せーじ

この空の花 長岡花火物語のせーじのレビュー・感想・評価

この空の花 長岡花火物語(2012年製作の映画)
4.9
早稲田松竹で「この世界の片隅に」と二本立てで鑑賞。
「この世界~」は軽く満席になるなか、こちらは6割程度の入りだったのは、今思うとちょっと勿体ない気もした。

ぶっ飛ばされた。
すごいもんを見たと思った。
昨日の「花筐」に引き続き、いや、それ以上にヘロヘロになりながら帰ることになってしまった。

この作品は、長岡という街と長岡まつりの歴史を紐解くと共に「長岡の花火がどのように愛され、祈られ、つくられてきたのか」や「幾度となく襲われてきた様々な悲劇に長岡の人々がどう対峙し、立ち上がって来たのか」を、大林監督が自身が持つ手法と新たな取り組みを全力で駆使して全力で形にした、超超特大の大輪の花火なのだろうと思う。
まずは、それらのことについての"取材"がとんでもなく膨大で緻密であることに舌を巻いてしまう。戦争や震災についての取材はもちろん、東日本大震災の年ということで、花火の打ち上げを自粛しようという動きがあったりや、撮影中に起きてしまった豪雨災害すらも取り入れ、それでも開催が危ぶまれた長岡まつりをやろう、花火を打ち上げようという人々の熱意が、どこまでも骨太に、誠実に描かれている。

そして、それを大林監督は何ひとつ無駄にすることなく可能な限り圧縮させ、自身がこれまで培ってきたであろう手法をフルに活用して映像にしてみせた。特に花という少女を依り代に劇中劇という手法で、2011年8月1日の長岡に1945年8月1日の長岡をまったく同じ場所で蘇らせてみせたクライマックスは圧巻。その地獄絵図からの「大団円」は文字通り大団円としか言いようがないもので、圧倒的な感動で打ちのめされた。
戦争も震災も過去も未来も、すべてがそこに収斂し、花火のように花を咲かせているように思えたからだ。
美しかった。本当に美しかった。

「映画は総合芸術である」とはよく言うけれど、こんな「総合芸術」は観たことが無いです。
そしてそれは、東日本大震災や熊本地震だけではなく、もしかしたら世界中の災害や戦禍に巻き込まれた人々を、優しく暖かく励まそうとするものなのかもしれないなぁ…と思ったりもしました。
人は社会性という"繋がり"を持つことができる生き物だけど、それは時も場所も軽々と飛び越え、それぞれが共鳴しあうことで、壁にぶつかっても前に踏み出すことができる…ということを、自分はこの作品で教わった気がします。
忘れられない一本になりそうです。
せーじ

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