朱音

ほの蒼き瞳の朱音のネタバレレビュー・内容・結末

ほの蒼き瞳(2022年製作の映画)
3.9

このレビューはネタバレを含みます

ルイス・ベイヤードが2006年に発表した原作小説、『陸軍士官学校の死』を映画化した本作、原題は『The Pale Blue Eye』。文学的なタイトルが映画の雰囲気にとても良く合っている。
エドガー賞・長編賞やエリス・ピーターズ・ヒストリカル・ダガー賞にノミネートされた期待の話題作であり、日本でも2010年7月に創元推理文庫、山田蘭訳で出版されている。


叙述トリックによる見事などんでん返し。
叙述トリックは描写を上手く制限して、読者や視聴者を騙すミステリーの手法だが、本作、『ほの蒼き瞳』は、それがスパッと綺麗に決まった作品だ。
たしかに中盤以降ポーの活躍するシーンが思うように描かれず、薄々違和感を感じてはいたのだが、まさかこういう形でこようとは。見事にまんまと騙されてしまった。
というのも、ランドーが起こした殺人事件の中に、黒魔術のための死体損壊事件が入れ込んだ構造になっているため、探偵役のランドーは黒魔術についてはしっかり捜査をしていて、それだけにミスリードが巧みなのだ。

ユニークなのは自分の犯罪を隠したいから適当に捜査するというのではなく、自分の犯罪を隠したいからこそ積極的に真相を究明しようとするという、ある意味で逆説的な図式が成立している点だ。

重厚な人間ドラマを演出するための、行間を読ませる抑制の効いた作劇と、叙述トリックのための余計な説明をしない作劇が見事に機能合致しており、スムーズにどんでん返しへと繋がってゆく構造が秀逸だ。
ランドーが死んだ娘のために士官候補生たちを殺した外枠と、リアたちが黒魔術のために死体を利用するという内枠という、別の事件が発生するという、この特殊な入れ子構造を成立させるための超現実的な偶然性、例えば、ランドーが自分が起こした殺人事件の捜査を依頼される点や、ランドーが殺したリロ・フライの死体からリアとアーティマスの姉弟が黒魔術のために心臓を抜き取るという、これらの要素はたしかに出来過ぎていると思わなくもないが、ユニークなミステリーを創作する上ではどうしても無理がないのであろう。
少なくとも一冊の小説、一本の映画というコンテンツを味わうその消費時間の中において、この力業は正しく成立していると思う。つまり、作品にしてやられたという快感が先に立つのだ。


ポーに託したもの。
ランドーは復讐心を抑えられなかった一方で、元刑事としての、たしかな正義感と良心のある人間であった。
彼はなぜ手紙と紙片をポーに託したのであろうか。それはつまり事件を起こす一方で、自身の継承者として見定めたポーを事件の真相へと誘う為でもあったのではないかと考えられる。
(予め解読が済んでいる)紙片をポーに解読させたのが、最初のテストだったのだとすれば、貯氷庫に呼び出すために使用した手紙は彼への実技試験のようなものであったという事だ。ポーがいくら士官候補生として学校に管理されていた身とはいえ、呼び出すだけなら伝言でも良かったはずだ。先述した紙片のテストにて、ランドーは綴り間違いを指摘する旨を通じて、人の書く字や文章には癖や特徴が表れるという、ある種の見抜くコツをポーに伝授している。
そのランドーが考えもなしにポーに手紙を出すとは思えないのだ。聡明でかつ独自の正義感と真摯を有した者同士の共鳴がここにはあると考えるのが妥当ではないか。


エドガー・アラン・ポーへのあくなき憧憬。
本作の見どころのひとつが映画のルックだ。ロケ撮影による冬景色も室内セットもどちらも美しく、クラシカルな雰囲気が漂う格調の高いミステリーに仕上がっている。ロウソクの火や自然光を使ったライティング、衣装などの美術にも手間をかけていて、全編に渡る丁寧な演出は重厚感たっぷりだ。薄暗い雪景色に若き士官候補生たちの蒼い制服姿が映える。

陰鬱な事件と、哀しい結末を描いた本作だが、ランドーの悲壮と対をなす形でポーが存在する。
彼のもつある種の遊離した優雅さと、詩人としての美意識、紳士としての佇まい、そのどれもが人を惹きつける。

クリスチャン・ベールのどっしりと構えた安定感ある演技と、ハリー・メリングの重苦しいストーリーにアクセントを加える表情豊かな演技のコンビネーションが非常に良い。バディものとして物語が駆動する度に心が沸き立つのを感じた。

ルイス・ベイヤードの原作からしっかりと引き継いだポーへの憧憬は、監督・脚本を務めたスコット・クーパーへとしっかり継承されている。非常に真摯で美しい映画作りだ。
朱音

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