Ricola

穴のRicolaのレビュー・感想・評価

(1960年製作の映画)
4.2
初めて観たジャック・ベッケルの作品はこの作品である。
今回はその初鑑賞から約3年半ぶりに再鑑賞した。
この『穴』は私の敬愛するジャック・ベッケルの遺作であるが、彼のそれまでの作品の多彩さを体現する以上に、彼が磨きをかけてきたであろう人物描写と、それに状況描写を補完する小道具の使われ方がやはり特に素晴らしかった。


この作品では様々な小道具が登場するのだが、それは刑務所での生活に密接に関わっているものである。
そういった小道具が、脱獄までの道のりで用いられる重要なアイテムとしてうまく変換されていることが強調されている。
物語の冒頭では、一見なんの変哲もない単なる日常的な物がやけに強調される。
パンを切るナイフや同部屋の囚人たちの共用スプーン、コーヒーやスープを入れる小鍋と中くらいの大きさの鍋などがクロースアップで強調して映される。
ということは…そう、これらは脱獄の準備のために使われる道具なのだ。

それから脱獄に向かうにつれて、一見関係のないところでも緊張感が張り巡らされていることも、小道具を通して連想される。
囚人への差し入れの中身を確認するために、看守がナイフで切り刻んでいく様子もクロースアップで映し出されるシーンが象徴的だろう。このシーンではその様子を見つめる囚人の緊張した表情もクロースアップで捉えられている。
この固唾をのむほどの緊張感は、脱獄がいつバレてもおかしくないという状況下でのそれを、集約化させたもののように感じる。

そして、部屋の中から外を監視するための手作り潜望鏡という小道具。
いわゆるフレーム内フレームとして映画的には機能する小道具だが、その小さなフレームに廊下の様子が収まっており、廊下の奥まで目が行き届くことは明らかである。
このように、必要なものは制約のある環境下でも何とか手に入れたもので作ってみせるのだ。

そして登場人物の描写についてである。
最初に穴を掘っていく際、それぞれ交代で一人ずつ床を叩いていく様子が、丁寧に長い時間映される。そのやり方の違いからも、彼らのキャラクターの違いがよく表れている。  
とりあえず力を込めてガンガン掘り進めていく者や丁寧に出てきた小石や砂をかき集めて容器に入れて取り出す者など。わざわざ彼らの顔を毎回映すわけではないが、その動作や画面に映る最低限の情報から、誰がどれだかある程度検討がつくのである。
この無駄がなく自然な演出は、ベッケルの作品全体に見られる特徴の一つであると思う。
Claude Naumann氏は『七月のランデブー』の導入の「電話」のシーンを、ベッケルのスタイル確立の象徴であると述べているが、まさにそこで言われている効率性や自然さは、この穴掘りの序盤のシーンと通ずるところがあるのではないだろうか。

そして最後に、個人的に好きな演出に注目した。
それは暗い地下通路を歩いている際の光の演出である。
暗闇のなかで、即席ライターの灯りが彼らのいる範囲だけを照らすため、カメラから遠ざかっていくほど、その明かりによるフレームがどんどん小さくなっていくのだ。
そのショットは何度か繰り返されるが、緊迫感を感じる中でのオアシスのような存在である。

この作品はたしかにサスペンス映画であるが、巧みな人物描写や小道具の用いられ方に対する執着など、やはり一時は「犯罪物」を嫌っていたベッケルらしい、主題が小さく、細やかな観察眼と登場人物愛にあふれる作品なのである。
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