新潟の映画野郎らりほう

八日目の蝉の新潟の映画野郎らりほうのレビュー・感想・評価

八日目の蝉(2011年製作の映画)
3.0
【伽藍堂に鳴く蝉】


終極の写真/現像過程に於けるネガ/ポジ反転が、同時に 恵理菜(井上真央)自身の否定/消極性(ネガティビティ)から 自己肯定(ポジティビティ)への転換をも徴していて、極めて映画的だ。
現像液に浮かび上がる写真/陽画は、彼女の奥底に眠っていた記憶が覚醒された事を顕す。
そこで彼女(と私達観客)は 瞬時に想い出す ― 冒頭近辺に於ける「坂道下る自転車の着座姿勢」と「幼少期に一緒に自転車に乗った母の着座姿勢」が“同じ”である事を―。


公判で秋山(森口)が母/野々宮(永作)に吐く『お前は(身胎的そして精神的に)伽藍堂の女だ』。
母同様 伽藍堂の骸であった彼女。

八日目の蝉は、もう動かぬ骸と見做しても 未だ“生きている”。
その事を看取した時 彼女は泣く(鳴く)だろう。

伽藍堂に今漸く、季節外れの蝉の音鳴り響く―。




《劇場観賞》