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いまを生きるの6のレビュー・感想・評価

いまを生きる(1989年製作の映画)
4.6
 ある種の没入体感型映画と言える。自分も教壇に立つキーティングから教えを乞いているかのように、自分の身を補填する哲学を振りかけてくれる、勇気に満ち満ちた映画だ。
 自分の夢を持ち自分の野心を振りかざして生きることはとても重要だけど、それが生きる上で必ずしも成功するとは限らない。この世には自由と守るべき規律があり、その曖昧すぎる境界に苦しんでいかなきゃいけないんだと思う。
 俺は生まれてから今までこれという夢を持ったことがない。何かになりたいと思ったことがない。今まで描いてきた目標はすべて、こうはなりたくないという自分の身を守るものでしかなかった。そこに野心は共存し得ない。ただただ、親の為に生きている。親が悲しまない為だけに生きている。俺から親を奪われたら、きっとニールのように生きる理由を失うと思う。
 社会人になって、今を全力で生きている。何になりたいわけでもなく、目的もわからないまま走り続けてる。そのとき自分の出せる最大の出力で進み続けている。これがいつまで続くのかわからないのがとても怖い。ある時パタリとその熱が消えて、歩みを止めた時に自分はどうなるだろう?適切なペースもわからないぶっつけ本番のマラソンを走り続けているような人生がすごく嫌だなと思う時がある。何で走ってる?何のために走ってる?そう考えると怖くなって、その考えに目を背けながら進み続けた結果、今もその足を止めてない。
 劇中、誰もが確からしいことを言っている。科学や数学を除くいかなる事に絶対的な答えは存在し得ない。それはある場所から見たときには正しく、ある場所から見たときに正しくない。キーティングすらも、その例外じゃない。人生はすべてのことに決断を続けて、すべてのことに悩み続けなければならないと思う。その葛藤こそが、この映画の主題である「いまを生きる」という事だと思う。何かを見て、何かを聞いて、何かを感じる、その全てが生きていることの証明だ。夢を持てなくったってよくて、何かに恐れたってよい。その全てに葛藤することで自分という存在を実感できる。この映画は、正しい生き方を教えてくれるわけでも、何かを否定してくれるわけでもなく、「生きる」ということそれ自体を教えてくれる映画だ。良いことも悪いことも山ほどあるこの人生の中で、今は見えない最後のゴールに向かって走る。自分だけの人生を進むんだ。その終着点に辿り着いた時、見えるものが美しいものだときっと思えると信じてる。自分の人生の意義に納得できると信じてる。そう考えると、やっぱり俺は生きることをやめたくない。
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