新潟の映画野郎らりほう

陽のあたる場所の新潟の映画野郎らりほうのレビュー・感想・評価

陽のあたる場所(1951年製作の映画)
4.5
【もう一つのサンライズ】


上流社会の令嬢に恋した 貧しい青年が辿る悲劇。
それは、金と欲に目が眩み 慎ましきなぞ疾うに忘失したアメリカそのものの姿だろう。

大衆煽動欲望喚起に依る社会システム:資本主義への批判が込められた セオドアドライサー「アメリカの悲劇」の映画化だが、時はマッカーシズム吹き荒れる′50年代初頭なだけに タイトルは変更、内容もメロドラマ色を強く志向したものとなっている。
そのメロドラマ具合だが-。

多くの男女が踊るパーティー会場で寄り添う二人(テイラーとクリフト)。二人が密着し 互いの距離を近付けるにつれ、キャメラは徐々に二人に寄ってゆく。
後景に多く映っていた筈の沢山の人々の姿は消え去る - 見つめ合うテイラーとクリフトの横顔が画面を埋め尽くしてしまうから……二人だけの世界だ。
その後バルコニーへと移動した二人は遂に互いの唇を重ね合わせるが、その口付けはクリフトの「肩越し」に捉えられ 実際には見えないのだ。 -抑制された極上のロマンチシズムに陶酔する。

メロドラマの志向は、本作を青春映画/恋愛映画として屹立させると共に、先述した資本主義への疑符的因子を隠喩へと変え 作品をより奥深いものとしている。


〈追記〉
不安定な心象の顕れの如く終始ジョージ(クリフト)は猫背気味で、そのどす黒い欲望を顕すかの様に 時に強いシルエットと化す - 俳優の動作姿勢、光と影を用いたエクリチュールに、モノクロ/サイレントな -更に言えばF・W・ムルナウ的な- ものを感じ取る。
更に、二人の女の対比、ボート上の恐怖演出、そして変更されたタイトル「A PLACE IN THE SUN」に依って確信する。これはもう一つの「SUNRISE」だと…。
だとすれば資本主義の病理(金に対する愛の敗北、物欲/金銭欲を愛と錯覚、恋愛資本主義)はムルナウの時よりも悪化しているという事か。

宗教/慈善活動家である母親の平等思想に〈共産主義〉が垣間見え、その諭しを受けたジョージの開眼にもどこか〈洗脳〉めいたものが漂っている………資本主義批判だけに留まらず、共産主義に対しても向けられる疑符が、長い哲学的余韻を生む -終局にいくにつれ長くなるディゾルヴの様な-。


〈追〃記〉
本作品以降「狩人の夜」「ポセイドンアドベンチャー」等、ウィンタースに纏わりつき続ける“水“のモチーフも興味深い。




《DVD観賞》