ryosuke

母なる証明のryosukeのレビュー・感想・評価

母なる証明(2009年製作の映画)
3.9
草原から始まるオープニングで、ダイナミックなカメラワークの長回しの中で一人の女が踊り出す、って老婆版サウンド・オブ・ミュージックかな(と思ってたらアカデミー候補者の最初の映画体験という動画でポン・ジュノが挙げてたのでマジでそうなのかも)。
被害者の足の間を刑事が覗き込むショットと、暗い場所に座る母親の顔ショットのギョッとするような接続や、観覧車のシーンで下に目線を落とした瞬間にシームレスにフラッシュバックに入る演出など、正に映画の語りという感じで繋ぎが上手いし、エピソードも一つ一つが強い。
先に「ほえる犬は噛まない」を見ていたのだが、サイドミラーへの飛び蹴りや鼻血(「ほえる犬」では印刷、本作では現像のシーンで垂れてくる)、悪人として描かれる「教授」など一貫したイメージがあるようだ。
弁護士が水商売の女性と乳繰り合いながら依頼者と会話し、音楽に合わせて「メンバー紹介」をするシーンなんて破茶滅茶で凄い。「パラサイト」「ほえる犬」とも共通するインテリや上流への嫌悪感は何だろうか。
かといって下流の人間が善人な訳では全くない。「パラサイト」「ほえる犬」と同様、本作もいけすかない人物ばかりで、「パラサイト」は大分ポップに薄めてくれたのかと実感。ストーリーや結末もかっちりしてるし。本作におけるマダムの娘も「ほえる犬」におけるぺ・ドゥナも「罪人」である主人公に何の理由もなく優しい笑顔を向け、唯一好感の持てる人物となっているのだが、これが周囲の影を際立たせる。
「パラサイト 」では机の下から、「ほえる犬」ではタンスの中からであったが、本作でも主人公は隙間から様子を伺う。さて本作の主人公は向こう側にある何かを掴むことが出来るのか。
演出はヘンテコでありながら、中盤まではストーリーは普通の犯人探しだったが、息子が5歳の頃の話を始めた際のキム・ヘジャのおぞましい叫びによって一気に映画の陰影が深くなる。ポン・ジュノ、ホラーセンスあるよなあ。カメラは息子の顔の右半分を捉えるのだが、彼の顔は丁度殴られて腫れ上がっており、よく知っているはずの息子が急に別人になってしまったような、正から負への感情の転換が一目で分かり怖い。
「母と寝た」という旨の台詞、母子の同衾、「餅をつくんだろ」という揶揄などインセストタブーの雰囲気があって不気味なのだが、立ち小便をする息子の股間を凝視する母の姿は、むしろ息子が「子供」でなくなっていくことへの驚愕と見た方が良いのかもしれない。
偶々たどり着いた廃品回収のお爺さんが全部見ていたという種明かしはあんまり工夫がないし、拍子抜け感は無いでもないなあと思っていたら、衝撃は別の角度からやって来た。
息子が嘘をついていたのか、記憶が混同していたのか、どうやら後者のようではあるのだが、後者は想定していても前者の可能性は排除していた自分が、息子を「正直で純真な良い子」と捉えるステレオタイプに母と同様ハマっていたのかもしれないと思うと中々嫌な気分。
冒頭の草原にどこで回帰するのかなと思っていたが、どう考えても踊っている場合ではない場面で母は草原に辿り着く。
鈍器で頭を打ち付けられる男や小高い山に登って家を見つめる主人公に関しても、「パラサイト」の終盤と似通っており、ポン・ジュノは一つの確固たるイメージを持っている人なのだろう。どことなく不穏で目を見張るような威力があるロングショットを大事にしており、毎度登場する細部が魅力的でついファンが探してしまうような感じなのかな。そういう意味ではやはり黒沢清に近いように思える。
「ほえる犬」「パラサイト 」もそうだったが、ポン・ジュノはやはり公的な裁きなど信じていないようだ。オープニングが惹起したダンスの予感は、太ももに刺した針で不安を抑え込むことで発動するが、破滅の前の狂騒にしか見えない。息子の記憶だって、例のこめかみマッサージで蘇ってしまうまでにそう時間はないだろう。
ryosuke

ryosuke