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遠い空の向こうにのotomisanのレビュー・感想・評価

遠い空の向こうに(1999年製作の映画)
4.1
 ロケットを飛ばすのは軍の仕事だった時代であれば、スプートニク・ショックの息子共に親がいい顔をしないのは当然だろう。当のスプートニクにしてもいわゆる飛び道具、軍事目的と疑う向きの多いのもうなずける。それに米国でも非軍事的宇宙技術開発の拠点としてのNASAの設立は一年近く先の事だ。
 兄は無事にフットボール技能を買われて大学からの勧誘と奨学金を得られたのに、進路決定を翌年迎えるのにロケット病のせいで地に足の付かない様子の弟が心配なのも、炭鉱の生き字引のような現実家の父親なればこそだろう。しかし当の炭鉱もすでに左前、閉山の日程が通知されても延命に固執するのは痛々しくも見える。こんな最中、取柄もない息子に失業間近の親父から何が伝えらえるだろう?
 それにしても、炭鉱はすごいところだ。見よう見まねで飛ばし始めた殺人未遂ロケットが安定飛行するまでになる。炭鉱人の協力もあって、燃料合成、機体形状、噴射ノズルなどを経験的に改良を重ね達成してしまう。それらが材料の取得から協力者の確保まで併せてほとんど全て炭鉱内の工作所でまかなえてしまうのだ。NASAがやっと発足する同じころに、閉山まぎわの炭鉱でNASAのすべき仕事を高校生がスケールの違いはあれこなしてしまうのが痛快だ。こんな風に紹介すると親に反抗する若者が我を通して大人の鼻を明かす話のように聞こえるかもしれないが、そうではない。
 噴射ノズル工作の助っ人**が工務部から坑内業務に配転されたのをジェイクは配置権限を持つ父親の横やりと不平を鳴らすが、それは聞けば、故国の家族に仕送りする**のため手当が倍増しになる坑内業務に移してやったもので、そんな**の事情も父親の気遣いも仕事への取り組みにも無関心だったことにジェイクも思い至る。
 そして何より、父親がしきりに勧める炭鉱入りこそ、ロケット狂ジェイクの頼りなさに、せめて炭鉱入りしておけば、閉山の折りには炭鉱離職者用転職プログラムに入って、身の処し方にじっくり向き合えるはずと願っての事である。
 だが一方で父親も、ジェイクらが炭鉱の工作所で職人たちの知恵を借り、意見を反映させ、工具機械を自ら使ってロケットを改良してゆく様子を見て、課題解決の筋道付けを学ぶ彼らの姿勢に気づいた事だろう。これを頼もしく思わないはずがない。
 背中を見て育つというが、見えるのは背中だけではない。その周辺の人も目に入るし、傍の人だから協力を得やすい事もある。そして、背中を見られる方も邪険で無視しているわけではない、若者が自分で協力者を獲得し追随してゆく態度を常に気にしながら自力に任せているのだ。こんな風に若者は親を始めとする大人たちの生きる様の本当のところを知り、大人も若者の出来上がりに気づいてゆくのだ。
 こうした炭鉱町の衆目を集めたデモンストレーションで、はるか炭鉱でもロケットの飛行を視認できる成果を上げて、息子と父もこれ以上たたかうこともあるまい。
 こんな挑戦を糸口に、夢を明らかにし叶える者もいれば、思うに任せない者もいる。父親が生きた世界は炭鉱やそれが支えた鉄鋼もみな衰滅するが、一方で若者の夢を具体化するプラットホームを工作所と試射場として提供する。そして、かつては夢の場だった宇宙だって半世紀過ぎればもはやゴミだらけ、欲と得の巷になってしまった。もう宇宙の隅々までめくり返されてもう何に驚けばいいか。自身、苛立たしほど物足りなかったのに、若さということには今更ながら憧れに近いものを覚える。こんな話に接するとそんな余得がある。
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