朱音

インターステラーの朱音のネタバレレビュー・内容・結末

インターステラー(2014年製作の映画)
4.8

このレビューはネタバレを含みます

地球の終わりは人類の終わりではない。
本作、『インターステラー』は世界で最も有名な理論物理学者の1人で、一般相対性理論の偉大な専門家、キップ・ソーンの監修という堅固な基礎の上に成り立っている。

「彼の仕事は、わたしの脚本家としての活動よりもエキサイティングで重要でした。」

と監督のクリストファー・ノーランもコメントしている。
ソーン氏は本作が劇場公開された3年後の2017年に、重力波の研究でノーベル物理学賞を受賞したその道の権威であり、彼によるそうした科学考証の重大な整合性の上で展開される、普遍的な愛のファンタジーがこの『インターステラー』の魅力だろう。


世界を覆う食糧危機。
本作はそれほど遠くない未来の地球を舞台にしている。食料の栽培、とりわけ小麦が世界中に急速に広まった病原菌によって壊滅させられる。これは例えばアイルランドにおけるジャガイモ飢饉で実際に起きたことだ。また、いわゆる小麦サビ病のいち変種、UG99は、まさに小麦の栽培を脅かしている。

New Scientistによると、ノーラン監督と、本作の脚本を手掛けた監督の実弟ジョナサン・ノーランはいわゆるダストボウルから本作のインスピレーションを得たようだ。これは、北アメリカで1930年代に起きた地表の乾燥現象で、土が砂埃に変わって東に向かって吹き飛ばされ、耕作に回復不可能な損害を与え、より肥沃な土地を求めた何百万人もの人々の大規模移住を引き起こした。

『インターステラー』の世界では、この飢饉により人口が著しく減少しており、食料資源を巡る戦争でも起きたのか、アメリカ軍もNASAもとうの昔に解体されていて、元NASAのテストパイロットだったクーパーも、いまは家族を養うために農業をやっている。


マーフィーの部屋に現れる幽霊。
そんなある日、娘のマーフ(愛称)の部屋にある本棚から、本が勝手に落ちてくるという不思議な現象がたびたび起きるようになる。マーフは先んじて感じ取っていたようだが、クーパーにとっては年頃の娘のちょっとしたオカルト空想に過ぎないと、はじめは取り合わなかった。だがその幽霊の引き起こすポルターガイスト現象には規則性がある事を発見する。やがてクーパーとマーフは、それが2進数で表された謎の座標であることを突き止める。
するとそこには、既に解体されているはずのNASAの秘密基地があり、人類が住めなくなりつつあった地球を捨て、新たな移住先となる惑星を探す計画、通称「ラザロ計画」が推し進められていた。


第2第3の地球を求めて。
映画では人類は食料危機という世界の終わりに瀕している。飢饉を生き延びるために、新たな定住先を探さねばならない。これは私たちの生きる現実の世界において対岸の火事ではない。地球が居住不可能とまではならないとしても、いつの日か、同じ問題を抱えることになる。なぜなら、50億年のうちに太陽は膨張し始めて、やがて地球を飲み込むからだ。このとき私たちの子孫は地球を去ることになるだろう。

しかしどこへ逃げるのだろう。NASAを含む、世界中の宇宙研究機関ではすでに以前から、居住可能な太陽系外惑星を探索している。そしてたくさんの潜在的な候補をすでに見つけたようだ。だが問題は、それらの星々が遠すぎることだ。

人間は、いつか訪れるその日に至るまで、どうやって辿り着くかの答えを見つけ出さなければならない。
ここで登場してくるのがワームホールである。別名として、理論上の存在としてアインシュタインとローゼンが協同で考案したため、アインシュタイン・ローゼン・ブリッジともいわれる。時空構造の位相幾何学として考えうる構造の一つで、空間と時間の様々な点と点を接続する一種のトンネルのような抜け道である。

少し前までは、このワームホールは大胆すぎる幾人かの理論物理学者の思索の産物以上のものではないように思われた。ところが現在その事情は大きく一変しているようだ。この抜け道を作り出すためのモデルを提案した科学者たちがいるのだ。
尤も、まだ考察段階にすぎないらしいが、ひょっとしたらずっと先の未来に彼ら研究者たちは成し遂げるのかもしれない。そんな想いを馳せながら本作を観やる。
この『インターステラー』では、作中の登場人物たちが"彼ら"と呼ぶ未知の存在の導きによって、ひとつのワームホールが発見されることになる。だがここで問題なのは、その抜け道の出口付近に「ガルガンチュア」と命名された超巨大なブラックホールがある事だ。


先遣隊が発見した3つの惑星。
クーパーが参加したラザロ計画では、先遣隊によって発信された信号を頼りに人類が暮らせる惑星を探している。過去10年に渡り実行されてきた本計画では既に計12人の宇宙飛行士・研究家たちによる試行が実施されており、そのうち3つの惑星に赴いた先遣隊から観測記録の発信信号が送られてきていた。映画の中で語られたところによるとクーパーたちを乗せた宇宙船エンデュランス号の打ち上げを最後に、探索計画は終了することが明示されている。つまり先遣隊による3つの可能性、エンデュランス号が到達出来うるそれらが、人類存続の最後の鍵であり、不発に終われば人類は終焉を迎える事となるわけだ。


ミラー飛行士が発見した水の惑星。
地面が海に覆われている水の惑星は、巨大なブラックホール・ガルガンチュアの最も内側を公転している。その影響で重力が地球の1.3倍にも及んでおり、時間の流れを遅くしていた。水の惑星で1時間過ごすと、地球では7年の歳月が過ぎてしまうのだ。
結局、この星でミラー飛行士の姿は発見できず、着陸船の残骸だけが見つかることとなる。何度も信号を送り続けていたが、その惑星と地球では時間の進み方が異なっていたため、実際は着陸してから数時間でミラー飛行士は命を落としたと考えられる。水の惑星は巨大な津波が発生する危険な星で、結果的にクーパー達は足止めを喰らってしまう。その結果、この惑星では数時間しか経過していなかったのが、地球では23年もの月日が経ってしまうのだ。

ここで注目したいのが、時間と重力の関係性だ。
水の惑星と地球とでは時間の進み方が異なり、約5万倍もの違いが見られる。相対性理論において、重力は空間を歪ませることで時間の進みを変化させるとしている。そのため、水の惑星と地球で時間の進み方が違うのも1.3倍の重力が影響しているためと思ってしまいがちだが、しかし、地球の1.3倍の重力があるからといって、実際は人間が体感するほどの時間の遅れは起きないと言える。
もし、体感するほどの時間の遅れが生じているのならば、例えば地球よりも6分の1の重力しか存在していない月に着陸した宇宙飛行士たちは、年老いて戻ってくるはずだからだ。

つまり、惑星内の重力よりもガルガンチュアの超重力によって、体感するほどの時間の遅れを発生させていたと考えられるのだ。


アインシュタインの相対性理論。
アインシュタインの一般相対性理論によると、重力とは"時空の歪み"そのものである。実際に星や銀河などの天体の間に働く重力を時空の歪みと解釈し、そうした"歪み"を幾何学を使った数学的な定式化を行い、星の運動を計算・予測してみると、天体は計算の結果通りに動いていることが分かった。
アインシュタインは、従来のニュートンの重力理論では正確な数値として予測・説明し切ることが出来ていなかった水星の「近日点移動」という現象を、自身の理論に基づけば説明可能であることを証明した。つまり、自身が構築した一般相対性理論という新しい重力理論が、決して単なる妄想ではなく、厳然たる「科学」であることを世界に示したわけである。

水星の近日点移動とは、惑星がその公転運動において、太陽に最も近くなる位置のことを「近日点」という。観測値から割り出された水星の近日点移動の大きさと、ニュートンの重力理論から計算された値には僅かなズレがあったが、このズレの問題をアインシュタインが自身の重力理論に基づく新たな計算を用いて、解決してみせた。太陽に最も近い惑星である水星は、他の惑星に比べて太陽からの重力の影響をより強く受けるため、ニュートンの重力理論とアインシュタインの重力理論の予測値の差が顕著となる。観測値をより正確に再現・説明することが出来たアインシュタインの重力理論が、より正確な重力の理論であったことがこの実験により確かめられた。

アインシュタインが1915〜16年のあの当時、一般相対性理論を発見していなかったとすると、もしかしたら人類は衛星を打ち上げ、その時間の遅れを発見した段階で初めて新たな重力理論の必要性に気がついたかもしれない。そう言われることがあるほどに、アインシュタインの理論はその当時の人間にとっては必要性が見えなかった、時代を先取りした理論であったというわけだ。


マン博士が発見した氷の惑星。
マン博士が発見した氷の惑星は、一見すると人類が生きていけるような星には見えない。マン博士自身もそのことに気が付いていたのだが、一人で死を待つのに耐えられず、嘘の信号を送り続けていた。
この惑星は大気に多量のアンモニアを含んでいる。アンモニアは人間が濃度0.1%以上でも吸引してしまうと、命の危険に陥ってしまうと言われているようだ。そんな惑星で一人残されたマン博士は絶望に陥り、精神的におかしくなってしまうのも無理はないだろう。
マン博士は元々研究に命を掛けるような人物であり、ラザロ計画においても自分自身が任務の遂行に出るほどの情熱を抱いていた。それが一人で死ぬのは嫌だからという感情的な理由からクーパー達を呼んだのだと考えると、極めて人間的な行動を取っているのだと言える。
本作、『インターステラー』は理論的に物語が進むことが多い物語だが、一方で人間的な感情や行動による展開があると、それが非常に際立って見える作品だ。後述するが、そういった部分も製作者側は意図していたのではないかと考えられるのだ。


エドマンズ博士が発見した惑星。
エドマンズ博士が発見した惑星はラストシーンで少しだけ登場する。クーパーがブランド教授の娘アメリアへ、ラザロ計画の遂行を託し、エドマンズ博士の待つ惑星へと送るのだ。エドマンズ博士が彼女の恋人だったことから行った自己犠牲なのだろう。
その後、無事にアメリアは目的の惑星に到着することができたものの、エドマンズ博士の宇宙船を何とか発見したが、彼は既に亡くなっていたことが分かる。

そして、アメリアは船外にいるにも関わらず、おもむろに宇宙服のヘルメットを脱ぎだす。そう、エドマンズ博士が発見した惑星は、大気があり、人類が生存できる惑星だったのだ。
最終的に一人となってしまったアメリアだが、エドマンズが作ったと思われる居住スペースを利用し、人工知能ロボットのCASEと共に人類の存続を決意する。

アメリアにとっては最愛の恋人を失った悲しみは消えていないが、それでも人類の未来をつなげるために研究者としての意志や、父ブランドの信念、そしてエドマンズ博士の想いを受け継いだのだと考えられる。


ラザロ計画の全容。
ラザロ計画にはプランAとプランBが用意されていた。

プランA
大規模なスペースコロニーを作り出し、人類が生きられる惑星へと移住させるというもの。別の星へ移住することが目的となるため、地球に住む人類は救われることになる。

ブランド教授はスペースコロニーを構築するために、重力方程式を解いて重力制御を行う必要があると考えていた。しかし、ブランド教授は死ぬ間際、マーフへこれまでの嘘を告白する。
実は、ブランド教授は既に重力方程式を解いていたのだ。その結果、重力の本質を知るにはブラックホールの中心部に存在する"特異点"を観測し、そのデータを持ち帰らなくてはならないことが分かる。特異点の観測は現実的に不可能として、ブランド教授は重力制御を諦めていたのだ。

つまり、ブランド教授は最初からプランAではなくプランBの実行を目的としていたわけだ。この事実を娘のアメリアは知らなかったが、マン博士は知っていたことが明示される。

プランB
ラザロ計画の本当の目的とされるプランBは、人類の受精卵を人類が生きられる惑星へと持ち込み、そこで孵化させて新たに人類を増やしていくという内容だ。「種の保存」だけを目的にしており、現在地球上に住む人類は助からないことになる。
このことをクーパーは知る由もなかった。だが、マーフはブランド教授からプランAは何十年も前から現実的に不可能だと分かっていたこと、本来の目的はプランBだったことを知らされ、それを分かっていてクーパーは宇宙へ旅立ったのだと思い込んでしまう。

クーパーやアメリアは元々プランAをラザロ計画の主目的と考えていたため、マーフが送ったビデオレターを見てその内容に衝撃を受け、憤慨する。
そもそもクーパーは子ども達の未来を救うために宇宙船へと乗り込んでいるため、失望するのも無理はない。


キリスト教の聖書におけるラザロと、各モチーフ。
ブランド教授が最初にクーパーへラザロ計画を説明する際に、クーパーは「不吉な名前だ」と返答する。ラザロという名前は、元々聖書に登場するユダヤ人と同じ名前だ。
ラザロは一度死んでしまったものの、キリストが起こした奇跡によって蘇生を果たす。この名前からクーパーは一度死んでいる=人類は生き残れないと解釈するのだが、ブランド教授は「生き返ったのだ」と反論するのだ。

このセリフから、恐らくブランド教授にとってプランBを遂行するためにラザロ計画が立ち上がったのではないかと考えられる。マン博士もプランBについて共有していたので、恐らく最初からプランBが主目的で、その後人類を救う仮初の目的のプランAが取って付けられたのだろう。

実は、この他にも『インターステラー』の中に宗教的なメタファーと見られる部分が多く発見出来る。例えば最初に人類を救おうと立ち上がった先遣隊の乗組員は12人。人類を救うために立ち上がる12人はキリストの使徒をイメージしたものだろう。
また、クーパーの名前が"ジョセフ"であることにも注目したい。新約聖書の中で聖母マリアの夫であり、キリストの父として登場するヨセフ(ジョセフ)と同じ名前が付けられている。この物語においては真に"選ばれた者"である"マーフ"の父であることが重要だ。


人類は生き残れるのか。
果たしてラザロ計画は成功したのだろうか。クーパーとマーフの活躍、そしてアメリアからの報告により、最終的にラザロ計画はプランBではなく、プランAが遂行されることになる。
クーパーが宇宙で漂流しているところを助けられ、帰還した場所は「クーパー・ステーション」という大規模スペースコロニーだ。マーフはブランド教授の死後も諦めず、重力方程式の研究を続けていき、クーパーの送ったデータによって大規模スペースコロニーの打ち上げに成功していたのだ。ただし、この時はまだアメリアが到着した惑星にはたどり着けていない。

映画の中ではプランAに移行し、計画は進んでいることが示唆されるが、成功と結論付けるにはまだ早い状況だろう。それでも大規模スペースコロニーの打ち上げに成功している時点で、地球に住む多くの人類は救われることになったと考えられる。その仄かに明るい希望を示唆して映画は終わりを迎える。


ブラックホール。
科学が教えているとおりに、本作のブラックホールの中心には、いわゆる特異点がある。質量が無限となる点だ。非常に強い重力を生み出す点で、物質をその内部に引き寄せ、降着円盤と呼ばれる渦をつくり出す。

映像化のために、超重力のブラックホールの周りで、光がどのように進むのかを一般相対性理論で綿密に計算するコードを開発し、それを論文にまでして発表したというのだから本作の科学に対する熱量は凄まじい。
劇場公開の5年後の2019年に、NASAが最新の理論でブラックホールを可視化したビジュアルを公開したのだが、それを見ると本作、『インターステラー』で描かれたブラックホールとまったく見た目が一緒で思わず感涙しそうになる。


エンデュランス号の脱出。
物語の終盤近くでクーパーは、自身を乗せたレインジャーⅡとTARSを乗せたランダーを、アメリアのいるレインジャー号の母体から切り離し、超巨大ブラックホールのガルガンチュアに接近させた。
この行為の目的は、アメリアをエドマンズがいる惑星に向かわせるのに、エンデュランス号をブラックホールの重力圏から脱出させるためだ。
これは、ロケットの打ち上げで、地球の重力の束縛から脱出できるだけの十分な速度(最低でも秒速11.2km以上) を与える必要があるのと同じことである。回転するブラックホールに宇宙船から物体を上手く投げ込むと、宇宙船の速度が増すという"ペンローズ過程"の一例があるのだが、アメリアの乗ったエンデュランス号は、回転するガルガンチュアにクーパーらを投げ込んだことでこのプロセスが発生し、十分な脱出速度が得られたというわけだ。


なぜクーパーはブラックホールに突入しても無事だったのか。
ちなみに地球から最短の距離にあるブラックホールであっても、到底現代の科学技術では旅行できる範囲に存在しない。そのため、クーパーが体験するところの映像描写は全て、理論上の考察に基づくものである。元来科学者の頭の中にしかなかった世界を、映像および可視化したという一点においても、この『インターステラー』という作品は革新的なのだ。

いったんブラックホールに入ってしまうと、決して抜け出せないというのは有名な説だ。
恒星(自身で光る星)はその寿命の最期を迎えるとき、"超新星"と呼ばれる爆発現象を起こす。その爆発の影響は空間に密度の揺らぎを起こし、また新たな星の形成を促すのだが、このとき中心に非常に密度の高い天体が残存することがある。この非常に密度の高い天体の一種が、ブラックホールである。つまり非常にコンパクトで、かつとんでもなく重い天体である。とんでもなく重いということは、それだけ引っ張る力が強いということだが、ブラックホールは光すらも吸い込むことができる。このような理解から「ブラックホールは引っ張られる力(重力)がもの凄く強いから、抜け出せない」と説明されることが多いのだが、これは一般相対論的な説明ではなく、ニュートンの理論に従った古典的な説明に近いそうだ。

ブラックホールには、一度入っても引き返せる半径の領域と、それ以上深く進むと二度と出て来れない禁制領域が存在する。この2つの領域の境界領域は、シュバルツシルト半径と呼ばれる球の半径値で区別されている。シュバルツシルト半径とは、ドイツの天文学者、カール・シュヴァルツシルトがアインシュタイン方程式から導出した、シュワルツシルト解を特徴づける半径である。

例えば太陽の質量の3倍程度の軽いブラックホールならば、シュバルツシルト半径は約9km程度である。すなわちブラックホールの中心から9kmの地点より先に侵入すると、二度と帰還は出来ないわけだ。このシュバルツシルト半径で区別される奥の禁制領域の入り口は、"事象の地平線"と呼ばれている。事象の地平線を超えることは、私たちの世界のあらゆる"事象"から切り離されることであり、つまり現実世界における一切の因果関係からの離脱を意味する。クーパーはこの事象の地平線を超えた唯一の人間として描かれる。


事象の地平線を越えると、何が起こるのか。
「時間の向き」と「クーパーとブラックホールの中心を結んだ方向」が逆転するという、極めて奇妙な現象が起こるのだそう。
時間とは、私たちを強制的に過去から未来へ流す一方通行の流れ、と言えるだろう。私たちの事象の中ではこれは不可逆的なものであり、遡ることは出来ない。

過去から未来へ向いた「時間の向き」が「クーパーとブラックホールの中心を結んだ方向」と入れ替わるということは、「クーパーとブラックホールの中心を結んだ方向」に進むことを余儀なくされるということである。
私たちの世界では、過去から未来へ時間が進むのを決して止められないように、ブラックホールの事象の地平線の中では、中心方向に近づいていくのが決して阻止できなくなるのだ。例えばそれは光ですら全く同じことだ。

「重力が強いから抜け出せない」と説明するのと、「時間方向と半径方向の立場が入れ替わるから抜け出せない」と説明するのでは、雲泥の差である。前者はブラックホールの特徴として重力の強さを挙げているが、より正しい説明である後者はそうでない。つまりブラックホールとは、重力の強さ弱さで説明されるほど単純な天体ではないということだ。
ブラックホールに人間が突入するという事柄だけをパッと思い浮かべて、頭によぎるのはその対象がペシャンコになる未来だろう。深海がまさにそうであるように。だが映画を通して最新の科学考証に触れてみると、単純にそうではないらしいことがよく理解出来る。

ブラックホールの質量が大きければ大きいほど、シュバルツシルト半径も比例して大きくなる。シュバルツシルト半径が大きくなればなるほど、事象の地平線に宇宙船が差し掛かる際に働く重力、──正確には"潮汐力"(ちょうせきりょく)という──は、中心から遠ざかっているため小さくなる。このとき、「シュバルツシルト半径が大きくなっていく」よりも、「宇宙船に働く重力の大きさが小さくなっていく」方が、より変化のスピードが速いことが知られている。つまり異なる質量のブラックホールが2つあったとき、事象の地平線に差し掛かる地点で宇宙船が受ける重力は、ブラックホールがより重い方が、小さい。

クーパーが突っ込むことになったガルガンチュア・ブラックホールは、太陽の10億倍もの質量を持つ超巨大なブラックホールであったから、ホールに入った序盤では大した潮汐力を受けなかったのである。入った途端にペシャンコにされるというイメージは、どちらかというと小さい軽質量のブラックホールに当てはまる描像なのだ。


特異点 / シンギュラリティ
クーパーがなぜブラックホールに突入しても無事でいられたかについては上記した通りだ。
では突入後、5次元テサラクトにクーパーが行き着くまでの間、一体ブラックホールの中で何が起こったのだろうか。

ブラックホールの中心は、物理学の世界では通常"特異点"と呼ばれている。特異点の近傍は非常に高温、かつ凄まじい重力、超高エネルギーな状態となっており、生物、無機物を問わず一瞬で原子レベル、いやそれ以上のレベルにまで分解される。近傍ではなく、特異"点"まで辿り着くと、そこでは通常の物理学が成り立たない世界が存在していることだろう。
現状、私たちの持つ科学理論の全てを結集させたとしても、特異点を記述することは不可能である。特異点は、「一般相対性理論が予言能力を失う場所」とよく呼ばれている。ちなみに宇宙の始まりの"点"も、同じく特異点と扱われる。

特異点は、現代の重力理論である一般相対性理論が破綻する未知の時空点であるから、どうにかしてその点の観測データを持ち出すことが出来れば、新たな物理学を創造するアイデアになりうる。
特異点領域では、現代の重力理論のミクロレベルでの効果(量子効果)が発現してくるため、未だ未完成の理論である量子重力理論に貢献する可能性があるわけである。

映画においてクーパーが行ったことは、そうした特異点のデータを重力の波でマーフのところまで伝送するというものであったのだが、先ず、どうやってそこまで無事に辿り着けたのかが定かでない。


クーパーが突入したブラックホールの概略図が下記のサイトから確認できる。
Geometrodynamics – Exploring the nonlinear dynamics of curved spacetime via computer simulations and gravitational wave observations.)

ガルガンチュアの1つ目の特異点(Singularity)は、図の下にある「BKL特異点(BKL Singularity)」に対応している。BKL特異点は単なる"点"のイメージではなく、時空が激しく振動しているイメージであり、まさにカオスな特異点である。

1980年代は、ブラックホールの特異点はこのBKL特異点の1つだけだと信じられていたが、そうでなかったことが判明する。1991年にカナダのアルバータ大学の物理学者2人が、特異点がもう一つ存在することを示した。「Infalling特異点」と呼ばれる、ブラックホールに落下した後に、自身の後を追って落下してきた物体が降り積り凝縮して形成された特異点である。つまりクーパーにとっては、その背後にも特異点が存在していたことになる。

そして、2012年、『インターステラー』公開の2〜3年程前のことだが、3つ目の特異点「Outflying特異点」の存在が明らかになった。これは2つ目の特異点とは逆に、クーパーが突入する前に形成された特異点である。ブラックホールに落ちている人間にとって、これら2つの特異点は自分に向かって動いてくるように見える。そしてInfalling特異点とOutflying特異点の2つは、激しく振動するBKL特異点と違い、非常に穏やかな特異点であることが知られている。クーパーの乗った宇宙船がOutflying特異点に達し、宇宙船が潮汐力により2つに引きちぎられたとしても、クーパーの無事が期待されるほどにOutflying特異点は"穏やか"である可能性があるのだ。

映画を思い出してほしい、破壊された宇宙船から脱出したクーパーが見たもの、そう、未来人類の"彼ら"によって設置された「テサラクト」だった。


五次元テサラクト。
未来人がクーパーに用意したテサラクトは、僅かな間、5次元存在になることを許された空間である。
諸説あるものの、私たち人間がいま生きている世界は3次元空間に時間の概念が加わった4次元となっている。4次元は基本的に空間を移動することは可能だが、時間を移動することは出来ない。
このテサラクト空間を利用して、クーパーは娘のマーフに重力の波(重力波)で特異点のデータを伝送した。

重力波はまるで次元を超えて伝わるかのような描写だが、これにも理由があるようだ。
現代の究極理論である超弦理論によれば、"余剰次元"とやらがあるかもしれない、という仮説がある。電気の力である電磁気力などの自然界の他の力と比べて、重力は著しく弱いことが分かっているが、その理由を余剰次元に求めるのがこの仮説である。
私たちの住む世界の次元だけでなく、余剰次元という他の次元にまで重力の影響が伝搬するために、重力が弱い力のように見えてしまっているのだ、と考えるのがこの余剰次元による仮説である。

このような背景があるため、電磁波(光のこと)ではなく、重力波がマーフとの交信で用いられていたわけである。重力波は抜群の透過性を持っているため、初期宇宙の密度の揺らぎによって形成された原始重力波が、138億年の時日を経て、現代の地球にまで伝わってくることも実際の観測現場では期待されているそうだ。


余談だが、『インターステラー』の公開日から約10ヶ月後の2015年9月14日、人類は初めて重力波を観測した。2つのブラックホールの衝突によって発生した重力波である。マーフに情報を伝えるのに使った重力波と原理的には同じものだが、現実の重力波は観測が異常に難しいほど小さい。重力波の到達による時空の歪み度合いは、1kmの棒が約0.0000000000001cm伸び縮みする程度である。その影響は異常なほど小さいことが分かるだろう。『インターステラー』でみられたように、本を動かすほどの重力波を放出するのは、受け取る側の影響を加味しても、いささか現実的ではないかもしれない。


幽霊の正体。ポルターガイストの謎。
クーパーは重力波を使い、マーフの部屋にある本棚から本を落とすなどして自分の存在を伝えようとする。ここで冒頭のマーフの部屋で起きた幽霊によるポルターガイストの正体が判明するわけだ。
それは、未来のクーパーが過去のマーフと交信するためのものだった。


どうやってブラックホールから脱出したのか。
マーフにデータを送り続けたクーパーだが、その後テサラクトは閉鎖し始めてしまう。それから最初に入ったワームホールへと吸い込まれてしまうのだが、その後土星付近を漂流しているところを発見され、無事に助かることとなる。

この結果について、疑問点も多く挙がっている。
映画の中でも特に生き残った理由になるような描写はないし、制作陣からもクーパーが生き残ったことについて明確な説明はないようだ。

ただし、5次元人が存在することを仄めかす描写は見られる。クーパーが生き残ったのは5次元人によって手引きされた結果なのかもしれない。
5次元人の正体について、作中でも明確にされていないが、最初にワームホールを作ったのも、クーパーがブラックホール内部のデータをマーフへ送信できたテサラクトを作ったのも"彼ら"だ。

クーパーはTARSに自分たちこそが"彼ら"だと言ったが、実際のところはどうなのだろう。そう考えると色々と辻褄が合わなくなる。

ただ、もしかするとラザロ計画が完全に成功し、別の惑星へと移住を果たせた未来の人類が、5次元人として地球の未来を救うために導いたとも考えられるし、その方が効率的だ。
クーパーの言いたかった自分たちというのは、当事者である"俺たち"ではなく、"人間"たちの事を指してのことかもしれない。


『インターステラー』が描いてきた主題。
『インターステラー』は人類を救うために宇宙に挑む壮大なSF作品で、ファンタジーとは思えないほどリアルな科学的要素もたくさん盛り込まれている。しかし、ノーラン監督は『インターステラー』について、「ただの宇宙映画ではない」と語っている。

ワームホールやブラックホールをできる限り一般相対性理論に基づく正確なものにするために、キップ・ソーン物理学者が科学コンサルタントを務めたことは先述した通りだ。
理論に基づいた緻密な科学考証がこの映画に未曾有のリアリティを与えているのは言うまでもない。

しかし、そんな高度な科学考証の裏で描かれ続けてきたのは人間の"愛"だ。

劇中、アメリアは「愛は人間が発明したものではない。愛だけが次元や時間、空間を超える手助けをしてくれる。だから愛を信頼しなくてはいけない。」と述べている。
"愛は非科学的なもの"という認識をされてきたが、アメリアは重要な判断をする基準として愛を持ってくることは決して非科学的ではないと伝えているのだ。
たしかに人間は愛によって行動を決めることが多い生き物だ。そもそもクーパーは人類を救う、というよりも子どもへの愛から宇宙船に乗り込むという行動に移ったのだ。

『インターステラー』は現代物理学をベースとするハードSFの主題を普遍的な"愛"にしたことで、より多くの人がエモーショナルを感じられる作品へと仕上がったのではないか。


さいごに、
映画という体験は、日常から非日常への(安全圏からの)シフトを通じてカタルシスを得るものだ。
その意味において、本作の非日常のレベルはまさに壮大な宇宙そのものであり、それは知的好奇心を大いに満足させ、映画を観始める前よりも観客をより遥か遠くの地平へと誘ってみせた。
ワームホールやブラックホールという未知への探求には胸踊るし、なにより、現代最先端の科学考証を用いて事象を見事に可視化してみせた、その野心に感嘆させられる。
ラザロ計画の搭乗員たちが、命を掛けて未知へと挑み、人類の未来を救ったように、本作もまた人間の未知なる可能性を秘めた想像力への大きな働きかけとなっただろう。

ブランド教授が諳んじていた詩を引用したい。

読まれるのはディラン・トマスの詩「穏やかな夜に身を任せるな(Do not go gentle into that good night)」の一節だ。


穏やかな夜に身を任せるな
老いても怒りを燃やせ 終わりゆく日に
怒れ 怒れ 消えゆく光に
最期に闇が正しいと知る賢者も
その言葉で貫いた稲妻はなく 彼らが
穏やかな夜に身を任せることはない
叫ぶ善き人よ あれは最後の波 どんなに明るく
そのかよわい行いが 緑の湾で踊ったことか
怒れ 怒れ 消えゆく光に
軌道をゆく太陽を 捕え歌った荒くれ者よ
遅すぎて過ちを知り その道行きを弔った
穏やかな夜に身を任せるな
墓守たちよ 死を間近に 盲目の目で見る者よ
見えない眼は流星と燃え 鮮やかにもなれたはず
怒れ 怒れ 消えゆく光に
そしてあなたよ 私の父よ その悲しい高みから
呪いたまえ 祝いたまえ 烈しい涙でいま私を
穏やかな夜に身を任せるな
怒れ 怒れ 消えゆく光に


ディラン・トマスは1914年、英ウェールズに生まれ、39歳の若さで亡くなった。「穏やかな夜に身を任せるな」が発表されたのは彼が18歳のとき。
時間のとりかえしのつかなさを拒み、生の終わりを受けいれることを拒んで熱っぽく歌いあげたこの詩は、彼の詩の中でも最も有名な1作となった。

詩の形式は何度も同じところをぐるぐる巡るような節回しを特徴とするヴィラネル(日本語では「田園詩」や「牧歌」と呼ばれる)で、イタリアの農民が歌っていた作業歌がルーツと考えられている。かなり縛りのきついこの形式では、ひとつの物語を順を追って展開することよりも、同じ詩行を何度も何度も繰り返すことで、深く人間の感情や記憶を揺さぶり、その韻律の中に生々しくよみがえらせることに主眼が置かれている。

この詩の根底にある感情は「人間よ、諦めるな」ということに尽きるのではなかろうか。
朱音

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