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吸血鬼のryosukeのレビュー・感想・評価

吸血鬼(1932年製作の映画)
3.8
ドライヤー初のトーキー作品ということだが、言葉数は相当少ないし、定期的に差し込まれるインタータイトルが説明の大部分を担っており、ほぼサイレント映画だなという印象。
中々見えてこないストーリーと、人物の動きも含めて異様にノロいテンポに焦れる時間もあるのだが、端正かつ厳粛な画面構成、カメラワーク、カット割りは観客に息を呑んで画面を見つめることを強制するような静かな迫力に満ちており、くるくると自在に動き回るカメラは見事に捻れた空間を紡ぎ出してみせる。薄靄がかかったような野外の撮影も白昼夢のようであり、呼吸がしづらいような緊張感、特異な空気を持った唯一無二の作品であった。
冒頭、鎌を持った人物の死神を思わせる姿が不穏な印象を与える。影だけで人物の存在を示すシーンも多く、村に本当に生者がいるのか訝しんでしまうような独特の空気がある。ベンチに座っている男の影が独立して動き、男に遅れて座り込むショットに目を見張る。続いて、長い長い横移動撮影の中で大勢の影のダンスを捉えるショットも印象深い。
ジビレ・シュミッツ演じる被害者の女の、ヴァンパイアの欲望が芽生えた瞬間の邪悪な笑顔が忘れ難い。ゆっくりとカメラの側に振り向こうとする動きも怖い!
既に仕留められてしまった運転手と共に走ってくる馬車なんてのも素敵なイメージだ。
自分の死体が納められた棺を見てしまうというシチュエーションはベルイマン「野いちご」よりもこちらが先だったんだな。死体の主観ショットで棺が閉められていくのが恐ろしい。生きたまま埋葬されるというのは根源的な恐怖を呼び起こすイメージだよな。
唐突に訪れる裁き(見ている時思い至らなかったがグリフィスの「小麦の買占め」なんだな)と、クロスカッティングで接続される主人公サイドの描写だが、ボートを包む深い霧と粉のイメージが類似しており、こちらも死後の世界のような趣すらある。果たして生者の世界などあったのだろうか。とにかく、禍々しい接写により運命の歯車は動き出してしまったのだから、白い粉は規則正しいテンポで降り積もっていくしかない。
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