晴れない空の降らない雨

さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たちの晴れない空の降らない雨のレビュー・感想・評価

1.0
 第1作(TVの総集編)のヒットを承けて作られたオリジナル劇場版で、これも大ヒットした。第1作は未見であらすじ程度の知識しか持たずに鑑賞。

 4K 観てきたけどとんでもねえ愚作だった。
 先に良かった点を挙げよう。思っていたよりは作画はマシだった。序盤の侵略シーン(ひしゃげる隕石とか)、終盤の空中戦は頑張っていた。それと、全編通してエフェクトは大変よい出来で、特にヤマト発進時の波のアニメーションなんて実に印象的だった。『ピノキオ』を参考にしたのではないかと思う。
 それと敵側のデザインもなかなか凝っていた。昆虫の複眼めいた網目をあしらった戦闘機とかカブトガニみたいな小型機とかも面白かったけど、下半分が惑星で上半分が摩天楼という本拠地のヴィジュアルはインパクトあった。最後の敵の艦船もゴツくて良かった。

■幸福の科学への影響?
 これを観て、ひとつ分かったことがある。昨年急死した幸福の科学の教祖・大川隆法は間違いなく本作のファンである。この作品、とにかくスピリチュアリズムがかった意味不明な説教が出てくる。「地球は宇宙のリーダーとして平和を守る云々」とか「宇宙への愛がどうたら」等々、詳しい内容は一瞬で忘れたが、とにかくこれを聞いていて幸福の科学のアニメ映画を想起しないわけにいかないレベルで類似していた。
 
■特攻賛美というか…
 この作品には肝心の松本零士が関わっていないどころか、彼はこの作品に反発していた。松本が本作の特攻エンドを嫌がったせいだが、そもそも現実の大和じたいが大した意味もなく特攻したようなものだし、そんなタイトルの作品に最初から関わるなという気もする。
 
 問題は特攻それ自体でなく、上述の演説にも示されるような、クソみたいな精神主義が全編を貫いている有様にある。現実に、特攻するほかに敵を倒せない状況であれば、それを肯定するしかないだろう。問題は、自己犠牲をやたらと美化する姿勢にあり、それが本作のリアリティを滅茶苦茶にしているのだ。
 作品のリアリティを無視して自己犠牲の美学を優先するスタンスが、端的に示される箇所を取り上げてみよう。途中で敵の惑星に白兵戦を仕掛けるくだりがそれである。ここ、全くもって脈絡がなく合理的理由も見出せないのだ。ドンパチやって最後に制圧するのが白兵の出番ではないのか。敵の勢力も分からないのに、なぜロクな武器も持たずに降り立つのか。
 すると敵は戦車で出迎えてくるのだが、それに対して乗組員を奇襲したり手榴弾を投げたりするという、非常にコスパ悪い戦略をとる。これ、旧日本兵の戦い方そのものじゃないか! 確信犯としか思えない。つまり、「柔よく剛を制す」という日本人がお好きな“物語”……物量や科学力でゴリ押ししてくる強大な相手も、団結やら工夫やら意志の力やらで何とか倒せるんだーという、現実には国の破滅を招いた物語を反復しているわけだ。
 ここまできたら、食糧備蓄や補給について全く描写がないのもきっと旧日本軍リスペクトに違いないと皮肉りたくなる。
 
 繰り返すが、そのために犠牲になるのは物語のリアリティである。上に挙げたのは、ほんの一例に過ぎない。3時間もかけながら物語や世界観のリアリティを補強するパートはほとんどなく、例のスピリチュアル台詞や長ったらしい感情描写などに時間が割かれている。これが昔ながらの子ども騙しアニメならよいが、本作に当時青年層までが夢中になったとはニワカに信じられない。
 
 そして肝心の特攻もひどいのなんの。さすがにヤマトだけでは力不足と思ったのか、反物質でできた裸体少女(霊体なの?)が加勢するという、もはやSFですらないファンタジーで説得力を補強しようとしているが、この裸体少女が完全なオカルトなので逆効果である。しかも、どうやってヤマトは撃墜されずに特攻できたのかという疑問が残る。いくらでも迎撃できただろうに。特攻シーンがクソショボい描き方になっているのは、ここに説得力ある迫真のヴィジュアルを考えられなかったためだろう。