ーcoyolyー

エル・シドのーcoyolyーのレビュー・感想・評価

エル・シド(1961年製作の映画)
3.4
イスラム教徒の描き方にヒヤヒヤする。これ観てて気付いたのはduolingoでアラビア語やトルコ語を学び続けることで私今イスラム圏の視座もちょっとずつ獲得しつつあるみたいで、英語というアスファルトの舗装の下に隠れている大地の息吹を直接吸い込めるようになると、世界は英語だけではない、英語を通さずに世界を見ると世の中はこんなに豊かだったのか、と感動しつつ毎日新鮮な驚きを味わっている。その土地の言葉に直接触れるの大事だな。英語を通すのとまったく違うものがそこにあると分かってくる。そうやって諸々インストールしている現在、英語圏の文化の貧しさや横暴さにも更に敏感になり始めてもいるようで、これ、ソフィア・ローレンの起用にしたって「イタリアとスペインなんて似たようなもんだろ?」というアメリカ人の粗雑な感覚に更に倍の神経質加減で反応してしまいます。

ただ、そのソフィア・ローレンの美しさには驚いた。イタリア映画で観るソフィア・ローレンこんなに美しかったかな?アメリカ人の理想の「イタリアの太陽」とイタリア人の理想の「イタリアの太陽」が違っていて各々が投影してくるものをそのまま体現しているのだろうか。私が今まで観てきたマルチェロ・マストロヤンニとコンビを組んでるソフィア・ローレンって実はマストロヤンニの引き立て役やってたんだな。マストロヤンニの圧倒的ヒロイン感を前にするとソフィア・ローレンすっと一歩引くのかな。この人だって圧倒的な華はあるけど恐らく「私が私が」の人じゃないんですよね。むしろ周囲の気配を悟ってその意を汲んで場の空気に合わせてしまう人なんだと思う。その時に求められるものが「イタリアの太陽」だったりするからあの感じになってるだけで。チャールトン・ヘストンはマストロヤンニみたいな愛嬌はないからここでのソフィア・ローレンは母国でいつも一緒のチャーミングな男子に任せたものを自分で背負ってます。その結果ストレートに彼女の美しさが伝わってきた。英語喋ってても笑い方がアメリカ人のそれじゃなくてちゃんとイタリア人の笑い方なの私とっても好きだ。

この映画、すんげえ金も手間暇もかかってるの分かるんですが、ちょっぴり残念だったのは馬ですね。この前私カザフ映画観たことで馬に対するハードル上がってしまってて、この映画11世紀設定なのに馬がサラブレッドかそれに類するアラブ系ぽかったことが少々お気に召さない様子でそんな自分に驚いた。カザフの馬映画何が凄いって大量に投入してくる馬が全て在来種なんだよ。私映画であんなに沢山の在来種が走ってるの初めて見た。映画撮影に耐えられるよう訓練してる馬なんて現状どこの国でもサラブレッドかその類の馬しかいなくてそんなもんだと思ってたんだけど、時代設定に合わせてしっかり在来種何十頭下手したら何百頭と用意していたのを見て「こんなことできるんだ!?」と自分の固定観念を殴られ続けてしまったので、これから時代劇で潤沢な予算がある映画はカザフスタンまで行って撮影して欲しい。金と交渉次第で在来種用意してくれるぞ。時代劇でサラブレッド走ってるのちょっと興醒めしてしまう。だってその時代にいた馬じゃないもの。
ーcoyolyー

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