愛鳥家ハチ

幻の湖の愛鳥家ハチのレビュー・感想・評価

幻の湖(1982年製作の映画)
1.9
偉大なる脚本家・橋本忍先生が監督・脚本・製作を手掛けた東宝創立50周年記念作品。時空を超えた愛の物語。構想やアイデアは素晴らしいのですが、全体の構成や編集に課題が残ります。どうしてこうなった? 金字塔と墓標は紙一重なのかもしれません。しかし私は好きな作品です。ワンちゃんの演技もとても素晴らしいです。

ーー鑑賞作法
まず初めに、本作をネタバレなく虚心坦懐に鑑賞することはおすすめできません。なぜならかなり難解であるためです。演出の意図が読み解けず、見返そうにも再見のモチベーションを砕かれてしまうことでしょう。このため、あらかじめ徹底的にネタバレを摂取し本作の全体構造を頭に入れたうえで、膝を打ち納得しながら拝見するのが正しい鑑賞作法であると考えます。それでこそ思索も深まるというものです。さもなければ大先生が建立した大迷宮を彷徨うことになります。そもそも桃太郎やシンデレラという古典的名作にネタバレなどという野暮な概念はありませんし、関ヶ原の戦いを扱った歴史モノであれば東軍が勝つことは自明です。古典的名作の玉座に鎮座する本作『幻の湖』についても同じことが言えます。結末を知っていても、否、結末を知っているからこそ愉しめる世界があります。

ーーウキペディアから
ウィキは信用ならんので情報ソースとしては眉唾物ですが、殊に本作のあらすじについていえば大変よく書けておりましたので、敬意を込めて以下に引用します(※1)。ネタバレです。

「雄琴のソープランド街で"お市"の源氏名で働くソープ嬢道子は、愛犬シロと琵琶湖の西岸でマラソンをするのが日課であった。そんな彼女が近頃気になっているのは、葛篭尾崎の付近を走っていると時折聞こえる、哀しげな笛の音だった。

そんなある日、道子の心の支えだった愛犬のシロが和邇浜で殺されているのが見つかった。凶器の包丁と様々な証言をもとに犯人が東京の作曲家日夏という男だと探りあてたものの、警察は頼りにならず、怒った道子は自ら東京へと乗り込む。

かつて道子の店にソープ嬢として潜入していた米国の諜報員ローザの尽力で、日夏の住所とジョギングが趣味であることを知った道子は、得意のマラソンで日夏を"倒れるまで走らせてやる"と決意する。

復讐決行の日。道子はジョギングに出かける日夏の後をつけ、駒沢オリンピック公園に入ったところで日夏を後ろから執拗にあおる。しかし都会の空気に不慣れな道子はペースを乱し、スパートをかけた日夏に逃げ去られてしまった。肉体的にも精神的にも敗北感にさいなまれ、道子は公園をさまよう。

復讐に失敗し雄琴に帰った失意の道子を待っていたのは、知り合いの銀行員倉田からのドライブの誘い、そして求婚だった。初めて琵琶湖の東岸を旅したことで暗い情念からも解放された道子は、倉田の求婚を受け入れる。

そんな折、道子は葛篭尾崎で、かの哀しげな笛を吹いていた男、長尾に出会う。長尾が笛の由来として話すのは戦国時代、近江の浅井長政の妻"お市"にまつわる、哀しい物語だった。長尾はその哀しげな笛で、織田信長に殺され葛篭尾崎に沈められたお市の侍女"みつ"の魂を鎮めていたのだ。みつの笛を受け継いだ子孫で、宇宙パルサー研究者としてNASAで働く長尾は、ある目的で近く大気圏外へ飛び立つのだという。

長尾の話を通じ、史実の"お市"もまた、大切な人をシロのように理不尽に殺されていたのを知った道子は、ただの源氏名だったお市の存在に深く共感し、涙を流す。しかし今更どうにもならないことであった。

結婚のためソープ嬢を辞めようとしていた矢先、なんと偶然にも作曲家の日夏が雄琴の道子の店に現れた。お市とみつの伝説を聞きつけたという日夏は"琵琶湖に沈んだ女の恨み節を書きに来た"と軽薄に笑う。激しい怨念の虜となった道子は、シロを殺した凶器の包丁を掴み日夏を追い回す。

日夏は店の外に逃げ出し、琵琶湖のほとりで過酷なマラソン対決が始まった。シロや倉田の幻にも支えられ、日夏を追って追ってひたすら追いかけた道子は、琵琶湖大橋のたもとでとうとう日夏の足を止めることに成功した。

"勝ったわよ、シロ!"快哉を叫んだ道子が日夏に包丁を突き刺したころ、長尾は地上からはるか離れた地球の衛星軌道にいた。長尾はスペースシャトルの船外に出ると、琵琶湖の上空185キロの位置に鎮魂の笛を静止させた。琵琶湖の水が枯れ果て"幻の湖"となる遠い未来までも、笛が琵琶湖の怨念を鎮めることができるように…。」

以上の内容を把握した上で本作に向き合うべきかと思います。いわば人生二週目の達観を携えて本作と対峙すべきなのです。
(それにしてもNASA職員か衛星軌道上に宇宙デブリを増やすというのは職業倫理的にいかがなものか(笑))

ーー全体構造
さて本作は、①愛犬とのマラソンを主軸とした現代パートと、②悲恋が描かれる戦国時代パート、そして③宇宙(コスモ)パートに大別できます。特筆すべきはその時間配分ですが、約2時間半の尺のうち、2時間弱は雄琴の性風俗従事者が汗だくで走り続けるだけの内容。観客が疲れ果てたタイミングを見計らうかのように、満を持して始まるのが戦国時代パートです。これがまた見栄えがしてよく出来ております(高橋恵子さんがたいへんお綺麗でいらっしゃる)。そして宇宙から琵琶湖を眺める壮大なラスト。達観したラストは諸行無常の悟りあり。あぁ無情。

ーー転生モノ
本作の課題点は、現代、戦国時代そして宇宙がさして連関していないように見えてしまうことにあると思っています。もっとも、本作が「時空間を超えたサスペンス転生モノ」であるとすれば、作品全体を統一的な視座で解することができます。私の考える"転生"の基本的な対応関係は次のとおりです。

【現代←戦国時代】
・道子 / 源氏名・お市(南條玲子)←お市の方(高橋恵子)
・シロ(犬)←みつ(星野知子)
・NASA長尾(隆大介)←武士長尾(隆大介)
・作曲家日夏(光田昌弘)←織田信長(北大路欣也)

すなわち、戦国時代に織田信長によって処刑された"みつ"が現代にシロ(犬)として転生し、信長が転生した日夏によってまたもや殺害されてしまうという苛烈な宿命を描きつつ、お市の方が転生した源氏名・お市によって時を超え復讐が果たされる…というのが私の理解です。しかし実は転生関係が一対一対応していないことも確かで、そのあたりも本作の理解を難しくしているとはいえます。例えば源氏名お市の主人公道子は、NASA長尾に密かに慕われていましたので、戦国時代に武士長尾に慕われていた"みつ"の転生先であるとみることもできるわけです。加えて、日夏に復讐の刃を向けるという意味では、信長に串刺しにされた万福丸が道子に宿ったとも解釈できます。いや、よくわからなくなってきました。

ーー分析の素材
本作をどのように再構成すればより良くなるのかを考えることで、映画という総合芸術に対する理解が深まるのだと思います。あえて伏線を回収しない。あえて綻びのあるプロットとする。それによって、如何様にも解釈可能な万華鏡的輝きを放つ創り上がりとする…。そのような高邁な理想を具現化した作品であるのかは定かではありませんが、不思議な魅力を放つ映画であることに変わりはありません。乱世の仇をマラソンで討つ(包丁でトドメも忘れない)というカタルシスも感じさせます。
 しかし本当は仇などどうでも良くなっているのです。真に向き合うべきは己の走りのみ。日夏を追っているようで、追い求めていたのは自分自身であったと。マラソンは人生のメタファー。本作は走り続けた巨匠の一つの到達点といえるのでしょうか。
 なお、本作に対する一つのアンサーは、今敏監督の『千年女優』なのだと推測します。千年女優で描かれる追求の心は、紛れもなく幻の湖の精神に根ざしています(千年女優のポスターからはオマージュ感がありありとでています)。

ーー巨匠の苦悩
最後に、孫引きで恐縮ですが、橋本監督は本作について、「最後の仕上げでフィルムが全部繋がると、根本的な大きな欠陥と失敗が間違いなく露呈」し、「大失敗」だったと総括しており、撮影開始前から本人が脚本に自信を持てずに製作中止も考慮していたが、悩んでいるうちに製作準備が進んでしまい、撮影に入らざるを得なかったということのようです(Wikipediaより(※)、橋本忍『複眼の映像 私と黒澤明』文藝春秋、2006年、284-285頁)。
 巨匠に対して誰も意見できなかったがためにキメラ的な本作が出来上がったのだと以前は考えていたのですが、実は巨匠もまた苦悩していたのだと知ることができました。売れて当たり前、ヒットして当たり前というプレッシャーは相当なものだったのだと思います。そして退くに退けないところまでプロジェクトが進み、コンコルドの誤りよろしく本作は玉砕するに至ったわけです。ある意味では巨匠も被害者といえます。戦犯はいません。ただ幻の湖があるのみです。

※ https://ja.m.wikipedia.org/wiki/幻の湖 (2024/01/25閲覧)
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