新潟の映画野郎らりほう

一命の新潟の映画野郎らりほうのレビュー・感想・評価

一命(2011年製作の映画)
4.7
【伽藍堂~理論武装で自己正当盲信の多数準拠同調者】


イラク邦人人質誘拐で国内に吹き荒れた『自己責任』とゆう名の大バッシング。 或いは震災後『天罰』『我欲を洗い流せ』と口にした某都知事への一斉詰問・糾弾。 その他、失言・不祥事の度過熱する報道・ブログ炎上・メディアリンチ。
その人がどんな[真意・理念だったか]を汲む事もせず、発言・行動の[表層]にとらわれ 多数派同調・増幅憎悪に興じる民衆心理。
集団の雰囲気や多数派に従う事に盲信・最優先で、果たしてそこに[自分的視野の考察(社会リテラシー)]はあったか?

『武士に二言はあるまいな?』 ~一度出た言葉に一切撤回を認めず、理論武装の上で徹底攻撃。 自己正当性論説第一で、個人への心遣いを想わない、気付きすらしない~ 彼等も『血の通うた人間』だぞ。 メディアパニッシュメント・集団的浅慮・危険偏向・傍観者効果・モラルハザード…。
「KY」~は多数派からの逸脱を揶揄した言葉だ。 しかし「場の空気を読む」は本当に自分自身の考えか? 多数派迎合の《体裁》に果たして己はいるのか? それは準拠集団に埋没した真自己無き《がらんどう》ではなかったか?

…何も変わっちゃいない。 二十一世紀の今現代も、まげ/袴の時代から唯の1ミリたりとも変わっちゃいないんだ。




《追記》
歌舞伎的見栄立ち振舞いの市川と、抑制された役所との見事な演技的拮抗。 凡庸な監督であれば見苦しい御涙頂戴に堕したであろう悲劇的物語を、しかし 満島の表情を度々隠す「蚊帳」や 市川の「背中」に見られる[羞恥と抑制]が作品に凛とした品位を付与。 語り主体作品でありながら人物アイコンタクトを多用した事による示唆的奥行き。 これぞ時代劇と叫びたくなる「刀を抜く直前」の恍惚的緊張。 そして…、たった一つの「饅頭」が湛える『涙淵とも言える抒情』…。

素晴らしい。




《劇場観賞》