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ヴェルクマイスター・ハーモニーのRのレビュー・感想・評価

4.8
大昔に一度か二度見たことあって、雰囲気は覚えてたんやけど、ストーリー全く覚えてないので、久々に見てみた。陰影の深い白黒で、カットがほとんど入らず、ワンショットワンショットがむちゃくちゃ長いうえ、すごくゆっくり静かな映画なので、すんごく眠くなった記憶があるが、今回見たら、面白いことに、もうちょい考える時間をくれ! ってなるくらい、めまぐるしく思考を刺激する映画だったよ! 冒頭、パブの中で、主人公ヤーノシュは、そこで飲んでる人々を使って、太陽と月と地球の運行を、くるくる回らせて演じさせる。いきなりコイツら一体何をしとるねんとビックリしますが、考えまするに、まず、宇宙の秩序、すなわちコスモスが、酔っ払いたちによって体現されてるのでは。コスモスの法則に従って動く星たちは、自由にどこやかしこや動き回ることはできないが、予測可能性からくる落ち着きと生命の繁栄を享受できる。時折日蝕という闇が生まれ、生物たちを一瞬不安に陥れるが、やがて時間が経てば光が戻ってくる。これ、ちょー身近なコスモスの現象。では、この世界から「秩序」というものが失われるとしたら、どんなことになるだろうか。(ちなみに我々人間を含む生物は、マイクロコスモス、すなわち小宇宙と呼ばれることがある。我々一個一個の存在に全宇宙のエッセンスが収まっているという考え方だ。) たとえば、人間社会から、物資不足や貧困への不満や将来への不安という闇により、秩序、すなわちオーダーが失われるということになったとしたら。そこには、混沌、すなわちカオスが生じることになる。カオスはすべてを呑み込んで、すべてがバラバラになり、破壊の限りを尽くす。恐ろしい状態である。ところが、新しい創造はカオスの中から生じると言われる通り、そこから新しい価値が生まれ、新しいオーダーができあがる。そのダイナミズムのなかで、古きものは廃れ、死に、消えていく。ところで、人間は驚異的に精緻な主観を備えたエゴセントリックな生き物であるため、生と老と死のプロセスを明確に認識でき、そのせいでやがては消えゆく自分という意識に苛まれざるを得ない寄る辺なき生物であると言える。また、この世界には「全ては所詮、無であり、無に帰し、無意味である」といった唯物的思想がそこそこ幅を利かせて存在し、当然のことながらその概念は人間を骨抜きにし、無力にする。寄る辺なき無力な人間は、主体性を失ってしまっているため、カオスから生まれた強力な扇動者の発するオーダーにいともたやすく操られてしまう。そんなこんなで、秩序から混沌へ、混沌から秩序へと推移する人間社会。しかして、どんなものでもとにかくオーダーがありさえすれば人間は幸福にれるのだろうか。否、歴史的に見ると、オーダーは脅威的な拘束となって人間を苦しめることのほうが遥かに多かった。では、何が人間にとって幸福の源泉となりうるのか、それは調和、すなわちハーモニーである。実は、コスモスとは、ハーモニーと類義であり、オーダーからはほど遠いものだ。ハーモニーこそが、あらゆるものを生かし、躍動させ、ゆえに美しい。ハーモニーには一定の法則があるが、それはヴェルクマイスターのハーモニーのようなものによってカチッと規定されるようなものでなく、もっと自由で柔軟で楽しい、ということなのだろうが、ハーモニーの部分に関しては、本作の提示するそれは、それまでのニヒリズムに対してあまりにも微弱すぎる嫌いがある。まーでもそれは、映画全体のバランスから考えても、歴史や現実社会の有り様を考えても、こう表現する以外にないのだろうと思う。そんなストーリー。あとは、鯨の存在か。鯨は神というクリエイターの創造するクリーチャーの神秘の象徴として描かれるが、それも人間によって単なる見世物にされている始末であるし、クリスチャン的に考えると、人間もまた、神の創造物であるはず。そのくせ、人間は残虐の限りを尽くすことだってできる。つまり、神は、人間にその残虐性を与えているというとこになる。てことは、神にも最低限、人間と同レベルの残虐性があるということになり、神の中にも人間の中にも悪魔が存在していて、神性と魔性が絶えず拮抗状態、どちらが表面化するかは、さまざまな条件次第ってことになる。これは大変面白いことです。神も人間も同程度に気まぐれってこと笑 ま、そりゃ当然だ、神という概念は人間が作ったものなんやから。だからこそ、ボクは世界に創造神なんてものは存在しないと思うのです。なーんにもないところに、どこから現れたのかわからない神様がそれまで存在しなかったものを作るなんて、どう考えても無理。無から有は生まれ得ない。あるものはある、ないものはない。完全なる無なんてものがあり得ないように、完全なる有もない。無と有の間、すなわち中庸こそが真理であると個人的には思います。中庸とは、一瞬たりとも止むことなき変化であり、ダイナミズムである。それは光と闇の関係と同じで、善と悪の関係と同じだ。また、中庸という概念を別の観点から見るならば、人間と宇宙の関係や、一瞬と永遠の関係に繋がっていく。けど、まぁそこにいくと話が映画から逸れるのでやめとこう。とりあえず、この映画は、歴史のダイナミズムの悲劇的側面を、ヤーノシュという目撃者でありメッセンジャーであり被害者であるという、主人公ってか狂言回し的な男の視点から描いた闇の寓話なんだと思われる。実にダークで蠱惑的な、悪夢のような映画。またいろいろ考えながらゆっくりじっくり見直し、ああでもない、こうでもないと、考えたいものです。
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