う人もいるかな。
ラップの映画がたくさん出ているから、プロットがありがちすぎるのも散見される。
しかし、今作品は、ラッパーもんジャンルを超えて、むしろギャング映画と考えるべきかな。
これはカーティス・ジャクソン(またの名を50セント)の半自伝的物語。
そのため、まぁ成功しているかな。
云いすぎじゃなきゃ、ギャングの出世作という点では、『スカーフェイス』をより彷彿とさせる色合いがある。
他のギャング映画と違って、ギャングが最後に死ぬことはない。
そして、なぜ彼らは死ななければならないのか。
ジム・シェリダン監督は社会批判として資本主義的なアメリカ社会で『理想化』されているのはこういうことだと云いたいのだと思う。
正義が自分をダメにする世界で、その苦難を乗り越えられるのは、
よほど自信のある男。
起業家としてのセンス。
努力、運を持った芸術家。
だと云いたいのかと思います。
自分自身を知り、過去を受け入れた男が成功すると。
エンディングはあっけないもんやったけど、それは当然ちゃ当然かな。
今作品は、暴力やギャングとの絆による成功ではなく、自分自身の感覚を獲得し、犯罪や混乱を乗り越えて、個人の自由という深い感覚を獲得することを目的としている。
マーカスは最後には防弾チョッキを脱いで、ありのままの自分で世界に立ち向かうことを恐れていない。
50セントは、マーカスの愛称で親しまれるヤング・シーザー。
彼は新しいラップ帝国のトップであり、多くの人は権力や成功を持つ者を怖がる。
だから、現代社会は "嫌われ者 "という言葉が似合う。
マーカスは7月4日、独立を象徴するアメリカの祝日に生まれた。
マーカスの誕生/死のモンタージュはとてもパワフル。
50セントの演技には非常に満足してるとは云いきれないまでも悪くはなかった。
しかし、彼は基本的に、自信に満ちた身のこなしと四角いあごで、荒っぽいフードのギャングスターを体現してたと思う。
よく見ると、彼の感情はすべて目に表れてたし。愛があれば殺されるという理由で感情を表に出さないように訓練された彼の目に潜む弱さと、そこから光る力強い生の感情は、教えられることのないスキルやと思いますし、50セントのデビュー作としては良かった思います。
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