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異人たちとの夏のHKのレビュー・感想・評価

異人たちとの夏(1988年製作の映画)
3.8
真冬に真夏の映画を観てしまいました。
原作は先頃亡くなった山田太一。
本作は公開時にも観たし、LDも持ってました。
今回は昔買ったまま未読だった原作単行本をようやく読んでからの久々の鑑賞。

公開当時、原作:山田太一(『想い出づくり』『ふぞろいの林檎たち』)、脚色:市川森一(『港町純情シネマ』『淋しいのはお前だけじゃない』)、監督:大林信彦(『ハウス』『時をかける少女』)という夢の布陣はそれぞれの個性が強すぎるため期待と不安が半々だったことを思い出します。

あらためて観ると、山田と大林の個性がそれなりに折り合いをつけてなんとかまとまっている印象。
映画化にあたり音響を含む映像ならではのシーンも随所に盛り込まれた市川の脚色も手堅く両者を立てている感じ。

原作を読んでる間、頭に浮かんだTV脚本家の主人公は映画の風間杜夫よりもむしろ山田太一その人。
思っていたよりも原作のセリフの多くが映画でそのまま使われており、市川の脚色後も「いいのいいの」「まいった・・・」などTVドラマでよく聞く山田節もチラホラ。

原作読了後に映画を観てわかったことを以下に抜粋。
オープニング、主人公(風間杜夫)がドラマの録画を観た後でプロデューサー(永島敏行)と電話するシーンは原作にはナシ(プッチーニはケイが好きな曲として原作終盤に登場)。
主人公が地下鉄の廃線で遭遇するタイムスリップ風の幻想的シーンも原作にはナシ。
セリフの下手なアイドルに主人公がイラつくドラマの本読みシーン、いかにも山田太一の体験っぽいがこれも原作にはナシ。
子供時代の主人公と両親との写真も原作には登場せず。
何度か画面に映る不思議な日本画は、原作ではケイ(名取裕子)の部屋にある前田青邨の「腑分け」。
永島敏行のキャラは原作よりもかなり嫌な奴でした。

主人公の両親(片岡鶴太郎・秋吉久美子)のシーンはどこもほぼ原作通り。
スキヤキ屋のシーンが泣けると一番人気だそうですが、私はどちらかと言うと主人公が両親と最初に会うシーンの方が印象的。まああの両親のシーンはどこもいいんですけど。

ところで、物議を醸した終盤のあのケイのシーン、昔観たインタビューで大林監督は自分のせいではなく原作がそうなっていると言い訳していましたが・・・う~ん、原作では嵐の夜でもないし、アクションも無いし、プッチーニも鳴り響かない。
やっぱり大林監督かなり盛ってますね(そこが好きだという人もいるようです)。
もともと松竹からの大林監督へのオーダーは、真夏の夜のスプラッタ・ホラーだったそうですから、ハイビジョンを駆使したあの派手なクライマックスはやっぱりお約束だったのかも。
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