るるびっち

電送人間のるるびっちのレビュー・感想・評価

電送人間(1960年製作の映画)
3.4
変身人間シリーズの2作目。
スリラーより、刑事物の要素が強い。
14年前の復讐で、四悪人の命を狙う電送人間。
電送するのは、怪奇であると同時にアリバイトリックの為だ。
電送装置による遠隔地への瞬間移動で、アリバイを作れる。
とは言えアリバイは疑われているから必要なもので、14年前に死んだと思われている電送人間の場合、生死を隠していればアリバイを作る必要はない。その辺り、自己矛盾を起こした脚本と言えよう。

またターゲットの相手の居場所付近に、大掛かりな電送装置を設置しないと殺しに行けないのでコストが掛かる。それも4人分必要で、証拠隠滅で度々焼却しているのでかなりコスト高だ。費用対効果が悪い。
ワザワザ犯行時間の予告状を出しているから、その時間にターゲットは自宅から出て誰にも知られない場所に逃げれば良い。
普通は場所を移動しても嗅ぎ付けられるが、本作の場合は予め大きな電送装置を設置しないといけないので、直前に移動されると犯人側は困ってしまう。
予告状を出すのは、その時間に遠く離れた場所に居てアリバイ成立の為の措置だが、相手が家に確実に居ないと無関係の場所に電送されて犯行不成立になる。この辺もシナリオが甘い。

あくまで電送装置の設置場所まで行かないと逃げ切れないので、警官に踏み込まれると普通に窓から逃げる。これを繰り返すので、警察が間抜けに見える。目の前で消えたら仕方ないが、単に取り逃がしてるだけ。電送の威力より、犯人の俊足のせいで逃がしている。電送関係ない!!
実は電送人間ではなく、『俊足人間』なのだ。

他の変身人間シリーズと違い、本多猪四郎監督ではない。
本多作品の場合は、怪人になり社会から阻害される存在になった変身人間が美女に恋慕したり、献身を捧げるというロマンスがある。本作は純粋な復讐劇なので、そうしたロマンスがない。情念が愛ではなく、殺意だけなのだ。
『ゴジラ』を始め、常に社会に溶け込めぬ孤独な人物が、唯一の生きる希望として美女への憧憬と恋慕を持つ。その一方で、堕落した物質文明への破壊的批判意識がある。実際に破壊する怪獣・怪人の登場により、その相克が深まるのが本多作品の深遠さだ。
怪物側であっても怪物を倒す科学者側であっても、平和を願う凡人の物質文明への享楽を否定しつつも、結局彼らの為に犠牲になる。
だから怪物を倒しながらも、この社会はこれで良いのかと常に問うているのである。愛の情念がない分、その問いが薄くなっていると思う。
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