フラハティ

夏物語のフラハティのレビュー・感想・評価

夏物語(1996年製作の映画)
4.2
夏がそうさせた。


四季物語のなかで唯一の男主人公。
本作も偶然性の高さが伺える作品で、誰も彼もロメールらしさ溢れる夏の一コマだった。
『冬物語』ではあからさまな奇跡を呼んでいたが、本作はそこまででなく本当に偶然を感じさせる。
『海辺のポーリーヌ』のアマンダ・ラングレは素敵な女性に成長し、屈託のない笑顔に癒される。

主人公は知的で内向的で、恋愛にそこまで興味ないぜみたいな図々しさ溢れる男(本当は女の子に興味津々)ってところがやっぱりまずいい。
でもそれはダメ男って感じでもなく、優柔不断な自分勝手な男に変換され、なかなか自分ではっきりとした主張ができない。それも人間らしさでしょ。俺らってそんなに完璧じゃないし、誇るもんでもないんだから。という言葉に立ち返る。
性に純情なのはロメールらしい。
対して関わりのある女性陣はわりと主張が強く、猫のように気まぐれ。
相手に同意を求めるが、「(私はこう思ってるからこうしてほしいんだけど)あなたはどう?」という既に導かれる答えに男は苦悩している。
相手に必死に合わせながら自己を抑圧し、性欲に敏感なのが憐れだぜ。


一瞬にしてモテモテになるが、その技量がなければへとへとに疲れはてる。
思っているような展開にならず、確立されたと思っていた自己は揺らぎに揺らぎ、波のようにひいてはよせる。
ラストの怒涛の駆け込み電話がスリルを増大させ、あれなかったらどうなってたんだろうなと余韻を残す。
ラストのアマンダ・ラングレとのやり取りが本作のすべてを語っているし、運命を感じた相手はやはり偶然の賜物じゃないかなぁ。
何年後かには笑い話になるだろうが、彼の隣には一体誰がいるんだろうか。

三人の女性が登場するが、どう考えてもアマンダ・ラングレ一択なのである。
失礼だが、そこまで魅力的に映らない女性二人なんだが、身近なものほど気づかないもんなんだろうなと思う。恋は盲目だ。
「本当の友情は愛以上」というのは至言だ。異性の友達というシチュエーションのなかで、この言葉は割と理想的だけどじゃあ愛ってなんだよってところ。


誰も彼も完璧ではなく、理屈を語り感情的になってもそれは人間らしさ。
夏に取り憑かれたかのような一時ではあるが、他人のことなのでこっちは知らんしなんなら面白い。
バカンスの習慣は日本に必要だと思うし、海をみながらただ砂浜を歩くだけでも新たな発見がありそうで、現代にはないのんびりした平和さを感じて、少々平和な気持ちになる。
こんな豊かさもたまにはいいだろう。
「ときどきレンヌに行くから会いましょ」なんて素敵な誘いだよ。
フラハティ

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