このレビューはネタバレを含みます
2009年制作、マーチン・スコセッシ監督のサイコサスペンス映画である。
一般評価がイマイチなのだが私はこれは面白いと思う。
そうそうこんな映画は創れるものではないと感じている。
1950年代、アメリカの精神医療はマックス・フォン・シドー演じる保守派の医師が主導するロボトミー治療(脳への外科的施術)から集団訴訟を背景に、ベン・キングズレー演じる医師に典型される人間味のある穏健な治療に変質していった時代であった。
そうした時代背景の中で、一方では作品全編にホロコーストでも悪名高いダッハウ収容所の解放に立ち合ったテディの罪悪感としてのトラウマが滲み出ている。
主人公の連邦保安官たるテディ(レオナルド・ディカプリオ)がそもそも精神を病んでいると見抜く人はそう多くないはずで、終盤、プロットの核心がわかって「エー!」っとなるはずである。
そして再度観直さなければならなくなった。
初鑑賞の時、我々は冒頭からテディと同じ違った次元にいて、信頼出来ない語り手に誘われていくのだ。
初見時、冒頭の相棒と船に乗って島へ向かうシークエンスを含め特に違和感なく物語の進行に身を委ねていたが、再鑑賞するとフムフム、至るところに微妙にへんなところがあることに気づく。
冒頭、船上で調子を崩すテディだが、船酔いかと思いきや水が怖いと言っている。
これは子供達の死のトラウマである。
相棒のチャックの横に立ち「お前が今度来た相棒か?」と聞く。相棒だったら乗船前に承知しているはずである。
下船して迎えに来た警備隊のジープに乗り込む時も周囲の警備員が銃を構えているのを見てテディは「やけに警備が物ものしいな」と聞く。
再鑑賞時にそれは凶暴な患者テディが護送されて来たに過ぎないと分かる。
こうして再鑑賞時に人々の意味ありげな視線や含みを持った台詞がある事に気付き、全ては裏があることが分かる。
職員を集めてのテディの尋問についても、皆の面倒くさそうな顔や態度の悪さ、皮肉まじりの回答も再鑑賞時には理解出来る。
精神を病んだ患者に皆が付き合わされているからに他ならない。
つまり、無条件の愛でテディを治療しようとするコーリー医師(ベン・キングズレー)に皆が協力して役をこなし付き合わされているわけである。
相棒役のチャック(マーク・ラファロ)からは愛情と誠実さと辛抱強さが滲み出ていることが再鑑賞時に分かる。
要するに初見の時は劇中劇を観客は観ていることになる。
レオナルドも2回目に観た時にどう映るかが大事だったとし、二つの芝居を同時に演っている感覚だったと述べている。
スコセッシ監督も3本の映画を同時に撮っているようなものだったと述懐している。
この映画は再鑑賞によりその面白さが増嵩する極めて特異な作品でありサイコサスペンスの傑作と言っていい。