朱音

パブリック・エネミーズの朱音のネタバレレビュー・内容・結末

パブリック・エネミーズ(2009年製作の映画)
2.9

このレビューはネタバレを含みます

実在した伝説の銀行強盗ジョン・デリンジャー。演ずるは超個性派俳優ジョニー・デップ。
司法省捜査局 / Bureau of Investigation, BOI(のちの連邦捜査局 / Federal Bureau of Investigation, FBI)の凄腕捜査官メルヴィン・パーヴィス。演ずるは徹底した役作りに定評のあるクリスチャン・ベイル。
男たちの宿命の対決を描くのは『ヒート』『コラテラル』等で独自のリアリズムと男たちの流儀・美学を徹底追求してきたマイケル・マン。
字面だけ見るとこの座組で燃えない訳はなく、観客の期待値は否応なく上がる。

だがどうしたことだろう。蓋を開けてみれば驚くほど面白くない。
いやもっと言えば、映画のルックは抜群に良い。臨場感溢れるカメラワークと、バシッとした決めの画角を使い分ける絵作りと1933年のディテールにこだわり抜いた美術背景。スピード感のある流れるような編集。いずれもマイケル・マンならではのこだわりが見られる。
ハリウッド随一と評されるガン・アクションの凄まじさは変わらず、マズルファイアの閃光と重く響く銃声、息を飲むような見事な緊迫感を演出している。
主演の2人の演技も決まってる。ジョニー・デップはため息が出るほどカッコイイ。


これだけの要素が揃っていながら面白くないのは物語として致命的に弱いからだ。


ブライアン・バーロウによるノンフィクション本を原作とした本作は脚本にマイケル・マンを含めた3人の名がクレジットされている。
個人的にはここがゴタついたんじゃないかと見ている。
歴史的考証とか、ノンフィクションならではの制約とか、そういった諸々が昇華し切れずに化学反応を起こせなかった結果なんだろうな、と。

史実の再現、ディテールのこだわりに気を取られ過ぎたのか。
端的に言ってキャラクター描写が薄い。フィクションの中に独自のリアリズムを構築することで知られるマイケル・マン監督、(エピソードとしては『コラテラル』撮影時、登場人物の人間像に深みを持たせるため各々の出身地、家族、趣味など劇中には表れないバックストーリーを用意しており、主演のトム・クルーズを関心させたという)だが、フィクショナルでないタイプの史実とは相性が悪いのかもしれない。と、本作の拍子抜けするようなラストを観て思ったことだ。
デリンジャーと恋人のビリー、パーヴィス捜査官、この3人以外のキャラクター描写があまりに薄く、尚且つ非常に数多くの人間が入れ代わり立ち代わり登場するためキャラクターが定着しないまま退場したり、次の行動(シークエンス)に関わってきたり、混乱してしまう。
ぶっちゃけると主要キャラクターの描写すら他の作品と比べると弱い。

これでは感情移入も、キャラクターへの着目もしようもない。

また、本作は、例えば『ヒート』でいうところの追うものと追われるもの、それぞれ陣営と、それぞれの仕事の流儀、智略を尽くした攻防、といった明解でシンプルなゲームシステムを構築出来たはずなのに、何故かそれを踏襲しない。
マイケル・マンお得意のルートを敢えて外していくかのように、史実、ないしは原作であるノンフィクション本に忠実であろうとすること(?)が足枷になっているようにしか思えない。

これらキャラクター描写の薄さと、シンプルなゲームシステムの構築の欠如によっていま何を目的としているのか、各キャラクターがどちらの陣営で何を目論んでいるのか、非常に解り辛い不親切な作劇になってしまっている。
また同じようなスーツとコートに身を包んだルックも相俟って視認性も良くない。
銃撃戦や攻防の緊迫感も、積み重ねた描写の上に、というよりはどこか散発的で、持続的でない。

加えて言うならば、ジョン・デリンジャーの仕事、つまり銀行強盗のシークエンスがそれほど魅力的でないのだ。たしかにジョニーはスタイリッシュで格好良い。だがそれはヴィジュアルに限った事であり、たしかに大胆でこそあれ、頭のキレを誇示する台詞がいくつかあるにも関わらず、綿密な計画性が伺えず、場当たり的で受動的にさえ思えてしまうのだ。
仲間思いで、市民からは金を盗らない義賊的である点を除けば、彼なりの美学、流儀が感じられる要素は少ない。
個人的にはジョン・デリンジャーサイドより、司法省捜査局の陣営の方が智略を尽くしていたように感じられる。むしろそっちの視点で本作を描いていたならばエンターテインメントとして盛り上がったのではなかろうか。

ジョン・デリンジャーを描きたかったにしても、最盛期からの凋落を描いているので、彼の動機が描かれておらず、いまひとつ思い入れに欠けるばかりか、分かりきった結末に何の逆転劇もどんでん返しもないまま突き進んでいくので、ケレン味からの鈍重の流れに感じられる。
数あるアウトロー映画ならではの破滅の美学もまた、本作からは感じ取れない。
この映画で何を表現したかったのだろう。

これでは、リッチでガンアクションが凄い、再現VTRに過ぎない。


そして個人的に最も不満だったのが、ナイトシーンに定評のあるマイケル・マンの映画にしては、本作の夜闇は暗すぎて何が起きているのか分かりにくかったということだ。これもリアリティ追求のためだろうか。ネオンに包まれた現代のLAの夜と、1930年代の夜とでは光源に差がありすぎて、美しく映画的な夜を捉えることは出来なかったようだ。
朱音

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