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悪魔のシスターのsleepyのレビュー・感想・評価

悪魔のシスター(1973年製作の映画)
4.4
どこにも着陸せず、悪夢を飛び続けるグライダーのように *****





原題:Sisters  1973, US, 93 min.
ある女性ジャーナリストが隣のマンションでの殺人を目撃。その部屋の住人女性ダニエル(M・キダー)は気味の悪い男と行動をともにしているが、どうやら元夫であり医師であるらしい。ダニエルにはどこか異常なところがある。その問題とは・・

双子やサナトリウム関係者からクレームがつきそうなセンシティヴな内容ではある。おそらく地上波では現在放送できないだろう。異常心理といえば分かりやすいが、〇〇の医療画像のタイトルバックからして、もう全編ほんのりくるったような瘴気が漂う。
驚いたのは、デ・パルマ初期の本作において、すでに後に見られるいくつかの主題やスタイルが大胆に取り扱われていること。
表面的なことではスプリット・スクリーン(分割画面)、スローモーション、夢幻的なカメラ移動、クロス・カッティングなど。

イメージとしてのキーワードには「ダブル」「覗く」が挙げられる。本作は意図的にヒッチコックの『サイコ』『裏窓』を引用している。もともと「ダブル」「覗く」というワードはヒッチコックに強く見られる特性。

「ダブル」には代役、身代わり、替え玉、二重(の)などの意味がある。この概念・イメージは、デ・パルマ作品でいろいろな形をとって表れている。生まれ変わり、なりすまし、変装、人格の分裂(と統合)、人違い、過去のくり返し・・(『愛のメモリー』『殺しのドレス』『ボディ・ダブル』『レイジング・ケイン』『ファム・ファタール』『ブラック・ダリア』など)。

かつ、本作ではいわゆる「シャム双生児」(結合胎児)が「ダブル」という概念の体現装置になっている。双子を扱った映画は本作の他に、『戦慄の絆』(クローネンバーグ)、『レイジング・ケイン』(デ・パルマ)、『バスケット・ケース』(ヘネンロッター。未見)、『悪霊島』(横溝正史の小説、映画)などがある(他にキューブリックの『シャイニング』)。双子は視覚的にもトリック的にも映画的な素材だと思う。

そして「覗き」である。「覗く」は、監視、尾行、ビデオテープ、鏡、TVモニター、隠しカメラなどの形で現れる。これは快挙にいとまがない。そもそも映画という存在そのものが一種の「覗く」めいた側面を持っている。デ・パルマ作品ではこれらの要素が繰り返し意図的に使われる。

人が人を目で追う。ここでは、クイズ番組(ピーピング・トム)、窓から見える向かいの部屋、双眼鏡、姉妹の記録ビデオ、眼のアップ、催眠による妹の記憶への侵入(追体験)、昔の見世物小屋のようなイメージ。二分割スプリット・スクリーンの場面が、この「ダブル」「覗き」という概念と親和的であり、テクニックと主題の相乗効果を加速させる。

技術的なことだけで本作を語れない。突如起こる精神的爆発、妄執、凶行、倒錯したイメージにあふれ、観客をその中に放り込み、めまいを起こすような禍々しくニューロティックなイメージを投げつけて、突如我々を悪夢の中に置き去りにして去ってしまう。ねっとりまとわりつく(でもそれが何かわからない)落ち着かなさ。非現実的で倒錯的なイメージはしばらく頭を離れない。デ・パルマはこの時からヘンタイであった。ときおり交えられるちょっとしたユーモアが少しの救いだが。

ヒッチコック作品で高名なバーナード・ハーマンが、ここでは同じデ・パルマの『愛のメモリー』で聴かせた旋律と異なり、ショッキングな音楽をつけていて聞き物。ハーマンが本作の価値を高めたことは間違いないと思う。

ラスト・ショットもなぜかわからないが最高。スプリット・スクリーンが体現するように、登場人物はスプリットし、バラバラになったまま。どこにも着陸せず、悪夢を飛び続けるグライダーのよう。すべてが閉じてそこで固定されてしまい、たどり着かない「永遠」を本作は感じさせる。

★オリジナルデータ
Sisters 1973, US, 93 min. Color(一部Black and White), Mono, オリジナルアスペクト比(もちろん劇場公開時の比のこと) 1.85:1、Spherical、ネガ、ポジフィルム35mm
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