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ブラックホーク・ダウンのAnima48のレビュー・感想・評価

ブラックホーク・ダウン(2001年製作の映画)
4.2
スポーツや仕事に限らず、何かに選抜されると最初は舞い上がり、そのうち立場に応じた特典を当たり前におもったり、自分の存在理由や価値をそこに求めちゃうことってある。まだ経験不足だった当時の振る舞いは未だに恥ずかしい、それが小学校の給食当番だったとしても。

30年ほど前の軍事作戦、まだスマートフォンやインターネットはないけれど通信で現場の把握ができる。対テロ対策チームのデルタと今回作戦支援を担当するレンジャー部隊は両方とも精鋭の揃った特殊部隊。上空ではヘリコプターの特殊部隊が連携している。・・けれど30分で終わる作戦は15時間に及んだ。2台のヘリが堕ち、救援の車はなかなか着かない。

序盤でソマリアの飢饉と混乱した状況が紹介され、作戦のブリーフィングの後はずっと戦闘状態。“ヒーローになろうとする奴はいない、結果的にヒーローになってしまうんだ”との言葉とおり、ストーリーを丹念になぞるというよりは兵士達が埃っぽいソマリアの街で、逃げ回り、遮蔽物に身を隠し、撃たれ、撃ち返し、弾薬切れの悪い予感に焦燥し、救援を待つ姿が描かれていた。そこは一般人が見たり知ったりしてる世界ではなくって、殺戮が続くソマリアで生きてきた民兵達と戦争のプロフェッショナル達がぶつかり合う混沌としていた街、モガディシオ。監督は何か特定のメッセージやキャラクターを強く打ち出す訳ではなく”何が どのように 何処でなされたか”を無慈悲に冷徹に映し出す。デルタやレンジャーといった隊員は志願して兵士になった。そして厳しい選抜や激しい訓練を経て特殊部隊員になっている。そういった士気の高い人たちですら恐怖を覚えるモガディシオで、隊員間の見分けも厳しいくらいの激しい戦闘が続く状態に陥ったアメリカ兵の正確な行動記録に拘っていたように見える。正義とは・平和とはと考える時間や余地はこの街にはない。なのであまり政治的なメッセージが強調されることもなく、敵の兵士を殺すことに怯えるような戦争の意義を問う道徳的なキャラクターは出てこなかったように思う。

集団で迫り至近距離から銃を半ば乱射する民兵。遮蔽物を利用して少人数チームで行動して相手を正確な射撃で倒していくデルタとレンジャー達。装備や技量の差が良く出ていた。現地民兵達の銃を手にまるで湧いて出るかのように襲ってくる様子が、戦術なのか暴動なのか判別がつかない。空港の近くに偵察を置いて、タイヤを狼煙にしたり、バリケードを築いたりと組織だった様子はあるものの。余り現地の人からの見方という物は描かれずまるで銃器を扱えるゾンビのように映り、女性や子どもとかの民間人も一緒に怒り狂ってあたかも街全体が隊員たちに襲い掛かってくるように見える。軍服を着ていない民兵と市民は見分けがつかないし、一刻前には一般人だった人が急に武装して民兵化する、戦闘中はそういう風に見えてしまうのだろうけれど。とは言えそれは米兵からの物の見方で、現地の人が見たらとても怖さややりきれない気持ちもあるだろうと思う。恐らく巻き込まれて亡くなった一般の人も相当いるのかもしれない。そんな人も巻き込んでしまう市街戦の怖さをものすごく感じる。通りを警戒しながら区画ごとに進むが窓という窓から撃たれ曲がり角からは突然敵が襲ってくる。建物に籠り、高層階からの狙撃を警戒する。逃げる先で怯える一般市民に鉢合わせをし、ドアの先では待ち伏せされる。籠城しながら味方に応急治療を行い、救援を待つ姿が痛々しかった。

他の映画では特殊部隊って5・6人程度で出てくることが多いし、それこそアクション映画では元特殊部隊員という主人公がたった一人で悪者達をやっつけていくことが多い。これだけたくさんの特殊部隊員が一度に画面に映るのは初めて見た。でも楽勝からは程遠い。実際の作戦というのはこのような感じなんだろうか?選抜された特殊部隊は練度が高く精鋭の部隊だけれど、正面切った作戦を行う部隊ではなく小規模なテロ対策や危険人物の排除等を行うのだそう。なので戦車とかを出せるわけではなくて、比較的小さな手持ちの武器をもって街に向かっていた。

フーワという掛け声をまるで武道家の“押忍”のように使うレンジャー達はまだ若い兵士が多く比較的規律を重視している、今回は拘束地点周辺の包囲と運搬を担当。どこか無茶や勇気を貴ぶ風土があるデルタ・チームは実際の奇襲と拘束を担当、他に私服で潜入しての偵察というスパイのような任務もこなす。デルタはレンジャー部隊から選抜を行うことも多いそうなので、両者の間でプライドや階級に見合ったふるまいの面で差が出てくる。階級と所属している部隊の関係から、少し意思疎通が取りづらい場面もあったけれど、豊富な経験を持ち個人技に優れたデルタ、上官への具申等組織だった行動を遂行していくレンジャー等それぞれの持ち味を活かした行動があり、デルタが良き先任としてのふるまいもあって、まるで先輩後輩のように2つの部隊がうまく溶け込んでいく様子が面白かった。年長でベテランのデルタが、若い初陣のレンジャー達を教えて導く。仲間の為に闘うという言葉はそう言った選抜を経た部隊の中でうまれるものだったかもしれないし、外部の人に話してもわからないだろうという態度はその果ての境地かもしれない。

画面を通して戦闘の混沌をなす術なく見つめる将軍は言う。“我々は主導権を失った。”この時点からは戦闘は、米兵からも民兵からも手の付けられない混乱に突入することになる。全く方向性の異なるグループが相手の嫌がることを仕掛けあってる戦闘では、圧倒的な技量・兵器・情報の差があったとしても完全に進行管理を行うなんて無理なんだろう。誰があの混乱を見通すことができるんだろう。

特殊部隊員ですら恐怖を覚える戦場があって、社会はそこに向かう兵士の人たちをもっと大切にしなくてはいけないんじゃないかな。そしてそういった戦闘に至る事のない暮らしを作るように民間が努力する事ってやっぱり必要で、特殊部隊を派遣しても混乱が収まらないソマリアの海で、海賊行為を減少させたすしざんまいさんは本当にすごいと思う。
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