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フェリーニのアマルコルドのsoのレビュー・感想・評価

フェリーニのアマルコルド(1974年製作の映画)
4.0
フェリーニの故郷リミニ地方を舞台に繰り広げられる、人生の美しさをふんだんに詰め込んだような、半自伝的・人生讃歌映画。
タイトルは「私は覚えている」という意味のリミニ地方の方言「エム・エルコルド」が由来らしい。

大家族で喧嘩ばかりの食卓。
そこにどこからかかすかに漏れ聞こえてくる女性のなめらかな歌声。
青年チッタが町の女たちに抱く抑えきれぬ欲望。
悪友と学校の休み時間に廊下で話している時に鳴っている遠くのピアノの音。
自分の記憶じゃないのに、なぜだか胸がしめつけられるほどにどれもなつかしい。

「春が来たよ、春だ、春だよ!」
春を知らせる綿毛が町に舞い始めるところから映画は始まるが、
新しい季節の到来や未知のものに触れる時の彼らの喜びようは凄まじく、微笑ましい。
夜中広場に集まりうず高く燃え上がる炎で冬の女神を象った人形を燃やして来る春を祝いあい、
町人総出で小舟を沖まで漕いで行き、通り過ぎる豪華客船に涙ながらに手をふったり、
そしてまた初雪が降ったら大興奮で騒ぎまくる。
ささやかなものに全員で喜び合うこの町を、この時代を、フェリーニはどこまでも優しく慈しむように描く。

しかし、そんな日々にも時には悲しみが顔を出す。
人生につきものの別れがやって来る。
人類の歴史を感じさせるようにそびえ立つ建物の間で過ぎ去っていく一瞬の命。
だからこそ、人生というこの短い祭りを楽しもうぜ!と言わんばかりに流れるニーノ・ロータによる甘美なメロディが心に沁み渡る。

「生の歓喜に満ち溢れれば溢れるほど、イタリア人は、自分たちの足につけられた重い枷「死」を深く意識する。」
本作を観終わって、須賀敦子氏のこの言葉を思い出した。
嬉しい時、悲しい時、人生の節目節目に見返したくなるような、心の一作となった。
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