ーcoyolyー

好きだ、のーcoyolyーのレビュー・感想・評価

好きだ、(2005年製作の映画)
4.5
私の初恋の人の卒業した高校がこの映画の舞台なんです。

石川寛監督の前作「tokyo.sora」は私しかいない映画なんです。出てくる女の子がみんな私や私の友達。そして私の卒業した大学が舞台になっていました。
本当に私の日常と地続きで、映画を観る前、観てる最中、観終わって映画館を出た後、全部同じテンション。私の日常が単に映画になってるだけなので、それは死ぬまで続きます。たまたま切り取られた自分の姿がスクリーンに映し出されただけで、スクリーンに映らなくても私は常にああやって生きている。私の日常と段差のない映画。あそこまで自分の生活が映画の世界とシームレスに繋がることは経験したことないので特別な映画なんです。

だからずっと気にしつつも「好きだ、」は観る勇気が出ないままだったのですが、アマプラ配信終了間近なのでついに勇気を出した。

動揺した。私には公立共学での青春模様というか恋愛というものがてんでわからない。カトリックの女子校で恋愛に沸き立つ同級生たちですら異星人のように見えて、私は泳ぎ方を習ったことがないので泳げない恋愛という海を、私の知らぬ間にみんな泳ぎ方を覚えていて一斉に泳ぎ始めていること、そして自分だけ取り残されていることがとても怖かった。恋焦がれる対象を学校の中で見つける人もいましたが多くは学外に獲物を求め泳いでゆく。その様子を私はただ眺めているだけなのに泳げないことが恥ずかしくて泳げるふりをしていた。

そういう近くに恋愛対象となるような異性を持たずにその大波を被らないように逃げ惑っていたのが高校生の私なので、宮崎あおいと瑛太が彼の卒業した高校の制服を着て甘酸っぱい恋愛をしていることに衝撃を受けた。
だってそれって彼にもそういう時間があった可能性が高いということじゃないですか。いや言われてみれば当たり前なんだけど、自分の高校時代の延長線上になんとなく位置づけてたみたいでそんなことないのに、高校時代に同級生との恋愛の一つや二つそりゃこなしてそうな人なのに、それがどういうことなのか私はリアルには想像できてなかったんです。それを今この映画で突きつけられて大変に動揺している。石川寛監督の映画は常に私と地続きだと思っていたのに突然そこに断絶が見つかってしまったので受け止めきれなくなっている。いや当たり前なんだ本当だって私「大学生にもなって中学生みたいなことになってる恥ずかしい」と突然恋に落ちてからずっと劣等感まみれだったんだから。こういう青春を送った人とスタートラインが全く違うのに私は彼のことが好きで付き合いたくてどうしていいかわかんなくてでこんがらがって泣いてたから。こうやって思春期、中学生高校生と段階踏んで大学生になってる人と自分は違うからどうやって相手にしてもらえるかわかんなくて大学生らしい恋愛もわからないというか上手くできる自信が全くなくて怖くて惨めで泣いていた。見た目が全くそんな感じじゃなくて当然段階踏んでます、みたいな感じだったのでそうじゃない部分を見せられなかった。澄ました顔で当然泳げますよと溺れながら取り繕う日々だった。

私は、彼が私と違う環境の高校時代を過ごしてることがわからなかったんです今の今まで。周りにいたのは女子校女子と男子校男子だったので。男子校男子じゃなくて共学男子はこういうもの、ということに気づいてなかった。死角になってた。死角になってたことにすら気づいてなかったのでびっくりしている。

ただ、宮崎あおいと瑛太ではなく永作博美と西島秀俊になったら知っている彼がいて安心した。

田舎の空の下にいる彼を私は知らない。東京の空の下にいる彼を私は知っている。

飄々とした風のような人が好きなんだ私は。そしてここの西島秀俊はそういう人だった。安心した。瑛太はそういう人に見えなかった。飄々とした風のような人というのは先天的ではなく何かのきっかけでああなるものなのだろうか。私は自分が重いので風のような身軽な人に憧れる。私は港のように常にそこに動かずいる人間なので、風のように自由気ままに動ける人に憧れる。でもそれは私が勝手に風のような人と誤解してるだけで実は違ったりするのだろうか。

東京の空の下、私と彼がいた。あの日の、あの夜の、あの夜明けの私と彼を覆った空気感がそこにいた。

誰にだってそんな特別に印象に残ってるような日が、夜が、夜明けがあるでしょう、とずっと思ってたんだけど、もしかしたらそんなことはないのかもしれない。でも私たちには確かにあった。

今は彼は東京の空の下にはいない。というか日本の空の下にいない。私も東京から少し離れたところに住み始めた。あの空の下の二人も懐かしい思い出となった。でも私たちは確かにそこにいた。

二人で雪道を歩いたことはない。でも二人とも北国出身だからああやって歩くことはできるんだろうなと思う。もしあの道を歩いていたら、私は彼の故郷の雪質に文句をつけてると思う。私の祖父母の家がある北東北の小さな町の名を彼が知っていて県境を挟んでいるけども割合近くだったらしくてびっくりしたことがあったから、私は祖父母の家の庭で面白いほど雪がくっついてきてあっという間に雪だるまができて驚いたことを思い出す。私の故郷のパウダースノーでは雪だるまを作るにもくっつかないので一苦労なのだ。もしあの二人のように歩いていたら私はそんなことを話しただろう。

彼はいい人で私とどこか似たような空気感もあって一緒にいて楽だし落ち着くけど、彼は私から逃げる。私からだけではなく全てのものから逃げる。あらゆる重さから逃げる。私はもう捨てられたくない。だから友人の距離感がちょうどいい人だと今は思う。

・・・

この勢いで次は私の育った場所の話だけど私の育った階層とは異なる人々の話でもある「海炭市叙景」に手を出してみます。
ーcoyolyー

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