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日本解放戦線 三里塚
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『日本解放戦線 三里塚』に投稿された感想・評価

4.0
これは最もドキュメンタリーらしいドキュメンタリーなのではないかと思った。
声が聞き取れないことにその本質を見る、しかもそこに字幕が付いていないため喋っている言葉ではなく、人間の切羽詰まった表情にこそ言辞以上のメッセージが収斂されていると信じるカメラは常に顔が映るよう戦闘シーンにおいても上半身を捉えて怒りに震える村民と無表情を貫くガードマンとを対比している。

ワンカットの会話場面は喋っている人間へパンしていくのみでやはり聞き取れないのだが、その人間たちの顔に落ちる影と皺が悲惨さを際立たせる。序盤にある老人が横断幕を掲げて何やら叫んでいるが、それをブルドーザーの轟音にかき消されてしまう。
『三里塚の夏』では撮影に大津幸四郎、田村正毅の二人の名がクレジットされるが、この映画は田村単独。

空港反対闘争からの脱落者が五月雨式に発生していく中での被写体、撮影者双方の進化と深化が際立つ作品。

常に暮らしを共にする反対派農民と小川プロが、いよいよ同化先鋭化していく様を見ることができる。
すえ
4.2
記録

【土と農民】

より運動の内部へ。更に小川プロが三里塚という土地と、農民、農業に視線を向けている。開拓した土地を、努力によって生まれた土壌をショベルカーが切り刻むということ。運動の本質が見えてくると同時に、非当事者の学生との矛盾と葛藤も見えてくる。

ウェルマン『牛泥棒』のような二群の絶対的な対立をドキュメンタリー映画で目にできるとは。時間と空間の緊張のなか田村正毅のキャメラが闊達に衝突を活写する。

ただし、田村正毅の本領は奔放なキャメラにあるわけではなく、(顔面の)クロースアップにある。運動や三里塚を語る場面においては、手などの身体の一部が超クロースアップで捉えられ、言葉が語ることのない内部までを発話者の所作で描き出しているようだ。言葉よりも表情が雄弁に語るように、おそらく田村正毅の映像を無音で観たとしてもハッキリとした感情が伝わってくるはずだ。誰か試してください。

加えて、絶対に見逃してはいけない素晴らしいショットが三つほどあった。特に印象的なのは、青年の(クソ長い)対話中にふとキャメラが外を向き、無表情に振り下ろされるショベルカーにピントを送るショット。話の内容を全然聞いてなかった。

運動体が先鋭化し過剰な組織化(党派性)を宿し始める時、権力に抗するための有志の集いは峻厳な固定によって更なる別な権力を生成してしまう。その新たな権力構造は、運動からの離反者を「脱落者」「裏切り者」と呼び、被抑圧者だった存在が(より露骨に暴力的な)抑圧を生じさせる。所謂典型的な反体制が主導する抑圧の無限の連鎖であって、戦後左翼の失敗とほとんど同様の構造だともいえる。権力に抗するための権力を組織する結末は歴史が提示してくれることだろう。

それゆえ現代ではフーコー的な「反操行」が要請され、オルタナティブな逸脱が(遥か彼方の)革命の倫理として機能していると思う。ただ、68年という政治の季節の烈風に切り刻まれながら来るべき(起こすべき)革命を待機することに倦み、自らが革命主体であると疑うことなく白・赤・黒のヘルメット、ゲバ棒、火炎瓶を手にアンガジェする青年たちが疑いようもない生命力を発散している姿に、21世紀に生を受けた私は否応なしに羨望を覚える。68年は世界中が革命を同時代的に共有していた。神話と揶揄されようとも、私のなかで68年は絶対である。

トラクターの運転手(?)が襟や髪の毛を掴まれ、土をかけられる暴力を目にして後に三里塚闘争で死者が出るのは容易に想像ができる。権力構造の不当な暴力(絶対に許してはいけない)に対抗するとき、その反=暴力は矛先を見失う。システムは非実体的であるため決定的な致命傷を与えることは不可能に近い。構造の暴力を射るためには、我々は選挙やデモを通して極度に漸進的に抵抗するしかない(その意味においてテロルは否定されるべきではないだろう)。
その矛先を失った構造に対する反=暴力は本来の対象から逸れ、抑圧主体(機動隊や体制に与する者)に刃を向けることになるのが常だといえる。私はヒューマニストなのでそこで発生する個別具体的な人的暴力を厭悪する。物的暴力はいくらでもやってしまえと思うので、その限りにおいてテロルは認められるべきだ。
最近の活性化している運動を見て思うのは、やたらと警察官を憎む気持ちは分かるが我々が憎んでいるのは構造であって(つまり警察という抽象的存在)、「その」警察官ではないということだ。全ての警察官個人を憎んでいる人がいれば話にならないが…警察を上手く使うくらいの器用な運動の方が息が長いだろう。

2026,83本目(劇場73本目)6/20 シネ・ヌーヴォ

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