晴れない空の降らない雨

アパッチ砦の晴れない空の降らない雨のレビュー・感想・評価

アパッチ砦(1948年製作の映画)
4.2
 インディアンがやたらめったら強い西部劇。これもPC?
 
 
■エピローグが心底気味悪い
 インディアンを豚と呼び、無謀な突撃で自滅した愚将が、愛国心を盛り上げるために英雄に祭り上げられる。もちろん残された一人娘とその新郎である部下の士官のことを思いやれば、ジョン・ウェインが彼を悪く言えないことも分かる。それでもフォードはいったん、軍とマスコミが結託して英雄伝説を築き上げる様をまざまざと見せつけておく。そうしておいて、ウェインの台詞は同時に死んでいった名もなき兵士たちに言及し、連隊があるかぎり彼らは生き続けるのだ、と絆をアピールする。こちらがこのシーンの本丸であり、伝説捏造のくだりは「本物の愛国者」を際立たせるためのダシというわけだ。しかも、その固く結ばれた男たちが何をするかといえば、自分らを見逃してくれたアパッチ族との戦闘である。フォードのこと、このオチがアイロニーとは考えにくい。すると正直、ナチスや旧共産圏のプロパガンダ映画と大差ない……
 
 
■馬について
 というわけで相当しょうもなかったのだが、ほかは全般的に優れた作品だった。中佐にしても結構フォローがあったし、人物描写はあいかわらずヒューマニズムを感じさせた。前半の田舎兵士らのほのぼのとした雰囲気も楽しいし、それが一変してからの、2度あるアパッチ族とのアクションもかっこよかった。
 最近の蓮実重彦の文章に「フォード論は、人間ではなく、あくまで馬について語ることから始まる」とあるそうだ。もちろん大先生はそこから意外性あふれる議論を展開していくのだろうが、人間に対する馬の優位性そのものは、自分のような凡人にも直ちに実感される。整列もままならない兵隊が乗馬訓練で翻弄されるシーンのドタバタや、連隊が壊滅して乗り手を失った馬たちが疾走する様、時おり入る正面からの仰角ショットなどで、馬たちはその存在感を見せつけてくる。そして馬の疾走により巻き上がる砂塵もたいへん印象的に使われており、とりわけ戦闘シークエンスのラストショット、アパッチのコチーズ酋長が旗を大地に突き刺し、砂埃の中に消えていくのが格好いい。
 単純な話で、馬は速くて大きい。それゆえ彼らが運動の主役である。荒野を人間が足で移動するのを遠景で捉えるショットがほとんど出てこないのは、それがあまりに冗長になるからだ。また、馬は黒い。だから薄い灰色の荒野を背景によく浮き上がる。(蓮実は「家」を守る女たちの白エプロンについて触れているが、馬および軍服の黒色との対比は、白黒映画であることによって一層明瞭となる。)
 馬は乗り物であり、動物でもある。これが西部劇にとって欠かせない要件と思われる。というのも、西部劇は過酷な自然の優位があって初めて成立するからだ。いっぽうで馬は、乗り物つまり人間による文明の象徴である。他方で馬は、動物つまり自然界に属する。あるいは、本来は自然に属していた馬を、文明の利器として利用することは、人間が自然を克服する第一歩ともいえる。これが車になれば、自然などはたちまちさしたる問題にもならないだろう。