ゴトウ

キング・オブ・コメディのゴトウのレビュー・感想・評価

キング・オブ・コメディ(1983年製作の映画)
3.5
Amazonプライムの紹介文の「ドラマティック・コメディ」の文言のせいで、最初からぼんやりとした狂気を感じる。というか、本当に心から笑えるようなところほぼなかったような気がする。

説明なしに妄想と現実がスイッチされるので混乱したし、そういうことかとわかってからは怖くなる。もう一人のストーカー女とルパートは、ジュリーに執着しているという点で同じだし協力する。しかし、ストーカー女はジュリー自体に執着して自分のものにしたいと願うのに対して、ルパートはジュリーのいる立場を奪いたいと願う。二人とも理想を現実に押し付ける形でおかしくなってしまっているけど、終盤のルパートの行動はどこかのタイミングで目が覚めたのか?と思える軌道修正。そこまでの展開は見ていて本当に不安になるし、イライラもしてくるような気持ち悪い感じだったけど。明らかにウソなのに「招かれた」と言い張って他人の家に入り込むやつ、絶対に関わり合いになりたくない。それだけに、終盤の行動は計画的な自分のプロモーションに見えてしまい、急に目が覚めたのか?と思った。炎上商法とか映り込みユーチューバーとか、「とにかくバズれ」的行動に慣れすぎてしまった結果なのかもしれない。逆にストーカー女の方は徹底的にクレイジーだし当然報われない。こちらのイライラを解消するかのようなビンタも爽快。

「『愛してる』なんて言ったこともないし言われたこともない、両親にも」と語り「精神科医を見返してやる」と叫ぶ女。「悲しいことや苦しいことは笑い飛ばせ」と自分の過去を漫談にしてしまうルパート。理想を被せられるスターからしたらたまったものじゃないかもしれないけど、それなりにかわいそうな理由でこうなってるという提示もあった。信じてた約束がただの社交辞令だった、とか。それ以上の迷惑ヤラカシ行為してるからあんまり同情できないけど。あとルパートが感情を表に出さない感じだから、マジのサイコ野郎にしか見えないタイミングがあるんだよな…。ずっと平然としてて、ジュリーからの冷たい仕打ちに「じゃあこうしますよ」ってさらに異常な行為で返してるような。

終盤の展開だけチグハグな感じがしましたが、あそこだけでも名シーンだと思う。自分の弱さや恥、身内のダーティな部分を笑いに転換できるのは強いと同時に悲しいことでもあり、当然だけど無責任に笑っている観客と悲しそうにも(悲しくなさそうにも)見えるルパートの対比も良かった。ステージの上にいる人と下にいる人の境界線を越えて、「一夜の王」になろうとするルパート。刑務所から戻ってきた彼を再び迎え入れて消費しようとすることで、エンターテイメントの恐ろしさ、器の大きさをやや皮肉な形で提示して物語は終わる。また「王」になれたのかは語られないけど、戻ってきたルパートが何かを話して笑わせるシーンはない。どころか口ごもっているように見える。一度夢を成就させてしまい、自伝まで出した彼には、刑務所漫談ならできるかもしれないが、後は晒すべき後ろ暗さがないはず。空っぽになった彼がどうなってしまうのか、作中の展開よりも怖いことが起きるのかもしれない。「キングオブコメディ」のコンビ名ってこれから取ったんだろうか。パーケンの末路を思うと切ないな。

あんまり関係ない話だけど、最近考えていることなので書き足しておく。ルパートの笑いは自分や身内の後ろ暗さを晒すもので、自分から晒しているのだから観客は笑っていい…とすれば、誰もが否応無く直面せざるを得ない(はずが多くの場合正対していない)差別の後ろ暗さを晒すコメディは笑ってはいけないのか?「実際ストーカー被害に遭っている人が見たらどう思うんだ」というクレームでこの映画が公開停止されるようなことはないけど、ことトピックが「差別」になると条件反射で自主規制になってしまうような感じがする。他人の家庭環境を笑うことだって本来はタブーなんだけど、本人から提示しているかどうかの違いなのかな。件のコンビにそんな意図があったかは別として、差別を「皮肉っている」という読み取り方はされ得ないのか。
もちろん、HIVへの偏見を語ってしまうようなネタは非難されてしかるべきかもしれないけど、7年前にそこで笑っていた観客までが「最低の人間」と言われてしまうのは避けられないのだろうか。この映画の中にあるエンターテイメント、笑いの形は変わってきている。観客として席に座っている側も、笑う前に「ここで笑うことは社会的正義に反してはいないか」と絶えず自問し続けなくてはならないのかもしれない。

誰かを怒らせるような言葉を使わなくては面白くない、と言いたいのではない。ただ、今の尺度でいえばビートたけしも毒蝮三太夫もキャンセル対象かもしれないと思う。坂上忍や宮根誠司が「一夜の王」どころか「毎日のお昼の顔」を務めているのも今なので、案外何にも言われないかもしれないけれど。
「皮肉」という表現方法は、受け取り手側にある種のリテラシーを要求する。「これからネタの中でおかしなことを言うかもしれませんが、それは皮肉なので気にしないでください」と漫才の前に言っておくべきなのか?この映画も冒頭に「これは前時代の常識で作られた古い映画です。作品の価値を守るために修正はしていません」とテロップを出しておく方が良いかもしれない。これは皮肉。
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