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未知への飛行のsleepyのレビュー・感想・評価

未知への飛行(1964年製作の映画)
4.6
闘牛士は誰か、牛は誰か。****

原題:Fail Safe、64年、112分。Fail Safeは多義的だがここでは核装備の爆撃機が何かの誤りで攻撃目標を爆撃することを防ぐ制御組織あるいは「後戻りできない、引き返せない地点」みたいな意味か。これは凄まじい映画です。82年の日本初公開に観、再見したがこれほどクラクラするほど息詰まるスリルはなかなかない。観終って息が浅くなっている自分に気付く。

60年代前半。米。水爆を搭載したアメリカの爆撃機が、間違いにより、モスクワ爆撃命令を受ける。大統領(フォンダ)や米軍中枢はこの事態を収拾しようとするが・・。後半はほぼ密室劇の様相(同監督の「12人の怒れる男」を思わせる)。戦略空軍司令部、大統領のホットラインルーム、作戦会議室、そして爆撃機コクピット。ときおり挟まれる爆撃機の飛行映像の粗さが凄まじい現実味を与える。画像ではない電子地図と回線の音声のみ。彼らの脳内にありありと飛行し続ける爆撃機と地獄絵図が浮かんでいるように感じられる。ハイテクへの過信と依存。

しかし最も浮かび上がるものは冷戦・核時代に生きることの漠とした、しかしじわじわと精神を蝕む「不安」。このことを表しているのがブラック将軍(オハーリヒー)が見る悪夢。闘牛場。一頭の牛が短剣をたくさん立てられて倒れる。死にゆく牛を恐怖の顔で見ている一人の男・・。「いつか闘牛士の顔を見てやる」。闘牛士は誰か、牛は誰か。将軍の苦悩、それを押さえこむ精神力は想像を絶する。そうだ、本作の主役はブラックだ。本作の価値を圧倒的に高めているのは冒頭5分。

マッソー扮するタカ派・自称現実主義の政治学者の存在も重要で強烈。パーティ帰りの彼とただれた中年婦人の象徴していることも重要だけれど述べるスペースがなくなってしまう。

そして本作はある種「会議映画」ともいえる。モニターと飛び交う会話・会話・会話。これをさばくルメットの胆力は凄まじい。米ボーガン将軍の頼もしさ、部下カシオ大佐(ウィーヴァー)の分裂、通訳バック(ハグマン)の祈り。機長の逡巡。肉声でしか伝わらないことがある、その熱さがひしひしと伝わる。

音楽がないこと、モノクロであることも大正解。日本ではなぜか82年に初公開。本国では似た題材のために「博士の異常な愛情」のキューブリックにより訴えられた(同時期に同じコロンビアにより企画が進行していた)。しかし素材は類似ながら表現・空気はまったく異なり、なんら道義的問題がある訳ではない。むしろ主題は全く異なる。

AI時代に足を踏み入れた今、本作の訴えている「時代が抱える不安」テーゼはまったく古びていない。むしろその重要性は増している。そして、単にテーゼだけでなく観客を最後まで引きつける必見のポリティカル・スリラーでもある。恐怖の鳥肌が止まない。

★オリジナルデータ:
Fail Safe, US, 1964, 製作・配給Columbia Pictures, 112min. B&W、オリジナル・アスペクト比(もちろん劇場上映時比のこと)1.85:1 (Spherical)、Mono、ネガもポジも35mm
他サイトへの自身のレビューを修正したものです。
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