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フルメタル・ジャケットのkoyaのレビュー・感想・評価

フルメタル・ジャケット(1987年製作の映画)
5.0
「他の映画はもう、いらない。この一本だけがあればいい」

 1987年この映画が公開されたとき、映画情報誌『シティ・ロード』に紹介されていた文章が、いつまでたっても忘れられませんでした。
シティ・ロードの映画紹介文を書いていた人というのは、本当の映画好きで、どんな書物にも負けないくらいわたしには影響が大きかったものです。

これを読んで、怖くて、観られなかったのです。
スタンリー・キューブリック監督の映画をわたしはとても怖い・・・と思っていました。
『2001年宇宙の旅』でも、『時計じかけのオレンジ』でも『博士の異常な愛情』にしても・・・どんなに「いい映画だ。素晴らしい映画だ」ともてはやされてもわたしの中にあるのは、監督の作る映画への恐怖。

 何故、20年近く経って、急にこの映画のことを思い出し、観たい・・・と思ったのか、それが「一番わからない」ことです。
本当に、ずっとずっと心の底にこびりついていた映画、フルメタル・ジャケット。
 
 今、アメリカはもうベトナム戦争のことを忘れてしまったのでしょうか。
わたしが映画を観はじめたときは、ベトナム映画が解禁になって、どんどんベトナム戦争映画が作られた時期と重なります。
戦争というのは、泥沼以外何物でもないのです。

 確かに怖い映画ではありました。
しかし、こんなに美しい映画も観たことがありません。
完璧なのです。映像が。カメラワークが。
ベトナムへ派遣される前の海兵隊の訓練の最中の空の美しさ。
そしてベトナムへ行ってから、いつも、スクリーンのどこかで、赤く火が燃え、美しい雲のかわりに映されるのは、黒い煙。
ベトナムの旧正月の晩、暗い夜空にあがる鮮やかな花火。

 そして、人物を的確に、まさに的を射たように流れるように映しながら動くカメラ。
そして、戦争というものをとことん突き放した距離感の持たせ方。
妙な感傷や、友情や、美談など、監督の突き放した距離からは出てきません。出てこなくて正解です。それを確信している、怖い監督。

 一番怖いのは、ベトナムでの戦争ではありません。
殺戮者を育てるための訓練所での、指揮官の「言葉」だ・・・ということ。
言葉で、育て、言葉で、人を狂わせる・・・・それまで、口汚くののしられていた太った動きの鈍い訓練生が、ひたすら罵倒され、罵倒され、罵倒されつくし・・・・そこで気は狂わない。
射撃の腕はいいんだな・・・・と「褒められた」・・・その時、気が狂うのです。それが怖い。
そして、ベトナムへ行った、主人公のジョーカーが'Shoot me・・・shoot me・・・’と撃て・・・といわれてもためらう、ジョーカーの頭に乗っているヘルメットの文字・・・Born to Kill。

 スイッチが入ったように、パチンと気が狂った瞬間を、さっと見せる・・・その腕をやはりわたしは怖いと思うのです。
怖いけれど、目がそらせない。そして、その映像が美しければ美しいほど、残酷さは際立つのです。
そして、ベトナムでアメリカ兵たちが、大声で歌う「ミッキー・マウス・マーチ」・・・・ここまでやるか・・・という究極の戦争狂気美学映画ですね。
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