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悪名の東京キネマのレビュー・感想・評価

悪名(1961年製作の映画)
4.0
面白いねえ。 これ、バディものの最高傑作といっても良いでしょう。 おそらく、キャラクターの設計としてはローレル&ハーディのイメージなんでしょうが、あくまで日本的なデブ&ノッポのオリジナルのバディに作り込んだところが勝因でしょう。

真っ正直で助兵衛で下戸、それにヤクザ嫌いのくせに何故かヤクザになっちゃった 「八尾の浅吉」 と、口舌高速回転のインテリ・ヤクザ 「モートルの貞」(モートルとはモーターのドイツ語読み。 モーター並みに馬力・体力があるということらしいが、言葉のニュアンスは良く分からず)という組み合わせがとんでもなく面白い。 勝新はまだ役に馴染んでないけれど、田宮二郎は抜群に光っていて圧倒的な存在感です。

80年代以降、任侠物映画が全く面白くなくなってしまった理由が、この映画を見て分かったような気がしますよ。 つまり、良いか悪いかっていう合理の話じゃないんだよね。 筋が通るか、通らないか。 正しいか、正しくないか、ってことなんだね。 だから、「足抜きサスペンス映画」 といっても良いような、ある意味ルール違反のお話ではあるんだけれど、足抜きが悪いったって足抜きできないルールの方がもっと悪いだろう、自由契約の世の中だったら、そりゃやっぱり筋が通らないってことで、そこで戦うことに正義があるという解釈になるんでね。

現在でも継続してる日本のヤクザ問題に通じる話ではあるんだけれど、そもそも日本の戦後の暴力団は日本人のための自警団という意味合いもあった訳でね。 今やヤクザ問題はイコール罪日問題だったということがバレてしまった訳だけれど、戦後に戦勝国だと自ら称し、傍若無人に脅し、盗み、陵辱し放題の状況から日本人婦女子を守ったのは間違いなく戦後の日本人ヤクザだった訳だからね。 つまり、この映画を見れば分かるとおり、この当時の人が見たら、誰が誰に対して何を守ったか、なんてことは具体的な状況説明なんかしなくても、みんな了解してたことなんだよね。

要はね、日本人にとっての正義っていうのは、大きなメタファー提示だけで十分了解できる認識があったから面白かったんだよね。 だからその後のヤクザ映画全般が面白くなくなってしまったのは、社会主義者やらメディアやらが現実を歪めてしまったということもあるんだろうし、客が入らない、金がない、だから企画に時間をかけずにパターン化する、という悪循環ルーティンに業界全体が突入してしまったということなんだろうねえ・・・
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