ーcoyolyー

ボーイのーcoyolyーのレビュー・感想・評価

ボーイ(2010年製作の映画)
3.3
なんか「有害な男らしさ」の再生産というイヤーなもの見たなーって感じです。父親と対峙した時、暴力で訴えるの本当イヤーなものだったな。タイカ・ワイティティ下手に愛嬌あるから余計タチが悪い。最後マサラムービーの文脈使いながらハカの要素も入れてるからこれこそ文化の盗用なのに文化の盗用と叩きにくい。愛嬌とそういう小手先のコスいテクニックで「ゆるしてちょんまげ😝」と全て乗り切ろうとするの本当良くないと思うよ。

これくらいの年齢の時に『スリラー』や『E.T.』って同年代なのかなと思ったらタイカ・ワイティティ私より1歳とちょうど1ヶ月歳上だからまあまあ同年代なんだけど、私そこらへんちっとも刺さらなくて、小学生の時にスピルバーグ映画やジブリやディズニー興味がなくて強制的にディズニーランドに連れられて行った(そしてちっとも楽しくないのに私という個性を見ずに「子供はこういうものが好き」と押し付けてきた親のご機嫌取るのに疲弊した)以外は全シカトなので上っ面の話を合わせる程度しか知識持ち合わせておらず同世代の多数派が味わうだろう気持ちを共有できてないけど別にいいです。これもうちょっと経ったら公開される『スタンド・バイ・ミー』の要素もあるけどそこも私全然乗れないので置いてきぼり喰らってますが乗る気全然ないので別にいいです。

なんっかこういうのを見て甘酸っぱくなるような男子だった人のことが私は本当に苦手で、なぜならこういうのを見て甘酸っぱくなるような人はスカートめくりやのぞきも甘酸っぱい思い出にしてしまう人だからで、そういうボーイズサイドのこういうお話は安定供給されるのにその被害を受けて上手く外に出られなくなったガールズサイドのお話はそうではない。たまにひょっこり『ヴァージン・スーサイズ』やそれに類する映画が出てくるけど安定してない。そのことに今私とても憤ってますね。そしてそれと同時に『ピクニックatハンギングロック』と『いまを生きる』両方その性を生きるその年代特有の危うさや揺らぎを丁寧に掬い取って映画作れたピーター・ウィアーの株が爆上がりしている。男子はともかくあの人なんであの年代の女子のあの空気感掬い取れたんでしょうね?どちらかに偏ることなく子供と大人の間にいる人々の不安定な世界観をそのまま撮れたの凄い。ピーター・ウィアーのフィルモグラフィーの統一感の無さも含めて謎。

あそこでショーグンとかサムライとかやってるのは本邦でジュリーと阿久悠及びその周辺が仕掛けたサムライの文脈見ると大体これくらいの時代にやってること別に本国でも大して変わらなくね?と思ったので特に引っ掛かりはなかったです。日本人のセルフパロディなら許せるけど海外はダメ、とかいう考え方を許すのはとりあえずハカ入れといたからお目溢しを、と同じことになるのでダメ🙅🏻‍♀️
ーcoyolyー

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