「トーキング・ヘッズ」でぐぐると高確率でこれ絡みの映像がヒットするため全くの初見とは言えないものの、通して観るのは今回が初めてです。2020年の今、まさか劇場で体感することができるなんて…!あああありがたや。
冒頭、デヴィッド・バーンのひとりサイコキラーから1曲ごとにセットやメンバーが揃っていく演出であるとか、ファッション界をも巻き込んである種の伝説と化しているビッグスーツに関しては30年以上の長きにわたり死ぬほど論じられてきた筈なのでそれはそれで良しとして、わたしからはバーンの尋常ならざるダサさ、そしてエロさに言及しておくことにします。
ステージ上に据えられるドラムセットをクルー目線で撮ってみたり、演奏中のメンバーを背後から捉えるカットを多用したりと異様なまでの臨場感と格好よさを併せ持つこのフィルムにあって、Life During Wartimeにおけるバーンのあのくねくねダンスを真正面の固定カメラから一歩も逃げずに撮りおおせるにはそれなりの勇気が要ったのではないか…?と考えてしまわずにはいられないのです。加えて言うなら、そもそもこの曲はイントロからしてどうかしてる。何故だ。何故フロント全員がその場で駆け足して見せるのだ。それでダンスのつもりなのか。さらにはバーン、間奏で実際にぐるぐる走ってみせるでしょ。それも時計回りに。あれ、何らかのスポーツに一時でも打ち込んだ経験がある人ならまずやらない身体の動かしかたなんですよ。「トラックを左回りに走らない」というふとした仕草から想起されるもの、それは体育会系的マッチョイズムとは無縁のもやしっ子的インテリ感なわけで、となれば先のくねくねダンスのいびつなぎこちなさにも合点がいくという話なのです。アフロ的リズムを取り入れた楽曲とパフォーマンスの落差が極端に大きいためか、びっくりするほどダサく見えてしまう。何なのだこれは。
そんな調子で何から何まで調子っ外れに見えてもおかしくない筈のバーンが、何故あれほどまでに格好よく見えてしまうのか。それは前述した撮影の妙に加え、ファーストカットにおける彼がシャツのボタンを一番上まできっちり留めているからに他なりません。音数を増やし演奏が熱を帯びるにつれ、上着を脱ぎボタンを外しやがて濡れたシャツが背中に張りつき線の細い身体を顕にする、という過程の果てしないエロさよ…!まさか、デヴィッド・バーンに水も滴るいい男を感じる日が来るだなんて夢にも思いませんでした。こうなってしまったらもう、スタンドライトと踊る姿さえ艶かしい。よいものを観ました。