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ジャーヘッドのkuuのレビュー・感想・評価

ジャーヘッド(2005年製作の映画)
4.0
『ジャーヘッド』
原題Jarhead.
映倫区分 R15+.
製作年2005年。上映時間123分。

N.Y.タイムズが戦争文学の最高峰と絶賛した海兵隊員のベストセラー回顧録を、『アメリカン・ビューティー』でアカデミー賞を総ナメにしたサム・メンデス監督が映像化した戦争ドラマ。

余談ながら、海兵隊を『ジャーヘッド』と呼ぶんは、髪形を高く刈り上げた形が湯を入れるジャーの形をしていることに加えて、馬鹿、黒人男性、大酒飲みなんて軽蔑的、自虐的意味も含んでて、完全志願制の海兵隊のマッチョなエリート意識の裏返しでもあるそうです。

原作者の主人公にジェイク・ギレンホール。
(レオナルド・ディカプリオとトビー・マグワイアは、もともと映画の主役を争ってたそうですが、個人的にはジェイク・ギレンホールでバッチリなんかなぁと観終えて思った。)
ジェイミー・フォックス、クリス・クーパーらオスカーに輝く演技派が、15年前に起きた湾岸戦争従軍兵の内なる戦いを表現、戦場の現実をスクリーンに叩きつける。

1989年、18歳のスウォフ(ジェイク・ギレンホール)は海兵隊員の父親と同じ道を進むべく、自分も海兵隊に志願する。
狙撃手として湾岸戦争下のイラクに派遣されるが、実践ではなく演習と待機の日々が待っていた。。。

今作品で、"fuck "ちゅう単語と、その派生語が278回使われている("mother "という接頭語を使ったものが38回)そうですが、数えた人がある意味スゴイ。

新兵訓練を味わい深いキューブリック『フルメタル・ジャケット』。
ワルキューレの曲にのってロバート・デュバルが演じた銃撃戦に雄叫びをあげ士気を高めた『地獄の黙示録』。
『プラトーン』でも訓練マニュアルとして何度も見て、出動命令を待っているジャーヘッドたち。
今作品もそんなジャーヘッドたちの話で、元海兵隊員アンソニー・スウォフォードの2003年のベストセラーを原作とする『ジャーヘッド』。
良くも悪くも、単なる戦争映画ではなかった。
とは云え、類似点がないわけでもないかな。
戦争映画の多くがそうであるように、『ジャーヘッド』も軍隊生活の感覚に没頭するよう最善を尽くしてた。
ロケーションから音に至るまで、すべてが本物のようでした。
そこで、重要なんは演技で、決して芝居がかったりせず、真の海兵隊員の姿を再現しようと努めているのがうかがえたかな。
特にアンソニー・スウォフォード役のジェイク・ギレンホールは、驚くほど繊細な演技で、 
『見ろ、俺はこんなに素晴らしく、激しいんだぞ』
なんて心の声が聴こえてくるような演技でした。
映画全体がこのように実に繊細で、これが今作品が疑いなく深く沈み込ませる全体的な不安感を助長しているんやと思います。
また、サム・メンデス監督は、わずか3作目にして、こないな見事な映像を作り上げたんは脱帽かな。
(過去には、『アメリカン・ビューティー』や、トム・ハンクスと共演した『ロード・トゥ・パーディション』を撮った)。
焼け野原や、日に焼けた砂丘が、満天下に映し出される今作品は、これまでにも展開されたことのある物語の領域にさえ踏み込んでいる。
『フルメタル・ジャケット』みたいに、怒鳴り散らし、ほとんどコミカルに罵倒する教官から、新兵訓練の恐ろしさを証明するところから始まり、そして、海兵隊員たちは徐々に何かを撃ちたがるようになる。
しかし、こないなな類似点が逆に、今作品が実際に戦争に対するこうした認識に対するコメントであることを補完している。
結局のところ、これは非常にユニークな作品やった。
『プライベート・ライアン』や『アポカリプス・ナウ』みたいな"古典的な戦争映画 "とは異なり、今作品は、激しい戦闘が実際に起こらない場合に何が起こるかを描いていました。
登場する海兵隊員は皆、戦いに向けて気合を入れており、ある時は実際に『アポカリプス・ナウ』を見て、ヘリコプターが標的を爆破するのを歓呼していた。
しかし、彼らにはこのような機会はないねんなぁ。
観てる側としちゃ、その大きな戦闘シーンを待ち望んでいたけど、それは決してやってこない。 
ほんでもって、それは決してあってはならないことやと云える。
無心になれるアクションを求める人にはその点では向かないんかな。
戦争と人間の双方に充満しうる血への渇望を精査することを恐れず、どんな代償を払ってもこの血の渇望を鎮める必要性を示している。
我々は文化に浸透している戦争に対する認識を問い、戦争とは何かを本当に定義するのは死と破壊なのか、と問いかけている。
とは云え、今作品にはいくつかの問題があるかな。
例えば、登場人物と常に距離がある。
彼らは退屈してて、終わりのない待ち時間や浮気な配偶者といった問題が彼らの最大の敵であることがわかる。
しかし、登場人物が成長したり変化したりすることは少ない(後半の少しで彼らのその後は観れるものの)。
ただ、戦うことに不安を感じている姿を見せるだけでは、2時間を埋めるには十分ちゃうかな。
特に、砂漠での大虐殺の余波など、戦争の恐怖がようやく伝わり始めても、兵士たちの即戦力としての精神に、目先の感情以上の影響を与えることはない。
戦争が終わったとき、海兵隊員たちは戦争に行ったときと何が違うのか、なぜ違うのか。
そしてその理由は。。。
今作品は、これらの疑問に答えようとはしない。
また、この映画が第二次イラク戦争のさなかに公開された作品であることも、いささか皮肉なことかな。
今の戦争には、"アクション "が足りないという問題はない。
この時代にとっての新しいイラク戦争は、ジャーヘッドの兵士たちがあの砂漠で待っている間に憧れた戦いである可能性が高い。
今作品の製作者は、新イラク戦争について直接的なコメントはないと云ってるが、この映画もそれに呼応している。
しかし、この客観性の強調は、悲しいかな、持続的なパワーの一部を不自由にしている。
湾岸戦争が落ち着きのない兵士たちにもたらした究極の結果を掘り下げることで、おそらく今日のある種の真実が明らかになったとは思う。
今作品は、
"すべての戦争は異なり、すべての戦争は同じである "
と述べている。
このシンプルでありながら逆説的に複雑なメッセージこそが、今作品を最もよく定義していると同時に、この作品があり得たかもしれないすべてのものから遠ざけている。
今作品は、戦争において、退屈やつまらなさがいかに危険な武器になり得るかということに焦点を当てたものであるため、アクションはあまり期待できない。
全体として、忘れがたい映像に満ちたかなりユニークで示唆に富む映画であるが、最後には『ジャーヘッド』がそのテーマと映像の可能性を完全に達成できていない感があるのは否めないかな。

こぼれ話ですが、トイレの肥溜めを燃やしているシーンで、ジェイクギレンホールの反応をリアルにするために、バケツには実際の人間と犬の糞が含まれてたそうです。



また、チョイとネタバレ抵触小ネタ。





トロイの死因は映画では語られてないけど、原作の本やと、彼は交通事故で死んだことになってます。
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