あなぐらむ

ホット・スポットのあなぐらむのレビュー・感想・評価

ホット・スポット(1991年製作の映画)
4.9
大傑作「ハートに火をつけて」(アラン・スミシー名義)をものしたデニス・ホッパーの、こちらは正式監督クレジット作にして、コメディ色など見る影もないハードでサスペンスフル、とてつもない不気味さを持った「ノワール」な異色作だ。
本作の主役は、ドン・ジョンソンが演じる”流れ者”ハリー・マドックスでもなく、ヴァージニア・マドセン演じるとびきりの悪女でもない。主役は舞台であるディープ・サウス(アメリカ南部)の田舎町なのだ。時間も、その場の風さえも止まっていしまっているような町。世界のトップランナーであるアメリカの最先端文化とは完璧に切り離されたような場所。そこで人々がする事といえば、テレビを見る事と、欲望に身を任せる事だけだ。
すべての人々が、何かに憑かれた様にどこか危うい。よそ者で底知れぬ野望と凶暴さを持ったハリーが、最後の最後であんな失態を演じるのは、この町の毒っ気(あの悪女は毒そのものだ)にやられてしまった証拠なのだ。
ハリーは悪女ドリーと共に去っていくが、彼らの行く先はどこでもない。アメリカの持つ「闇」に取り込まれていくだけだ。

アメリカを愛しながら、同時に深く憎んでしまうデニス・ホッパーの映画は、アメリカン・ドリームを否定する。本作の登場人物たちは何をしただろう。犯罪と情事と、殺人と。それしかないではないか。「ホット・スポット」はアメリカの暗部を照射する映画なのだ。

ドン・ジョンソンがいい。「マイアミ・バイス」で演じたクールで気障な正義漢から脱皮すべく「サンタモニカ・ダンディ」(ジョン・フランケンハイマー)などでイメージチェンジを図っていた彼にうってつけの悪党を荒々しく演じて見せ、新境地を開いた。この男が何を考えているのか判らない"怖さ"は脚本の力もあるだろうが、彼の肉体を得たことで俄然説得力を増した。清純な側面(そうか?)を受け持つヒロイン、ジェニファー・コネリーの美しさはまさに特筆もの。あの窓から誘惑するシーンは全男性の股間を撃ち抜くであろう。監督のホッパーも彼女を綺麗に見せる事に一番気を使ったようで、そこは微笑ましい。
悪の華・ヴァージニア・マドセンの怪しげな美しさもまた凄い。艶めかしすぎて途中からは魔物のようにさえ見えてくる。ベスト・キャストと言えよう。
「ハートに火をつけて」でも物語はロス・アンゼルスで始まりながらディープ・サウスへと転がっていくように、デニス・ホッパーはサム・シェパードと同じように辺縁のアメリカを志向する。本作では舞台をディープ・サウスに設定できた事で、思うままに映像を操っている。絵画的なセンスを感じさせるショットの数々には唸らされた(これはポスタービジュアルに鮮明に感じる事ができる。撮影監督は後にローランド・エメリッヒ組となるウエリ・スタイガー。音楽は「インディアン・ランナー」と通底するようにジャック・ニッチェが担当している(いや、トニスコの「リベンジ」か?)。サントラにはマイルスも参加、素晴らしいのでぜひご購入を。ジャケ写がバリかっこいいし。

脚本を担当しているのはチャールズ・ウィリアムズ。ご存知トリュフォーの「日曜日が待ち遠しい!」の原作「土曜を逃げろ」の作者であり、アメリカン・パルプ・ノワールの作家である。つまりはホッパーによるパルプ・ノワールの映像化であり、そういう意味合いではジム・トンプスン原作の諸作(「キラー・インサイド・ミー」、「アフター・ダーク」…ジョン・ダール映画の起源もここである)に連なる作品であり、1990年に発表されている事は非常に意味があるのである。
普通のB級映画のふりをしながら見事に変調・転調していくホッパーの"アメリカ映画"は、当時は単純さが売りだったハリウッドを綺麗に裏切っていくしたたかな作品、タイトル通りの「ホット」な一本なのである。