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パップスのkuuのレビュー・感想・評価

パップス(1999年製作の映画)
3.7
『パップス』
原題 Pups.
製作年 1999年。上映時間 99分。
アッシュ監督(初めて知りましたが)が少年少女の銀行強盗を描くアメリカ・日本合作衝撃ドラマ。
子供たちが行き当たりばったりで繰り広げる銀行強盗の顛末を、刹那的なテイストとドキュメンタリー・タッチの映像で捉える。
まるで『俺たちに明日はない』のようなニューシネマの匂いを放ちつつ、現代の子供たちの乾いた感情を浮き彫りにした演出は見もの。
『シックス・センス』のミーシャ・バートン主演。

アメリカンミレニアム世代の端で不安定なバランスを保っている13歳の2人は、ある日、朝の通学路を衝動的に外れ、まさに生意気Pupで銀行を襲撃。
スティーヴィーの不在の母ちゃんのクローゼットから取り出した44マグナムを武器に、世間に対するやり場のない怒りと失望をエネルギーに、より良い生活を求めて、孤島ガラパゴス諸島に逃げ込むことを妄想しながら、従業員と客を人質に取り、警備員を撃ち、FBI、警察官、SWATチーム、ヘリコプターに取り囲まれることになる。
膠着状態が続く。。。

アッシュ(Ash)ちゅう製作、監督、脚本を担当した今作品は、決して完璧とは云えないが面白い作品を作ってる。
個人的には嵌まった。
作り方次第で化けそうな今作品。
また、ガキのキャラはアメリカのテレビや映画から情報を得てはいるが、教育を受けていないような少年。
鋭敏でありながらも派生的に捉えていると思う。
現代ならネット情報はいち早く手に入れてるが、お勉強をサボるガキってとこかな。
『俺たちに明日はない』『狼たちの午後』『二十日鼠と人間』『西部戦線異状なし』(最近、Netflixでリメイクがでてた)などの映画をあからさまに、あるいはひそかに引用しながら、『化石の森』を思わせるような演出やった。
このアドレナリンあふれる"小品"は、その思春期の主人公たちと同様に、よくも悪くも映画を含めたエンタメによって人格形成されている。
銃が簡単に手に入り、テレビやビデオ、そして、映画で描かれる以外の人生にはほとんどアクセスできない(しないかな)ティーンエイジャーたちは、大人のように話し、現実と作り物の区別がつかない混乱し、当然ながら子供のように考え、行動する。
卑猥な言葉、脅迫、性的な自慢は彼らのボキャブラリーの一部と云える。
警察やMTVのインタビューアーやまでも巻き込んだゲーム。
環境汚染や育児放棄の親に対する不満、告白的な自己分析、性的虐待の申し立て、権力者を操る方法についてのシニカルな知識等々。
今作品の主人公スティーヴィー少年は、ポップカルチャー、子供じみた怒り、思春期のいたずら、大人の愚かさと自責の念など、気まぐれで早口の大要素として描かれているが(少々五月蝿い)、負傷した警備員を解放するなど多少の思いやりがあり、ニュースでドラマを見ている、FBIのベンダーに指示を出すほど、権力政治とテレビでの人質状況について賢明。
ロッキー(ミーシャ・バートン演じる)は、スティーヴィーに忠実なガールフレンドであり、理性の声であると同時に、自分が生まれ、今形成している世界に対する深いシニシズムを併せ持つ、重層的な演技を披露している。
人質は、店長と数人の窓口係だけでなく、車椅子の湾岸戦争帰還兵(アダム・ファーラー)や杖をついた第二次世界大戦の退役軍人エドワード氏(エド・メッツガー)などの客も含まれている。
この組み合わせは、アッシュ監督は世代間の小競り合いを展開させる好都合な材料。
年配の退役軍人は云う。
"アメリカは"昔は"素晴らしい国だったんだ "と。
風刺が効いてる。
今作品は、個人的には見る価値があった。
若者の銃乱射の問題に正面から取り組み、多少ウィットに富んでいたし、十分に楽しませてくれました。
スティーヴィー役のキャメロン・ヴァン・ホイは、カメラの前で、喧しいのは難点ながら、イカれた演技と存在感を発揮し、この若くてか弱そうな少年のリアルな怒りと感情を目に焼き付けてくれた。
若き日のミーシャ・バートン演じるロッキーは、ウィットに富み、無邪気な中にも堕落したところを巧く演じてた。
二人の会話は巧妙で愉快やったし、人質を交えた会話は輪にかけて面白い。
二人の関係は、今の世の中では納得のいく、早く大人になりすぎたという考えを投影しているかな。
日本ならさしずめトー横キッズかな(実際見たことないけど)
人質たち(この映画では個々のキャラも非常によく育っている)がお互いに、そしてスティービーとロッキーとが作る感情的なつながりは心温まるものであり、今作品のまとめ方は良かったし、多少の衝撃はあった。
低予算で作られたにもかかわらず、関係者全員が全力で仕事をしたと思う。 
kuu

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