風に立つライオン

コンドルの風に立つライオンのネタバレレビュー・内容・結末

コンドル(1975年製作の映画)
4.1

このレビューはネタバレを含みます

 1975年のシドニー・ポラック監督作品である。

 シドニー・ポラックはプロデューサー、監督、俳優の三役をこなす根っからの映画人である。監督作品も「追憶」、「トッツィー」、「愛と哀しみの果て」など名作も多い。
 
 物語はアメリカ合衆国CIAの外郭団体たるアメリカ文学史協会に所属している第17課のジョセフ・ターナー(R.レッドフォード)がエンジン付き自転車で呑気に出勤するところから始まる。
 
 職員は8人で彼らは世界の書物を読みあさり、参考となり得る仕掛けや罠、暗号解読、或いはスパイ技法を収集分析するという部署である。
 聞くからに呑気な職場と推察できる。
 案の定、ターナーは15分遅刻で課長にイヤ味を言われるも「少し向かい風だったので」とどこ吹く風。
 職員も和気あいあいでひたすら終業時刻を待つような素敵な職場なのである。

 そんな中、ターナーはある書物の分析結果をCIA本社に提出していた。
 その本は売れていないにもかかわらず何ヵ国語にも翻訳されていたことに違和感を持っていた。
 その日、本社からターナーの分析に対して「君の仮説を裏付けるもの無し」との返信が来たばかりであった。

 お昼も近づきターナーの当番でお昼の買い出しに行くが外は雨模様。セキュリティーのある表玄関ではなく、地下を通って裏の破れた金網を擦り抜け出掛ける。

 この間にマックス・フォン・シドーことジュベールの殺戮部隊が3人で訪れ、サイレンサー付き自動小銃で職員全員が惨殺される。

 買い出しから戻ったターナーは惨状を見て驚愕する。
 青ざめてそこを抜け出し、公衆電話(当時は携帯電話は無い)からCIA本社に自己のコードネーム「コンドル」を使って報告を入れる。
 本社からは自宅や馴染みの場所は避けて身を隠せとの指示。
 しかし、今日休んでいるハイデガーのことを思い出し、彼の自宅へ行くも彼もベッドの上で死んでいた。
 そっとターナーは自宅へ戻ると自宅前で近所の知人がターナーを見つけてお客が二人部屋で待っている旨告げられる。
 ターナーは自分も完全に狙われている事を悟る。

 何が起こって、誰を信じていいのかが分からない。
 青くなって再びCIA本社に電話するとニューヨーク支局の副支局長ヒギンズが出て、「君を安全に保護する。17課のウィックス課長が出迎えるから1時間後にアンソニア・ホテルの裏路地で待て」との指示。
 しかし、ターナーは課長はおろかヒギンズさえ面識がないので行くことを渋った。そこでターナーの同僚で親しい統計課のサムを同行させる条件で了解する。

 1時間後、ホテルの裏路地にサムが立っているとターナーは恐る恐る近づく。横に隠れていたウィックス課長がいきなりターナーに向けて発砲。辛くも逃げ切るもサムは課長に打ち殺される。

 真っ青になってパニックったまま、ターナーは街のスポーツ用品店に飛び込む。そのレジで買い物を済ませた女性に近づき無理やり彼女の車に乗り込む。彼女の名はキャシー(フェイ・ダナウェイ)で女性写真家であった。暫く彼女のアパートに身を寄せる作戦をとることにした。

 ターナーは彼女のアパートでじっくり一連の出来事を分析してみたが、7人もの同僚が殺されるほどの理由が皆目分からなかった。自分の提出した報告書が重要な部分に触れてしまったのかもと疑心暗鬼になる。
 はじめは恐怖で混乱していたキャシーも次第にターナーに気を寄せていく。終いには「あなたは優しくはないけど、その澄んだ、嘘はつかない目が素敵」なんか言われたりしている。色男は得だぜ‼️この野郎ー‼︎

 この辺りからキャシーを仲間に入れターナーの反撃が始まる。元来、冷静な分析力に優れていたし、プロフィールは元通信兵である為、電話工事の現場からくすねた職員用電話機でジュベールの宿泊先ホテルの部屋電話からCIAの裏組織の司令塔たるアトウッドの電話番号迄突き止める。

 アトウッドの自宅書斎で彼を待ち受け、銃口を向けてカラクリを白状させようとするとターナーの背後にジュベールがピストルを持って立っていた‥。

 実にテンポが良く、観客も何、何、何っていう瞬間から、エー‼️って言う展開でハラハラドキドキのサスペンス感満載である。
 それもこれもレッドフォードとダナウェイの見事な演技力によるところが大きいのは間違いない。
 そしてマックス・フォン・シドーのクールでシャープな殺し屋振りは、とてもこれより2年前のエクソシストで年老いたメリン神父を演った人には思えない。

 因みに音楽もデイヴ・グルーシン担当でリー・リトナーと彼のバンド:ジェントル・ソウツが奏でる当時最先端のタイトなクロスオーバーサウンドでいかしていた。

 ポリティカルサスペンス映画としては群を抜いて面白いと思っているが、アカデミー賞には絡んでいないのがなんとも不思議である。