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「さようならCP」に投稿された感想・評価

ほとんどの発言は聞き取れなかった。多分、1割か2割くらいしか私はわかっていないと思う。結局、わからないながらわかりたくて2回見た。相手の言うことを理解できないストレスも、伝えたいことが伝わらないストレスも同じくらい苦しい。ラストに脱いだ方は、伝わらないストレスが極限に達したゆえの自己表現のように感じた。脳性麻痺の人たちが集まって活動していたけど、みんな相手の発言をしっかり把握はできていないのだろうと思う。まだスマホやパソコンもないので指を使って言葉をテキストにできない時代、お互い理解し合うには心しかない。

脳性麻痺の人に同情して募金する人の理由は興味深かった。どんな理由であれ、当事者からすれば募金してくれた事実こそがありがたい。その理由が聖人じゃないからと断罪するのはいつだって部外者。聖人じゃなくても募金したって良い。そのとき助けたい、そう思った、そこを大事にできたら良いと思う。

性体験については興味深かった。聞き取れた限り、赤線で経験している人が何人かいた。もう少し理解したかったけど、聞き取れなかった。この距離感こそが監督の云わんとすることのすべてなのだろう。
ch1s4

ch1s4の感想・評価

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躄 いざる
見えないようにするかジロジロ見るかの二択 気の毒って言葉嫌
Filmarksのあらすじの通り
躄るという単語、はじめて知った
saodake

saodakeの感想・評価

2.0
頑張って聞き取ろうとしても半分以上聞き取れない。字幕ありで見れるならそっちのほうがいい。
原監督の撮影背景や裏話を聞いたあとで見たからまだ付いて行けたが、何も知らずに見るには不親切な作り。
この作品でも障害者に性体験をインタビューする原監督。
どの作品でも必ずといっていいくらい性の話を絡めるね。
No.3225

『障害を持つ人と、セックスの話をしたことがありますか』

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CPとは、脳性まひ(Cerebral Palsy)の略。

このドキュメンタリー映画は、そのCP者の急進的な団体「青い芝」の活動と思想を追った、原一男監督のデビュー作。

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最近、同監督の超長編『水俣曼荼羅』を見たが、この中で監督は、

ある水俣病患者の既婚男性に『初夜』のことを聞いていた。

また、この『さようならCP』の中でも、CPの男性たちに「初体験」の話などをさせている。

両作とも、ズケズケと切り込んでそんなことよく聞けるなーと思いながら見ていたが、

何のことはない、そう思ってしまってること自体が差別じゃないか、とハッとした。

今ではEテレのバリバラや、『37セカンズ』でも障害者のセックスについて真正面から取り上げていたりする。

それを原監督はおよそ50年も前に先取りし、今でも貫いているわけだ。

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それにしても、「青い芝」のメンバーが街頭で活動資金の募金をしていると、

けっこうな率で老若男女が募金していく。

なんだ、意外とこの頃(この映画の公開は1974年[昭和49年]である)から、健常者は障害者の活動に理解があるんじゃないか、と思ってたら、

とんでもない。募金した理由を聞くと、

「気の毒だから」
「かわいそうだから」
「私たちは恵まれているから」
「理由はよくわからない」
「出かけてきた帰りのついで」

もう、めちゃくちゃである。

めちゃくちゃすぎるから、彼らCP者は、街へ出て、身体を晒すことで、めちゃくちゃな「健常者の世界」へ挑戦状を叩きつけるのである。
ykyk

ykykの感想・評価

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聞き取れる数割とできる限りの読唇をして、にしても音と映像4.5秒ぐらいずれて映画が進行してた

脳性麻痺の人にカメラを持たせた原一男、警察官に「責任者は君?」と、路上で詩の朗読をする権田さんを通り過ぎて尋ねられる原一男
K

Kの感想・評価

3.5
CP(Cerebral palsy)脳性麻痺。映像に重なる親のインタビュー。カンパ。繰り返される“気の毒”と“可哀想”。聞き取れない言葉に耳をこらす。カメラ。彼らを映しているようで、こちら側を映し出されているような感覚。映像と音のずれ。集合写真。夫婦。眼鏡を落としながら手を伸ばす姿から目が離せない。これは画面を通してだからできることであって、自分があの場にいたら他の人と同様に通りすぎるのではないかと思う。見続けたら失礼だとか、何をすればいいのか分からないと感じて。そしてそれは善悪で判断できる行動ではないとも思う。彼が自らのことを考えるとき、周囲の人々も自らのことを考えている。中には見えない障害を抱えている人だっているだろう。責める権利は双方にない。そもそも善悪とか責めるとかそういう視点で切り取っていないはず。だからこれは自分の中の罪悪感や後ろめたさなのだと思う。右から左へと書かれる名前。穴の空いた靴下。まなざし。Filmarksのあらすじを読んで、あの場面はそういうことだったのかといくつか気づかされる点があった。無自覚か否かを問わず自意識が試される。
BRUTUSのドキュメント特集に本作を撮影する経緯を原監督自身語り、DOMMUNE
で「ゆきゆきて原一男曼荼羅」約4時間40分ほど原監督が自身の作品を激白してたので久し方ぶりに再見。荒削りながら原一男テイストが既に見ることができる。脳性麻痺者を遠目に見る人々。道端で挑発するパフォーマンスする詩人の脳性麻痺者。仕掛けを原監督は作ってやっている。ドキュメントは、真実を映しているか?も既にやってる感じだ。さすが田原総一郎の弟子筋。
記録

これはすごいや。最初批判がすごかったらしいこの映画。でも、被写体となった彼ら自らが「障害者をあたたかく見守る福祉映画こそ健常者が上から見下ろす視線の産物だ」と主張し、監督を援護した

そこまでして当事者たちが伝えたかったことを見届けなければならないという義務感に駆られた。見れてよかった。

2021 147
ときどきアツい発言があるから油断できない、カメラワークから感情を消すのが巧すぎる
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