さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たちを配信している動画配信サービス

『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』の
動画配信サービス情報をご紹介!視聴する方法はある?

さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち

『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』に投稿された感想・評価

kazu1961

kazu1961の感想・評価

4.4
▪️Title : 「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』
Original Title :※※※
▪️Release Date:1978/08/05
▪️Production Country: 日本
🏆Main Awards : ※※※
▪️Appreciation Record :2020-163 再鑑賞
▪️My Review
当時、高校生。初めて劇場で号泣したアニメーションです。
そのメッセージ性と脚本、号泣すべくの台詞と音楽、全てが胸に突き刺さった記憶が鮮明にあります。今も何度鑑賞しても胸が痛くなります。。。
先ずはメッセージ性、本作は、第一作目へのアンサー作品だと思います。“帰ることはできず散っていった者たちに意味はないのか?”“そうではなく、なにか大切なことのために己の命を使う。それが生きるということだ。”そういう松本零士のメッセージがあるんですね。
そして脚本、主要なメンバーが地球のために命をかけて戦います。古代を愛して逝った森雪、地球のために生命を賭した佐渡先生、徳川機関長、土方艦長、山本、真田さん、齋藤隊長、加藤。。。
さらに号泣させられたら台詞の数々、“勝ってね、古代君。きっと勝ってね。それで・・・こそ・・・古代進、私の夫・・・”“生き残ることは、時として死を選ぶより辛いこともある。だが、命ある限り、生きて、生きて、生き抜くこともまた、人間の道じゃないのか。”
そして、号泣!!
“雪。やっと二人きりになれたね。君には苦しい思いばかりさせて、ごめんね。これからいつも一緒にいるよ。人間にとって一番大切なものは愛することだ。でも、僕が一番大切なものは君だ。君への愛だ!雪、好きだ。大好きだ。大きな声で言える。雪。僕たちはこの永遠の宇宙の中で、星になって結婚しよう。これが二人の結婚式だ。”
これらの台詞とその時に流れる音楽が見事にマッチしています。
号泣しているところにダメ押しの沢田研二の歌。
主題歌の歌手には、当日人気が高い沢田研二が起用されました。当時はアニメに人気歌手を使うことは異例でしたが、沢田が歌う「ヤマトより愛をこめて」はオリコンにもランクインするほどのヒットとなりました。
物語は。。。
今やヤマトも廃艦処分となり、一線を退いた古代と島は、惑星間資源輸送船団の護衛任務にあたっていました。ある日地球への輸送航海の途中、古代は遠い宇宙からのSOSをキャッチしました。動かぬ地球政府に代わって、ヤマトの波動エンジンが雄叫びを上げます。愛する者を守るためヤマトは今、発進します!!。。。
当時、西崎義展プロデューサーは「これで、ヤマトを最後にしたい」と語っていました。わたしの中でもヤマトシリーズはこれで終わりです。

▪️Overview
1977年夏公開された「宇宙戦艦ヤマト」の続篇。巨大な白色彗星の出現による全宇宙の危機を救うためにふたたび戦いの旅に赴くヤマトの姿を描く。脚本は「宇宙戦艦ヤマト」を監督した舛田利雄とやはり同作の藤川桂介と山本英明の共同執筆、監督も同作の舛田利雄が担当している。(参考:映画.com)
桃龍

桃龍の感想・評価

4.0
2019-05-21記。
反物質世界とか、SF設定も面白かった。
なによりこれで本当に"さらば"だと思っていたし、沖縄に片道分の燃料で特攻した戦艦大和も重なって…。
あくまでも自分の実体験の中でのハナシだが…

あんなに無秩序でカオスな劇場での映画鑑賞は、後にも先にも、この時っきりだろう。

定員200名ほどの田舎町の映画館に、上映を待つ観客が劇場の入り口から建物の外まで何百メートルも列を作って並び、館内に無事入れば、当然今のようなシネコンの観客管理システムなど無いので、立ち見はもちろん、席の間の通路に体育座りして観る人がいる程のスシ詰め状態…。

そして上映が始まれば、黎明期のアニオタさんたちが画面を撮ろうと、フラッシュを焚いてスクリーンが何度も真っ白になり、焦れたオバちゃんが「撮影するの、やめなさい!」と注意を促せば、音声をテープレコーダーで生録している(たぶん)高校生の威勢のいい兄ちゃんが「喋んじゃねぇ!」と怒鳴り声を上げる!!

そんな無法地帯と化した館内も、XXXXが死んだり、○○が死にかけるにつれ静かになり、最終的にはラストシーンで、おそらくここに至るまでの間で一体感が醸成されたのであろう(笑)、館内の観客全員、宇宙で死んだ気持ちなっていた…。

しかしこの後も、沢田研二のエンディング曲が未だ流れる中、ドアを思いっきりブチ開けて、次の客がドドドドっとまさに怒濤の如く雪崩れ込み、それに慄き、一目散でロビーに退却すれば、彼氏らしき男性に肩を抱かれたオネエさんが「古代くぅぅ〜ん!」と床に泣き崩れている…。

これは中二の夏休み、「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち(78年)」を初鑑賞した時の思い出だ。

1974年に日本テレビ系列で放送されたSFアニメ(全26話)、その総集編である前作「宇宙戦艦ヤマト 劇場版(77年)」が、予想を上回る21億円の興収を上げる大ヒットを記録し、その続編(=完結編)として企画・製作されたのが本作。

完全新作のオリジナル・ストーリーとして1978年8月に「夏休み映画」として公開されるや、前作の2倍以上の興収43億円を叩き上げ、同年に公開された邦画では「野性の証明」に次ぐ第2位の興行成績。
アニメに限れば、ジブリの「魔女の宅急便(91年)」に抜かれるまで、10年以上に渡ってアニメ映画史上NO.1の売り上げ記録を保持し続けた作品である…。

まぁ、「君の名は。(16年)」とか、「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編(20年)」とかを超満員の劇場でご覧になった、平成世代の方々には「だからどうした?」なのだろうが、当時としては、劇場を幾重にも取り囲む長蛇の列、繰り返し鑑賞するリピーターの出現、特集する本(増刊号)がアニメ専門誌だけではなく一般の映画雑誌・情報誌でも刊行、アニメに全く興味がなかった親世代までも映画館に足を運ぶなど、決して大袈裟ではなく、日本映画界としては、かなりの大事件だった…。

自分は前作のTVアニメ「宇宙戦艦ヤマト」初放送の凡そ2年後、夕方に月〜金の帯番組としてOAされた再放送を観てヤマトにハマった、いわゆる後追いの第二世代なのだが、本作リアタイ鑑賞後、期待を上回る“満足感”、そしてこれがヤマトの今生の見納めとなる“名残惜しさ・うら悲しさ”を強く胸に感じたことを、つい昨日のことのように覚えている。

[そのお陰で、本作の1カ月前に鑑賞した、本国アメリカより1年遅れで公開された「スター・ウォーズ /新たなる希望(77年)」の記憶は、完全に銀河の彼方にブッ飛んでしまった…(笑)。
ただし、本作鋭意製作中の裏側で、プロデューサーの西崎義展が、本作の映像・ストーリー・設定を流用したTV版「宇宙戦艦ヤマト2(全26話)」の企画を画策し、本作と全く違うエンディングを既に考えていたことを、その数カ月後に知り、げっそり落ち込むことになるワケだが…汗]

本作「さらば宇宙戦艦ヤマト」は、長きに渡るガミラスとの戦いが終わった1年後、平和と繁栄の中にある地球を目指して、数多の惑星を破壊・侵略・植民地化してきた邪悪な白色彗星帝国が侵攻を開始。これが地球だけでなく、全宇宙の危機・苦難になると感じた主人公・古代進たちは、一度は廃棄処分になったヤマトに再び乗り込み、地球連邦上層部の反対を押し切って、“勇気ある戦い”に挑むというストーリーだ。

さて、早々にネタバレして恐縮だが、本作は、ヤマトが初めて敵艦隊と遭遇し、戦闘状態になるのが、開巻して50分過ぎあたりの頃。

つまり総尺150分の映画の約3分の1を、「起承転結」の「起」に要しているのだ。

当時、劇場で掛かる「東映まんがまつり」などの長編アニメ映画は、尺が長いと子供が飽きるという理由で、60分から最長でも80分というのが相場だった。

そんな既成概念を覆し、本作は「起」のパートで、ガミラスとの壮絶な戦いで負った傷跡が癒え、かつてない繁栄に酔いしれる地球、そこに迫り来る新たなる脅威となる白色彗星、全宇宙の危機を知らせる謎の音声メッセージ等をじっくり丁寧に紡ぎ上げ、ヤマトが再び戦いの航海に旅立つ理由を、前作を観ていない人でも分かるように上手く明示し、子供でも飽きずに没入感を高める工夫が施されていたと思う。

一例を挙げれば、冒頭、無数の星々のきらめきが映し出され、ヤマト信者ならきっと誦じられる定番のナレーション「無限に広がる大宇宙。そこには実に様々な生命が満ち満ちている…」が語られた後、スクリーンは暫くの間、静寂と光だけの世界になる。

そこに「キーン…」という電子音がフェードイン。
それに合わせて、画面左横から小さなオレンジ色の光点が現れては消え、消えては現れを繰り返し、中央へとおよそ50秒間にも及ぶ長丁場をかけて、ゆっくりと移動していく。
[これはスピルバーグの「未知との遭遇(78年)」劇中内、突然の大停電で街中が真っ暗闇となる中、リチャード・ドレイファス演じる主人公の、はるか頭上の夜空をUFOらしき小さな光点が横切るシーンにそっくりだ。]

そして光点は突然膨張し、スクリーンいっぱいに広がり、巨大な白色彗星だったことを、ようやく我々観客が知り得ることになる。

さらに荘厳で不気味にも感じるパイプオルガンの音が流れはじめ、今回の敵がミステリアス且つ、とてつもない力を持っていることを想像させる。

因みに、この曲「白色彗星」は、バッハの「Toccata und Fuge in d-Moll」に触発されたものなのだが、実のところ、ジュール・ベルヌ原作の映画「海底二万里(54年)」で、苦悩するネモ船長がパイプオルガンで弾く同曲に熱い思い入れのあるプロデューサーの西崎義展が、白色彗星の質量感・重量感を強調するのにピッタリだと閃き、作曲家の宮川泰に要望したのがきっかけである。

また、前作の劇場版が総集編であったことから、元来のTV版は主人公古代進の成長譚がメインだったのに、老練な宇宙戦士・沖田艦長の生き様・死に様を前面に押し出す作風にしてしまったため、古代がヒロインである森雪を通して、初めて“愛”を意識するプロセスが希薄になってしまった。

そこで本作では、当時なら家具の大正堂、今ならIKEAみたいなところで、新居用の家具をラブラブモードで下見する、古代と雪のデートシーンがネチっこく描かれている(笑)。

今では観ていて、なんかバツが悪い気持ちになってしまい、リモコンで早送りしたくなる場面なのだが、公開当時の中二の自分には主人公が結婚することなど、「巨人の星」「あしたのジョー」「マジンガーZ」といった従来のアニメでは到底有り得なかったことで、とても新鮮に映った印象がある。

但し、あくまでも個人的にだが、これでも前作の劇場版しか観ていない観客には不十分に思えた。

劇場版で残念ながらカットされてしまったTV版最終話での台詞、死の淵に立つ沖田が古代に言った「お前は今度の航海で、より多くの人間を愛することを学んだはずだ…」は、続編である本作「さらば宇宙戦艦ヤマト」の最大のテーマである。

言い換えれば、「特定の人(=森雪)を愛することで、他者を愛することを覚えたのならば、次はその愛を、全人類、全宇宙に広げよ」という意味だ。

確かに古代自身も前作で、ガミラス星を滅亡に追いやった時に「我々がしなければならなかったことは、戦うことではない。愛し合うことだったはずだ!」と怒りを露わにしながら反省をするが、TV版最終話で、とあることをきっかけに、その悔恨の思いを喪失し、さらには自分さえも見失ってしまう。

そんな古代を諭すように投げかけたのが、先の沖田の言葉である。

このくだりを知らないと、本作でなぜ、古代が今の地球を見て、心が晴れないのか。
なぜ、「宇宙のどこかの星の不幸は地球人の不幸だ!」と叫び、謀反まで起こしてヤマトで戦いへと旅立つのか。
その理由がイマイチわからないはずだ。

本作の主人公・古代進の行動原理は、沖田の最後の言葉を実践すること、その挑戦でしかない。
だから、地球防衛軍作戦室の大スクリーンに映し出された旅立つヤマトの雄姿に向かって、一人威儀を正して敬礼しながら、司令長官が「沖田の子供たちが行く…」と呟くのだ。

閑話休題…

まぁ、前述した「起」のパートから中盤へと差し掛かる、目的地テレザート星を眼前にしての敵艦隊との攻防からは、まさにチェンジ・オブ・ペースで、見せ場、クライマックスのつるべ打ちとなる。

前作の見どころであった「冥王星」「赤色巨星」「七色星団」「ガミラス星本土」での攻防戦、迫り来る絶体絶命の危機を、艦長や乗組員たちの“勇気と機転”によって回避し、勝利へと転じる展開はもちろん本作も踏襲しつつ、更には観ているコッチの想像を超える、何段階もアップグレードした戦闘シーンを披露する。

敵の大艦隊に行く手を阻まれ、背後には今にも飲み込まんとする宇宙気流という最悪の状況から、逆転攻勢に転じる土方新艦長の巧みな綱さばきは、観ている自分も、作戦無事終了後、土方を感嘆の思いで見上げる古代たちと全く同じ気持ちで、相原通信士の溜息混じりで上げた声「す、すげぇ!!!」、その一言に尽きる。

そんなヤマトの前に立ちはだかる、今回の敵・白色彗星帝国の猛攻・戦いぶりも、前作での敵ガミラスの比ではなく、まさに“無双”で、ヤマトの必殺技(笑)波動砲の何倍も強力な「拡散波動砲」を十数隻の戦艦から一斉に撃ち込まれても、カスリ傷一つ無く、余裕で反撃に転じれば、地球艦隊全隻を跡形もなく彗星に飲み込んでしまう。

初見時、正直に申せば、「ヤマトと戦う前にヤラれるワケない」と高を括っていたのだが、尻尾を巻いて逃げようと右往左往する地球艦隊が、彗星の引力に引き込まれ、次第に船体がひしゃげ、粉砕され、吹き飛ばされていく様を見せられ、更にはスクリーンいっぱいに映し出された巨大な白色彗星にオーバーラップする、ラスボス・ズォーダー大帝の高笑いを浮かべた顔と共に「ワハ、ハハハ!!」というその吡笑が、劇場全体に木霊した時、「コイツを倒すのは、相当難儀なことだな…」と、マジで思わざるを得なかった。

それくらい、10代半ばの子供にとっては衝撃的な場面で、本作「さらば」が海外のごく一部の劇場で上映(もしくはTV放送)された際、当時20歳前後のリュック・ベッソンもきっと観て興奮したのだろう。自身の監督作「フィフス・エレメント(97年)」の劇中内、謎の小惑星が巨大化し戦艦が撃滅されるシーンで、オマージュを捧げている。

余談ながら、スタートレック旧シリーズの3作目「ミスター・スポックを探せ(84年)」も、本作の影響下で作られたことは間違いない。
両作とも、軍の上層部がヤマト=エンタープライズを引退させて、最新鋭の戦艦アンドロメダ=エクセルシオールを旗艦に就任させるところから始まる。屈辱に感じた乗組員たちは、軍規を破ってヤマト=エンタープライズに乗り込む。
それだけじゃない。ヤマトもエンタープライズも、捨て身の戦法で壮絶にXXするのだ。
もしもパクリじゃないとするなら、これはいわゆるシンクロニシティってやつなのだろうか…???(笑)。

ハナシを白色彗星帝国に戻すと…
ネタバレになるので詳細は伏せるが、終盤、ヤマトが何度倒してもやっつけてもカタチを変えて復活してくる、過去のSF映画・アニメでは登場しなかった、オタクの知恵ではおよそ計り知れない強靭ぶり、“チートすぎる能力”をこれでもかと見せつける。

後年、自分が大学生になって、ジェームズ・キャメロン監督作「ターミネーター(84年)」の「トレーラー大爆発→エンドスケルトンで復活→ダイナマイトで粉砕→上半身だけで這いずりながら襲いかかる」という展開を観た時、「あっ!このしつこさは白色彗星そっくりだ!」とすぐに思い起こすくらい、脳裏に焼きつけられるほどのインパクトがあった(笑)。

[蛇足ながら、白色彗星との攻防戦1stラウンドで、波動砲を撃つ際の古代のモノローグ、「落ち着け、落ち着くんだ。地球の…人類の運命はこの一発にかかっているんだ」は、本作中、個人的ながら、一番アドレナリンが上がった台詞である…]

このように見どころ満載の本作だが、最大のハイライトは、前作TV版から個性的で人気のあった馴染みのキャラが、次々と天に召されていくバッドエンドな展開だろう。

観ているコッチも主人公の古代進と同様に、「え?あの人が…!え?この人も…」と予想外の顛末に打ち拉がれ、ドンドン憔悴していく。

「タイタニック(97年)」のデカプー、「鬼滅の刃(20年)」の煉獄さんのような号泣必至の今際のシーンが、1度きりではなく何度も、何度も続き、左右両隣に座る悪友たちは当然として、前後の席のオバさんやオネエさんからも咽び泣くような声が聞こえてくる…。

あくまでも勝手な推察だが、この順々に仲間が悲劇を迎える展開は、「潜水艦イ-57降伏せず(59年)」「ビーチレッド戦記(67年)」などの戦争映画、「ポセイドン・アドベンチャー(72年)」「大地震(74年)」といったオールスターキャストのパニックムービーに幾分影響を受けているのかもしれない。

それらの作品では、主人公や印象強いサブキャラが、自分の責任を全うするため、あるいは他者の身代わりとなって、自らの命を投げ出す。
[注:作り手側が「命の重さ・尊さ」を軽視し、関心を引くためだけに物語を紡いでいる訳ではありません…]

しかし、本作「さらば」がとりわけ印象深いのは、敵との圧倒的戦力差によって次々と仲間を失いながらも、決して諦めずに戦いを挑む姿に感動を覚えるからだ。

個人的に、嗚咽寸前、涙と鼻水ダダ漏れ状態となったシーンは、生きて帰れない片道切符の敵本丸を爆破する作戦で、新艦長となった古代を、真田技師長が無理矢理帰還させる時の台詞だ。

死地に仲間を置き去りにして、ヤマトに戻ることなど出来ない古代は呆然と立ち尽くすのだが、そこに真田の怒号が響く。

「行け!行かんかぁぁぁ…!」

その叫びが耳に木霊し、やっと決意した古代は、悲痛に顔を歪ませながら、踵を返して出口へと走る、走る…。
そこにあの名曲「無限に広がる大宇宙」、川島和子のスキャット「♪〜あ〜あ〜ああああ…♪」がレクイエムのように聴こえてくる…。

[注:プロデューサーの西崎義展は本作でかなりの手応えを感じたのか、以降シリーズで毎回、必ず重要なキャラが終盤でお亡くなりになる展開を描き続ける。
但し、「完結編(83年)」で、本作「さらば」で地球の未来を古代から託されたはずの島大介が涙の強制退場をさせられたり、さらには1作目で死んだはずの沖田艦長が奇跡の復活をしたにも拘らず、XXXするトンデモないオチには、悲しみを通り越して、只々苦笑せざるを得なかった…]

しかしながら、古代の恋人・森雪の結末だけは、74年のTV版から監修を務めていた古株のスタッフとも云える、本作の監督舛田利雄の嗜好の偏りかもしれない(笑)。

日活時代の舛田作品は、石原裕次郎主演の「太陽の脱出(63年)」、高橋英樹の「血斗(67年)」や「対決(67年)」など、途中で“最愛の人”が亡くなってしまうことが結構多い。

舛田利雄は、クライマックスに向けてのカタルシスを演出するためには、主人公を追いつめないといけない。その手段の一つとして、ヒロインの途中退場が必要であると述べている。

「女性が邪魔だというわけではないんだけど(笑)、愛する女性を喪失することは、男にとって大ショックでしょう。その悲しみは主人公を奮い立たせる原動力になりますからね…」

そして、ネタバレで大変恐縮だが、本作はそのタイトルに偽ることなく、「さらば…」と主人公がヤマトと共に“特攻”することで、最期のクライマックスを迎える。

公開当時も、この場面だけをファーカスすれば、悲劇が色濃く反映されてしまうようなオチ、徒花となって散っていくような主人公の末路が、賛否両論の物議を醸し出し、特にリベラル派の方々から反対意見が多く飛び交ったのを記憶している。

但し、少なくとも本作の劇場初公開、1978年の時点では、そこに軍国少年の悔しさと敗戦国民の悲愴が未だ在ったことは間違いない。

自分が子供の頃、8月6日あたりから、TVはどのチャンネルも戦争を振り返る特集番組を放送していたし、映画界では東宝が「8.15シリーズ」と題し、「日本のいちばん長い日(67年)」から「海軍特別年少兵(72年)」まで毎年、夏休みに戦争映画を製作・公開。

日露戦争を舞台にした「日本海大海戦(69年)」を除き、その殆どが第二次大戦を背景に「戦争なんてしちゃいけない!」の一心で作られた反戦映画だ。

また、作り手たちは戦記物の面白さをよく知っていて、戦意高揚を意図するワケではなく、勇猛果敢なヒーロー、巨大メカのあり得ない格好良さ、その見せ方を心得ていた。

少年漫画誌がブームとなった60年代〜70年代は、それまで主に大人の読み物だった戦記物が、漫画となって子供の世界にまで降りてきた時代で、「ゼロ戦レッド(61年〜66年)」、「0戦太郎(61年〜64年)」、「ゼロ戦行進曲(67年〜68年)」、「烈風(71年〜72年)」など、飛行機がメインの「空戦漫画」が人気を博した。

中でも、辻なおきが描いた「0戦はやと(63年〜64年)」は、主人公の少年撃墜王を中心とする精鋭36人が駆る戦闘機隊が、荒唐無稽とも云える活躍を見せるプリミティブな空戦活劇で、「週刊少年キング」連載時からフジテレビ系列でTVアニメ化され、脚本の一部をあの倉本聰が担当。
毎回締めのナレーションに「これだけは絶対に忘れまい。敵も味方も人間であることを」という文言が入るなど、ヒューマニズムにも訴えかける内容となっている。

個人的に印象深いのは、ちばてつや唯一の戦争漫画「紫電改のタカ(63年〜65年)」だ。

「週刊少年マガジン」連載終了後、随分と年月が経った後、コミックス化されたものを自分は読んだのだが、その最終話、戦闘機乗りの主人公・滝城太郎は「何のために戦争をやるんだ?どこの誰がこんな馬鹿げたことを始めたんだ?」と苦悶し、「戦争が終わったら学校の先生になって、子供たちに戦争が如何に恐ろしいものであるかを教えてやるんだ」と決意する。

だが、そんな主人公を待っていたのは特攻出撃の命令だった。
最終ページ、死出の旅に向かう主人公を載せた紫電改の編隊が描かれた一コマに、作者の想い、読者へのメッセージがこう綴られている。

「滝城太郎は
 果てしない大空に
 飛び立っていった。
 (中略)
 先生になる夢も捨てて
 ただ、自分の死が
 祖国日本を救うことに
 なるのだという言葉を
 信じようと努力しながら…」
 
このように、戦争において兵士の死が“損耗率の数字”でしかないのは当たり前のことで、映画に話題を戻せば、その不条理を描くことこそが、昭和の戦争映画を輝かせてきたと云えるだろう。

大映の「海軍兵学校 あゝ江田島(59年)」に始まる特攻隊映画は、東映の「あゝ決戦航空隊(74年)」まで、邦画各社競合で十数本作られ、その殆どが「特攻の無駄死に、犬死に」を強烈にアピールする内容となっている。

そんな中、特筆すべき作品が、本作「さらば」の監督舛田利雄の最初の戦争映画、日活が製作した石原裕次郎主演「零戦黒雲一家(62年)」である。

悲惨な戦争というテーマはかなり影を潜め、娯楽的アクション活劇の様相を呈しているが、終盤のクライマックス、激戦地となった孤島で、隊員24名を指揮する隊長の裕次郎は、目前に迫りくるアメリカ軍との相討ち・玉砕を覚悟しながら、部下たちに向かってこう嘯く。

「俺はお前たちを殺すのが勿体なくなった。そこらのヘナチョコ野郎と違って、お前ら筋金入りだからな。これからの日本はそんな馬車馬みたいなガムシャラな力がいるんだ」

そう言い終わるや、部下を味方の潜水艦に乗せ、裕次郎は生死を共にすると誓い合った盟友二谷英明演じる兵曹と二人だけ、たった二機の零戦で、敵の大編隊めがけて突入していく…。

これは、本作「さらば宇宙戦艦ヤマト」の主人公・古代進の行動原理と同じだ。

独りで死ぬ覚悟の古代も、共にここまで戦ってきた戦友である島、相原たちに「世の中には現実の世界に生きて、温かい血潮の通う幸せを作り出す者もいなければならん。君たちは生き抜いて地球に帰ってくれ!」と、退艦命令を説き伏せる。

艦隊特攻を決意する古代のロジック、その原点は「零戦黒雲一家」の裕次郎であり、監督舛田利雄は製作から15年以上の時が経つのに、同じメッセージを今度はアニメ映画でリフレインし見事に昇華させ、1978年当時の子供たちの心を鷲掴みにしたのだ…。


最後に…

そう云えば最近、世界中にその名を轟かせる、日本産の「レジェンド怪獣の最新作」が公開されたが、ここでも“特攻”がフォーカスされている。

負け戦から帰還した兵士が一致団結して、“アメリカのB-29を撃墜するためだけ”に開発された幻の戦闘機を使って怪獣を倒すという、もう一度“特攻”するハナシであり、歯に衣着せずに書かせてもらえば、「先の戦争に負けていないんだ!自分たちだけでもう一度、国を取り戻す!」という、進んだ時計の針を巻き戻すことをテーマにしているように思えた。

「アメリカに頼らず日本人の力だけで怪獣を倒す!勝利を取り戻す!」という物語だから、現実には駐留しているはずのGHQ(連合軍)を敢えてオミットしたのだろう…。

これらの演出意図は、「映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲(01年)」で、オトナ帝国のリーダーであるケンが、バブルに浮かれる現代の日本を見て「今の世の中は汚いお金と燃えないゴミだけだ!」と悲憤慷慨し、高度経済成長時代に戻そうとすることとあまり変わらない気がするし、同じ“特攻”をクライマックスとしているが、「戦争にどう落とし前をつけるか」という点においては、本作「さらば宇宙戦艦ヤマト」とは、その視点、落とし前の付け方が全く正反対に見える。

本作「さらば宇宙戦艦ヤマト」は、「お国のために奉公すべし」という主人公の行動原理は変わらないものの、「敵味方別れることなく、互いに信じ合い、生を享受し合って、明日を共に生き抜くこと」を全人類に託して、最大の自己犠牲を払う。

これは時計の針を未来に進めることだ。

古代進は、ほんの1年前までガミラスの侵略戦争によって見せられ続けた地獄絵を忘れ、ガミラスと同じように他の惑星の資源を搾取し、脅威となる白色彗星に対し「そんな彗星の一つや二つ、簡単に葬ってやりますよ!」という、前作でヤマトをゴキブリ呼ばわりしたガミラスの下級士官のような物言いをする政府、物質文明の極致の中で繁栄に酔いしれ慢心した人々に失望するが、「昔の方が良かった」とか「積年の思いを取り戻せ」とは絶対に口にしない。

繰り返しになるが、古代の胸の内にある思いは、「他人を愛し、共に明日の素晴らしき地球を作ろう」だけだ。

たしかに、レジェンド怪獣映画の最新作、その劇中にも「今度の戦いは死ぬための戦いじゃない。未来を生きるための戦いなんだ」という台詞はあるし、決死の作戦に将来のある若者たちを巻き込まないようにしているシーンも見受けられた。

だが、自分には、敗戦という結末に終わった大戦を、そこで傷を負った日本人が「心の中で清算する」、自己肯定感を取り戻しただけの微視的なハナシのように思えたし、その先、主人公たちが、すべての人の苦しみの解決を目標に生きようとするには、まだまだハードルが高いと、正直思わざるを得なかった。

本作「さらば」が、非暴力思想を持つ平和の象徴である女神テレサに、敢えて「手を取り合うことは難しい」と言わせ、古代の意志=「他人を信じ、お互いの平和を実現すること」の蓋然性の低さを浮き彫りにすることで、古代の次なる行動を促しているのに…。


このレビューで、「レジェンド怪獣映画の最新作」を引き合いに出したのは、“否定したり、下げる”ような趣旨を書いて、本作「さらば」の出色ぶりをアピールしようとしたからではない。

第二次大戦から80年近く経った今、戦中派世代が少なくなったことで、邦画界がようやく、敗戦後をファンタスティックに描ける土壌が出来たことはなんとなく理解できるが、大国アメリカの庇護の下、その掌の上で、属国である日本が、さも自立した感じで終局となることを「良し!」とする、マルチバースみたいな世界の映画を作り上げた今の人たちのアナクロニズムな考え方が、あくまでも個人的にだが、無性に切なく思えただけだ。

当時も今も、「人類愛」なんて言葉を声高に叫ぶことは小恥ずかしく、歯が浮くような「非現実的な理想」なのかもしれない。

しかし、少なくとも本作「さらば宇宙戦艦ヤマト」が公開された1978年は、「いつかきっと、戦争が起きない平和な世の中が来る」と、子供たちみんな全員、未来の可能性を懸命に信じようとしていた時代だったと思う…。

『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』に似ている作品

さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち 4Kリマスター

上映日:

2024年01月05日

製作国:

上映時間:

151分

ジャンル:

4.0

あらすじ

西暦2201年。地球はガミラスとの戦いの傷も癒え、かつて無い繁栄の道を進んでいた。ヤマトはすでに廃艦処分となり、代わりに超最新鋭戦艦アンドロメダが就航、かつてのヤマト戦士古代、島、真田らは…

>>続きを読む

宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち 第七章 新星篇<最終章>

上映日:

2019年03月01日

製作国:

上映時間:

95分

ジャンル:

3.5

あらすじ

キーマンに突きつけられた悪魔の選択。しかし“縁”の連なりが為す奇跡が、事態を思わぬ方向へと導く。 千年にも及ぶズォーダーの絶望を断ち切る唯一の機会を前に、人々は……。 最後の戦いが始まる。…

>>続きを読む

宇宙戦艦ヤマト 劇場版 4Kリマスター

上映日:

2023年12月08日

製作国:

上映時間:

145分

ジャンル:

3.8

あらすじ

西暦2199年。地球は謎の星間国家ガミラスの攻撃を受け滅亡の危機に瀕していた。遊星爆弾による放射能汚染は地表全土に広がり、地下都市に逃れた人類を刻々と蝕みつつあった。地球防衛軍も敗退し希望…

>>続きを読む

宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち 第五章 煉獄篇

上映日:

2018年05月25日

製作国:

上映時間:

98分

ジャンル:

3.6

あらすじ

“大いなる和”と“縁”を巡る人々の物語は新たな局面を迎えようとしていた。伝説の惑星テレザートへと到達したヤマトを待っていたのは、女神テレサだけではなかった。古代たちの前に、“縁”ある相手―…

>>続きを読む

宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち 第六章 回生篇

上映日:

2018年11月02日

製作国:

上映時間:

98分

ジャンル:

3.7

あらすじ

ヤマトは沈んだ。 波動砲艦隊も壊滅的な打撃を受け、強大なガトランティスを前にもはや為す術をなくしたかに見えた地球。 だがそれは、これから始まる未曽有の戦いの序曲に過ぎなかった。ヤマトの意志…

>>続きを読む

宇宙戦艦ヤマト2205 新たなる旅立ち 後章-STASHA-

上映日:

2022年02月04日

製作国:

上映時間:

102分

ジャンル:

3.9

あらすじ

西暦 2205 年──寿命を迎えつつある母星を離れ、新天地ガルマン星への移住を開始したガミラスの人々。だがその移送が半分も終わらぬうちに、ガミラス星は正体不明の敵の攻撃を受け、無惨にも破壊…

>>続きを読む

宇宙戦艦ヤマト2205 新たなる旅立ち 前章 -TAKE OFF-

上映日:

2021年10月08日

製作国:

上映時間:

103分

ジャンル:

3.9

あらすじ

白色彗星帝国との戦いから三年──。滅びに瀕したガミラス民族を救うべく、新たな母星の探索を続けていたデスラー総統は、天の川銀河の一画に条件に見合う星を見出す。が、そこは、強大な星間国家の領域…

>>続きを読む